中編 其の四



―4月13日(火)深夜1時―


―都立あきる野第二高等学校三宅分校 用務員室―



装備を調え、コートを羽織る。


黒い男「よし…行くぞ」


そう言って刀を背負うと、出口へ向かう。


クリフ「はい…!」


ブレザーの制服の上からローブを羽織り、首元のキーホルダー付きネックレスを、クリフは弄る。


黒い男「…その格好で行くのか?」


クリフ「あ…一応学校に入るので…ダメでした?」


それは学生がハリーポッターの半端なコスプレをしただけにしか見えなかった。


黒い男「…いや、まあ…お前が良いなら良いんじゃね」


クリフ「あ…ハイ…!」


その言い様に、クリフは何か間違ったのかな?と緊張した。



―深夜1時過ぎ―


―都立あきる野第二高等学校三宅分校校舎一階―



政府が手を回したお陰か、難無く校舎に入れる。


校舎に入ると、昼間の喧騒とは違い、そこは静まりかえっていた。


数分歩いてみるが、何も違和感は無い。


ただ暗く、不気味なだけだ。


窓から注ぐ半月の光が廊下を照らす。


黒い男「…ン?」


何かに気付く。


クリフ「あれ…って…」


それは、この場にそぐわないモノだった。


ユラユラと歩き、近付いてくるソレは、学生服を着た女生徒だった。


クリフ「彼女…行方不明になった…女生徒?」


その、足取りの覚束無(おぼつかな)い女生徒は、段々とこちらに近付いてくる。


視ると、体躯は自分より大人びており、より女性と感じられる体付きをしている。


つまりは年上であろうことが、クリフには想像出来た。


そして耳を澄ますと、何かを呟いている様だった。


クリフ「!」


だが、そんな事よりも強力な魔力を感じ、そちらを振り向く。


黒い男「!後ろッ」


同時にその言葉を発し、後方に回転しながら抜刀し、横薙ぎに一閃する。


それは黒い霧の様なモノだった。


ソレが二人の間を通り過ぎていく。


何かを切断したか、「ギエッ」という声と共に何か数体がボタボタと地面に落ちた。


そして、その黒い霧の様なモノが、女生徒の前に立ち塞がるみたいに集まる。


眼をこらすと、それは蠅…の様だが、細部が異なった。


全身が真っ黒で、触脚の形状は蠅なのだが、全てが人間のパーツで出来ている。


そして、顔は人の髑髏で頭部に朱く何か刻まれており、眼球が朱く光っている。


何より異なっているのは大きさだった。


全長10センチはあろうかというほど巨大で、人語でブツブツと何かを口遊(くちずさ)んでいる。


蠅?「Baal…Zebul…至高ノ…王…Summi…Regis」


カチカチカチと前歯が当たる音が廊下に木霊する…


それは不気味さと生理的嫌悪感が湧く形(なり)と動きだった。


黒い男「デカイ蠅だな…オイ…」


そう言って刀を背中の鞘にしまい、その鞘を左手で掴んで下ろし、腰撓(こしだ)めに構えようとする。


が、その前に、クリフが遮る様に前に立ち、眼前の巨大な蠅たちの群れに向かって何処からか取り出した棒(ワンド)を翳(かざ)して、唱え始める。


クリフ「In quattuor elementis, quae mundum formant,(父と子と聖霊の御名において命ずる、) habitant in nomine Patris et Filii et Spiritus Sancti,(この世を形成せしめる四大元素に宿りし"火"の力よ、) et his meis verbis virtutem ignis involvunt(我が言葉を用いて体現せしめよ)!」


ラテン語で唱え始めたその詠唱によって、翳されたワンド(棒)の先端に火で出来た小さな魔法円が現れる。


この間、僅か数秒ほど。


渦巻く炎が魔法炎の中に現れ、唱え終わると同時に業火が目前の大蠅の群れを包んだ。


蠅?「ギャアアアアアアアアアアアア」


聞き心地の悪い断末魔を上げながら、黒い蠅共は焼け落ちる。


廊下が業火によって照らされ、先程刀で斬り落とした物体がよく視得た。


血を流して胴体を横一線に分割された黒い蠅達だった。


赤黒い血を切り口から垂れ流しながら、舌を出しつつ痙攣している。


黒い男「気持ち悪ィな…」


刀を背中に背負いながらそう述べる。


黒い男「…やるな」


聞こえるか聞こえないかギリギリの音量のその言葉には、純粋な肯定が込められていた。


クリフ「大丈夫ですか? 今すぐ聖水を用意します!」


そんな事には気付かず、クリフはその女生徒に近寄る。


黒い男「…聞いた事も無い魔術体系だな…詠唱で魔方陣が出るとか…まるでフィクションの魔法だ」


純粋な疑問で口にする。


クリフ「僕のは、自分で研究し生み出した新体系の魔法…言うなれば僕専用の魔法なんです」


そう言いながらも、腰のバッグに入ったアンプル入り聖水を取り出している。


クリフ「それまでの詠唱や儀式用意の時間を全て省略して行える様にしているんです」


黒い男「へえ…」


答えは淡泊だった。


しかし、そんな事は気にせず、クリフは女生徒に声を掛ける。


クリフ「しっかりして下さい…! これで… …?」


聖水を持って女生徒の肩を掴む…と同時に女生徒が膝から床に座り込む。


顔を覗き込むと眼は虚ろで視線が泳ぎ、何かを呟いている。


女生徒「助けテ…たスケて…助…ケテ…」


口からは涎を垂らし、呂律も回っていない。


クリフ「なん…? ですか…??」


その異様な有り様に、畏怖を覚える。


悪魔憑きや悪霊憑きは学んだ。知っている。


実際に経験として対峙させてもらった事もある。


だが、己だけでの対峙は初めてだ。


これがどんな事象なのか、まだ判別出来ない。


悪魔憑きなのか?


悪霊憑きなのか?


それとも精神疾患なのか?


圧倒的に経験が足りなかった。


魔術の修行や怪物退治は経験があるが、これは全く未知だった。


その思考の乱れが焦りを生む。


クリフ「助けて…って、何からですか? あなたは何に襲われてるんですか?」


そう女生徒に問う。


が、


女生徒「た…スケ…て…タスケ…」


女生徒は同じ言葉を返すばかりだ。


クリフ「それだけじゃ解らないです…! 一体何に…!」


女生徒「タス…け…わタ…し…が…中…か…ら…」


クリフ「…え?」


女生徒「べ…ツの…モノ…に…か…わッテ…」


クリフ「??どういう…?」


そこまで聞くと、女生徒の痙攣がより激しくなる。


女生徒「お…ごごご…! あ…! がぁぁぁぁああああぁぁぁ!!!」


苦しみながらも吐き出す様な声と共に上を向くと、眼球は忙しくぐるぐると左右別々に動き、毛細血管が破けたのか涙の様に血を流している。


そして口から始まり鼻や耳などの穴から、大小様々な先程現れた血塗れの蠅が大量に出てきた。


クリフ「!…な?!」


眼前の女性から現れる黒い塊達。


蠅?「Baal…Zebul…至高ノ…王…Summi…Regis」


蠅達はカチカチと前歯を鳴らし、口揃えに皆同じ言葉を呟く。


自分と同じ生徒、護るべき存在から現れたそれに一瞬固まる。


それ程までに、ヘイデン・クリストファーは少年だった。


黒い男「そこまで」


そう言って、手にした粉を黒い塊達に投げ掛ける。


蠅「ギャァァァァァァァ!!」


と、苦しみながら飛散する。


そして、女生徒の前に屈み込んで固まっているクリフを無視して、女生徒の身体に粉を再び掛けると、更に身体中の穴という穴から逃げる様に黒いモノが湧き出した。


そして、ほぼ中身が無くなり、皮だけになった女生徒だったモノが床に崩れ落ちた。


眼を見開いてその状況を、クリフは横目で見ているだけだった。


そして、そのクリフの手にしていた聖水を奪うと、黒い塊の方へ向き直り、刀を鞘から抜き、鍔の方から刃にアンプルを打つけて中身を出し、聖水を垂らしたら再び鞘にしまい、腰撓めに構える。


右腕が黄金に薄ぼんやりと輝いた。


黒い男「お前等全部…此処で死ね…!」


そう言うと、一瞬刀を持つ手元が動いた様にクリフには視得た。


動いていた黒い塊=蠅達は中空に一瞬静止すると、刀が鞘に収まるカチンという音と共に、蠅全てが真っ赤な血を散蒔(バラま)きながら、バラバラになって地面に四散した。


斬られた部分からは、煙が上がっている。


が、少ししたら蠅の残骸は煙の様になって霧散した。


クリフは犠牲になったその女生徒の皮膚から視線を外せなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る