地 其の三 ―霹靂―

―その2時間前―


―新宿御苑―



長引いた梅雨で、7月だというのにジメジメしており、6月と言われても違和感ない程だった。


昼から降っていた雨も、一時的に止んでいた。


愛己「次はバラ園ですよね」


温室を出て、バラ園に向かう愛己を後ろから眺めながらも、これが平穏かと感じていた。


六本木の事件から二ヶ月、彼女と色々な所へ行き、色々なことをした。


彼女をもう危険な目にはあわせたくはない。


だから、色々注意もしてきたし、見守ってきた。


彼女も最近は忙しいのか、会える時間は減ってきている。


だが、三年生だし、事件の事も踏まえると、就職活動やらに時間を割いているというのなら、良い兆候だと思う。


会えない時間が減ったのは寂しいが、仕方は無い。


それにしても、彼女は好奇心が旺盛だ。


珍しいものや刺激のある物事に対する欲求が凄いというか。


今回御苑に来たのもバラ園や温室の珍しい植物が観られるというのが理由だった。


自分からしたら、只の植物…"バラ"なのだから。


それでも、彼女の喜び様やはしゃぎ様は視ていて嬉しかった。


そして、風景式庭園まで来ると、ぴたりと動きを止めて空を見上げる。その先は今にも降り出しそうな曇天だった。


曇り空で、人は疎(まば)らで、雨が降りそうでも、自分の心は晴れやかだった。


…その、空から"黒いモノ"が降りてくるまでは―


突然だった。


その黒い物体=羽の生えた山羊の化物が彼女の目前に現れたのは。


黒い男「な…?!」


山羊頭『準備は出来た…』


独特な発声機関なのか、聞き心地の悪い声だった。


黒い男「オマエ…ッ!」


あの山羊の化物は5月の仕事で見掛けたエラソーなヤツ…!


その山羊はチラリと此方を見遣ると一瞥して、直ぐ様愛己に視線を戻した。


黒い男「!ッ…」


その、自分には興味無さげと言わんばかりの態度に苛立ちを覚える。


その、侮蔑されたとも取れる態度に。


二ヶ月前とは違うんだ…!


知らぬ間に雨が降り始め、人が少ないのが更に少なくなっており、山羊の化物が空から降りてきたというのに、騒ぎにはなっていない様だった。


黒い男「ッ…! 離れろッ!」


彼女の前に立つ山羊頭に言い放つ。


山羊頭『…? 行く時だ…』


山羊頭は掛けられた言葉に、何か疑問を抱いた顔をした直後、直ぐ様愛己へと視線を戻す。


黒い男「離せって…!」


怒りに任せて腰の後ろにある銃を取り出そうとする。


…が、今は休み。自分の意思で持ち歩いていなかった。


黒い男「クソッ…!」


歯痒い…!


自分の意識の低さに更に苛立つ。


今は何も持ち合わせていない…


そうこうしている間に、山羊頭は愛己を抱き、上空に飛び立つ。


黒い男「!待てよッ…!」


無駄だと解りながらも、その後を追う。


黒い男「彼女を離せよッ!」


届かないと解っていても、必死に地を蹴り、前へ前へと足を動かす。


黒い男「彼女をッ…!」


そうこうしているうちに、スタミナが切れ、足に疲労が溜まり、縺れ、倒れ込む。


黒い男「くッッ…! クッソぉぉぉぉぉーーーーーッッ!!」


息が上がりながら、右手で地面を叩き付ける。


悔しさで、


無力さで、


怒りで。


何時の間にか大雨だった。


愛己を連れたその影は、遙か上空を、千駄ヶ谷門方面に消えていった。


項垂れながらも起き上がると、シャツの胸ポケットから携帯を取り出し、発信履歴からリダイヤルをする。


足はもう走り出していた。


数回のコール音の後、相手が出た。


黒い男「…オレです 助けて下さい…!」


??『…どうした?』


その相手は、ちょっとした間の後、落ち着いた声で聞き返してきた。


黒い男「人が攫われました… オレの大事な人です…! 山羊頭の化物に…! どうやら南の方に向かった様なんです…! 何か解りますか?!」


??『…南方… 解った 用意して向かう 君は店で今から言うことを調べるんだ』


黒い男「解りました…! Sさん」


そう言って、調べる事をメモると携帯を切り、皆に一斉メールを打ち、送る。


"DPPに来い―"


送り終えると携帯をしまい、新宿西にある、もう一つの骨董屋に、全力で走り出した。

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