Part4 流れ星
「流れ星……」
「え?」
あやちゃんも、俺の視線を追うように顔を上げた。
秋の朝、冷たい印象を受ける蒼白い空に、ひゅぅ……と光が一閃する。
光の筋は空を横切って、牡丹坂高校のある坂の方へと消えて行った。
「こんなに明るいのに……」
あやちゃんもびっくりしたように、呟いた。
地球には、毎日のように、隕石……小惑星の欠片や宇宙ゴミが降り注いでいるという。しかしその多くは、大気圏で燃え尽きてしまう。この時に空気との摩擦で発生した高温が、隕石を火球とするのだ。それが流れ星である。
流れ星が光って見えるのは、時間帯が夜であり、そして見上げる位置が遠いからだ。
若しも昼間に流星が輝いていたら、それはかなり近い場所を落下地点としているという事である。
しかし秋の朝の流れ星は、くっきりと光の筋を見せていたにも拘らず、付近に落下したという事はなさそうであった。
「サクちゃん、お願い事した?」
「いや……」
「そうだよねぇ、急だったモン。でも、朝からラッキーだね!」
そうしている間に、俺とあやちゃんが分かれる通りまでやって来た。
向こうの信号を渡ると商店街があり、そちらを抜けると牡丹坂高校である。俺は、道を真っ直ぐ進んで牡丹坂中学へ。
「じゃ、またね、サクちゃん」
肩越しに振り返って、手を振るあやちゃん。
俺も同じように手を振って、彼女の背中を見送った。
牡丹坂中学の正門を潜ると、正面には四階建ての校舎が向こうに伸び、すぐ右手に体育館が横へ伸びている。体育館の側面と、校舎の正面がそれぞれグラウンドを向いており、校庭の右奥の対角線上……南西側にプールがあった。校舎とプールの間にはビニールハウスがあって、花か何かを育てているらしい。
校舎の正面に三つの昇降口があり、正門に近い場所からそれぞれの学年の、一・二組、三・四組、五組が使う事になっているが、一年生は五組がないので、四組は裏門側の昇降口を使っている。
俺は奥の昇降口まで校舎の前のコンクリの道を歩いてゆき、そこで靴を履き替えた。
昇降口の左側に、四組の教室がある。中に入ると、女子が二人席の前後で向かい合って話しており、教室の後ろの方では四人くらいの男子が漫画の貸し借りをしていた。
俺は、窓際の列の中頃から席替えをしても変わっていないので、大人しくそこへゆく。
鞄を机の横に掛け、椅子に腰掛けると、一つ、息を吐いた。三、四〇分の登校には慣れたとは言え、体力不足の深刻な身体にはやっぱり堪える。自転車で来られれば良いのだけど、それくらいの距離だと自転車通学の許可が下りないのだ。
ホームルームの開始までは、まだ結構ある。部活の一つでもやっていれば朝練に時間を有効活用出来るのかもしれないが、自分の場合はそうもいかない。
読み掛けの文庫本を取り出して、早速読み進める。
今読んでいるのは、時代ものだ。
旅の侍が主人公のシリーズだ。基本的な流れは、おてんばなお姫様と出会って、幕府の内乱に巻き込まれつつ、
五冊ばかり出ているが、展開は毎回同じである。にも拘らず次巻も手に取ってしまいたくなるのは、フラストレーションの貯め方と、終盤のカタルシスが巧みだからかもしれない。
文字を追い、そこに描き出される登場人物の姿を頭の中に描き出してゆく。主人公が持つ白銀の剣がうなり、血風が舞う。俺の耳には鍔迫り合いの音まで聞こえていた。
「『善之介さま、わたくしは貴方を愛しゅう思うておりまする』『なりませぬ、拙者は旅の者、
「うわぁっ!?」
かなり本に集中していた俺は、不意に耳元から聞こえた小説の文に驚いて、声の方向を振り向いた。
そこには
石川は、明るい色の地毛をポニーテールにしている、吊り眼で、背が高い女だ。
「何だよ、急に……」
「別に急じゃないわよゥ。話し掛けたのに、飛鳥くんったら答えないンだから。にしても、相変わらずスケベな本読んでるのねぇ」
石川は俺の後ろの席に座りながら、長い脚を横に振り出して組んだ。バレーボール部である為か、妙に背が高く、男子と並んでも遜色ないくらいであった。学年の中では、少なくとも一〇人以内に当たり前に入りそうな長身だ。
「スケベって……別に、そんなんじゃねーよ」
「スケベよ、スケベ。男と女が抱き合ってるなんて、エッチじゃない。そんな小説読んでる飛鳥くんみたいな男の子を、むっつりスケベっていうのよ」
石川は、振り向いた俺の額を指で小突いた。
とんでもない偏見をする奴だ。悪い人間ではないのだけども、こういう鼻に突く一面がある。
確かに……このシリーズには男女の、そういうシーンもある。だからと言ってそれは別にメインではない。そうした、身体の結び付きによって心の内にも生じてしまうあれやこれやを、如何に断ち切って武士道に生きるかを表現した場面であって、決してそんな、いやらしい印象で語られるべきものではないのだ。
石川はこうした小説に触れず、朝の読書の時間に何だから良く分からない自己啓発書なんかを読んでいるんだかいないんだか、でなければ寝息を立てているかしかしないから、この深奥が分からないのだ。
本当に可哀想な奴である。
「……ちょっとぉ、ぬぁによそのケーベツのナマコはぁ」
「別にぃ。それに、ひょっとして“
「ぬぁんですってぇ?」
思わず口を突いて出た嫌味に、石川が机をどんと叩いて立ち上がった。そうして脚と同じで長い腕を俺の頭に回して来て、ぎちぎちとお鉢を締め上げた。
「痛ててててて!」
「って言うか、あんた、私の事頭が悪いって言ってたわよねぇ。あんたも同じくらい頭悪くしてあげましょーか!」
そんな事を言う石川。冗談じゃない、頭まで駄目になったら、俺は唯一の取柄であり楽しみである妄想が出来なくなってしまうじゃないか。いや、出来なくはならないかもしれないが、この所為で頭のストッパーが外れて現実と妄想をごちゃ混ぜにしてしまうようになったらそれは大変だ。
「またやってるよー」
「仲良いんだからなー、あの二人」
いつの間にか、教室にはクラスメイトの大半が揃っていた。
考えてみれば、うちの学校でもかなり強いバレー部の石川がいるという事は、他の多くの部活も朝練を終えて教室に集まり始める時間だという事だ。
薄情なるクラスメイトたちには、俺の頭蓋骨の軋む音が聞こえないのだろうか。助けようとする素振りも全く見せず、遠巻きに眺めては笑うばかりだ。
「うりうりぃ、早く前言撤回なさいな。美音さまはとっても頭が秀才です、莫迦にしてその節は誠にごめんなさい、ってねぇ」
何と頭の悪い謝罪要求だろうか。俺の口から、そんな知能指数の低い言葉を出せる訳がない。
俺は否定の意味を込めて首を横に振ると共に、石川の乱暴なクラッチから抜け出そうともがいた。石川は俺の頭を後ろに引いて、抱きすくめるようにして締め付けを強くする。
「こーら、美音ちゃん、飛鳥くん、ふざけてないの。ホームルーム始めるよ?」
と、救いの手が差し述べられた。石川の頭に、小さなゲンコツを軽く落としたのは、担任の
「はーい。痛かったねぇ飛鳥くん、大丈夫?」
石川は朝倉先生の言う事には素直に従って、俺の頭から手を放した。その上、今更ながら俺へのダメージを心配するような事を言って、痛め付けた額を撫でたりする。
「別に、痛かないさ! 俺の頭はお前と違って特別製だからな」
「おほー、元気じゃん男の子! それだけ元気なら、謝り損ね」
ばしばし、と背中を叩く石川。謝ってないじゃないか、と毒づいた後、俺はと鼻を鳴らして顔を正面に向けるにとどめた。
自体の終了を見て、朝倉先生は教壇の方へ移動した。
「それじゃ、ホームルームを始めます。日直の人、挨拶をして下さい」
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