第4話 原始の欲求


「タバコを消しなさい」


「えーヤダ」


「それじゃあ私に近寄らないで」


「それはもっとヤダ」


 くそ、うっとおしい男め。タバコ臭くてかなわん。

 私はイライラと聖剣の中から飛び出した。本体がこの男に近しい場所にあるなら、せめて精神だけは一ミリでも離れようと思ったのだ。

 本当にもう許せない。イライラする。

 ジョットはすりすりと聖剣本体に頬すりする。


「かわいい俺のティアちゅあん」


「っ気色悪い呼び方をしないでください! 虫酸が走る!」


 そう言って私は気をとがらせる。その瞬間、ジョットの頬がすっぱり切れた。

 思ったより深々と切れて、びっくりした。

 ひさしぶりに力を使ったせいか、うまくコントロールできないみたいだ。


「いってェ! んだこれ!?」


 馬鹿め。私は聖剣だぞ。さとえ錆付いていたとしても切れぬものなんかないわ。


「おいてめェコラ。さすがに今のは俺も許さんぞ」


「あ、あなたがすりよるからです」


「んなもんしらねェ」


 び、と頬の血を拭ったあと、ジョットはにっこり笑った。目の当たりに影がかかっている。


「あー、仕方ねぇ。そっちがそうくるなら、俺も考えねぇとなァ」


「な、なんです、そのいやらしい目は」


「お前、俺に怪我させたんだから、お前も何されても耐えろよ」


「……」


 ニコニコと笑う奴を見ながら、私は恐ろしさで震えた。




 私の元にジョットが通うようになってから、五日がすぎた。この男、本当にねちっこいというか、適当な感じを醸し出している割に、本当にしつこくて気持ち悪い。


 最初は私も聖剣の中に閉じこもっていたものの、こいつがやたらと近くにくるせいで、精神的に辛くなって、飛び出てしまうようになった。


 ほんとうに気色悪いオヤジだ。虫酸が走る。

 おまけにタバコもやめないし。

 タバコがなかったら死ぬというが、そのまま死ねばいいのにと思う。

 いっそやつから、タバコをうばってみるか。

 そんなことを考えていると、いきなり柄に触れられた。


「……っ何を!」


 離れていても、本体の感覚は分かる。

 彼はニヤニヤしながら、なにやら持っていた布に液体を染み込ませて、本体をぬぐい始めた。

 口の端にタバコを挟みながら、ジョットは器用にしゃべった。


「お前、何年も手入れしてもらってねぇんだろ?」


「あ……」


 何十年も積もっていた汚れが拭われていく感覚。

 ほわほわとあったかい気持ちになった。

 っていかんいかん! 流されるんじゃない!

 けれどどうしよう。気持ちよくて仕方ない。本体の中に戻りたい……。

 こんなに大切に手入れされるのなんて、いつぶりなんだろう。

 汚れていた柄がピカピカになっていく。


「ああ、やっぱり綺麗だ……」


「……っ」


 そう言ってうっとりと聖剣(わたし)をながめるジョットに、色気を感じてしまって、自分でも鳥肌がたった。


「そ、そんなふしだらな目で私を見るんじゃありません!」


「はっ。なにをどういう目で見ようが俺の勝手だろうが。それよりお前、戻ってこいよ」


「……」


 ううう、今すぐ本体に戻りたい。

 手入れをしてもらいたい。


「ほら、早く」


「……わ、私はべつに」


 ぐらぐらと理性が揺れる。


「おいで」


 タバコをくわえたまま、ジョットが私を見た。

 私はいつの間にか、本体の中に戻っていた。



「いつから手入れをしていない?」


「……二十二年前」


「二十二年? お前、そんなに昔からこの森にいるのか」


「……べつに、あなたには関係ないでしょう」


「どうしてここにいるんだ?」


「使い手に合わないためですよ。何度も話したでしょう」


「なぜかって聞いてんだよ」


 少し黙ってから、私は口を開く。


「……私はこんな世界、守る価値がないと思っているからです。私はもう、聖剣として戦いたくありません」


「……お前、本当にそう思ってんのか?」


 ジョットが訝しげな顔をした。


「……」


 黙っていると、ため息をつかれた。

 いつの間にか、柄はピッカピカになっている。


「んじゃ、台座から出てる部分だけ、刃も手入れしとくか」


 そういって、彼は丁寧に刃の部分もぬぐってくれる。

 でも、刃の部分なんてもっと気持ちいい。

 だって聖剣の命の部分だ。何度研ぎたいと思ったか。


「ちょ、ちょっと、やめなさい!」


「ほれ、抜いてみ? おじさん、気持ちよくしてやるからさぁ」


「き、気持ち悪いこと言わないで!」


 くそう、こ、こいつ、プロだ!

 なんてうまく刃を磨いてくれるんだろう。もういっそ、この台座から出てしまいたいと思ってしまった。


「これで擦られるとたまんねぇんだ?」


「……っや、やめ」


「ここが好きなの?」


「……ッッ」


「いいよ、もっと気持ちよくしてやる」


 わ、私は誇り高き光の聖剣!

 こんなものに、屈しな……くっしな……だ、だめだぁああ、逆らえん……!

 犬猫が首を撫でられるとしっぽをふるうように、もう何十年も刃を磨いてもらっていない私は、ジョットの手にあがらえなかった。たまらなく気持ちいい。


 ジョットの手は優しい。


 あんなに態度は適当な男なのに、剣のことになると、丁寧すぎるくらい丁寧になる。ものすごく、大切にされている気分になった。

 私には、物としての本能がある。

 使われたい。必要とされたい。大切にされたい。

 これにあらがって生きるのは、本当に大変なのだ。

 その三つを満たしてくれる存在が近くにいることが、苦しくてたまらなかった。


 いくらジョットが私に優しくしてくれたって、私はここから出ない。

 そうわかっているだけに。

 

 結局、その日はジョットにピカピカにされてしまったのだった。

 私は彼に怪我をさせてしまったことに、少し罪悪感を覚えた。

 あの男は気色悪いが、多分悪いやつではないのだろう。

 そう思った。

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