第29話 魔法少年の受難

 シオンと古城の手当てが一段落し、枝里子が自室へ戻ったのは朝方のことだった。

 魔力の急性枯渇と、銃創。どちらも治療が必要な代物だ。

 けれども、まっとうな病院に連れていくわけにはいかない。

 必然的に、サハラの魔法道具と、サンゴの駆使する多種多様な魔法で時間をかけて自前で治療することになった。

 枝里子にできることは、二人の身体をふいたり、術式に必要な道具を探したりするくらい。

 それでも気が遠くなるほど心配し、二人の命に別状がないと知ったときには心から安堵した。

 そして、ベッドにぽすりとダイブする。

 今はなにもかもがどうでもいい。

 すべてから、一旦離れたいだけだ。


 卵が焼ける匂い。トマトの匂い。溶けるチーズ。

 思わずお腹が動いてしまう。

 そんなところで一人でいないで、こっちにおいでと迎え入れられるような。

 夢かと目を覚ますと、どれも現実にあるものだ。

 間違いなく自分の部屋で、自分以外の誰かが料理をしている香り。

「目が、覚めましたか?」

 台所に立つ人間が顔を上げた。

「月影……」

 ベッドで跳ね起きる。

 当たり前のようにそこにいるのは、隣に住む住民男性の姿かたちをした人物だ。

けれども彼ではない。動物的本能で枝里子にはすぐわかった。

 たたき出そうにも、今はシオンの魔力が回復していないため、変身ができない。

 生身の枝里子が相手にかなうとは到底思えなかった。

 それでも、無抵抗だけは選ばない。

「……そう構えないで下さい。鍵、あいてて無用心だったので、ここの警備ついでにご飯作ってました」

 相変わらず勝手だ。

 仮面はなくともこの性質は月影そのもの。

 ひとまず警戒レベルを下げるものの、完全に心を許さない。

「……何が目的?月影」

 コンロの火が消える。

 料理人は、おもいっきり顔をしかめていた。

「うちの家電が全部壊れたので、料理もまともにできなくて、ちょっとキッチン借りてます」

「はあ……」

 思い当たる節はある。

 昨日の、鍋を使った移動魔法。

 かなりの魔力、および周辺環境への負荷がかかると、サハラはご立腹だった。

――魔力の過放出で、科学製品を狂わせてしまったんですね。修理も厳しいと思います。雷に打たれたものだと思って諦めてください。

 サンゴが枝里子にだけ聞こえる声でそう言った。

「たぶん昨日の、ですよね。たぶん、諦めるしか……」

「ですよねえ……あ、昨日は僕の怪我を治癒していただいたみたいで、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ、助けていただいて、大変感謝しています」

 いつの間にか、皿が二つ用意されている。

「冷めるから、食べない?できたら、話しながら」

――スパイスは入っていますが、エリーさんが心配されるようなものは入っていませんよ。

 サンゴの口添えがきっかけとなり、枝里子はベッドから踏み出した。


 フォークでパスタをくるくるとまく。

 スプーンは使わない。

 慣れた手つきでパスタを食べる相手方を見つめ、枝里子は箸でパスタをつまんだ。

「あなたは誰」

 パスタを飲み込んで、彼はにっこりと笑う。

「古城朔夜です」

 あいかわらず、芸名みたいな本名だ。

 身体的特徴は間違いなく名前の人物と一致している。

 それにしては、口調が違うけれど。

 なおも目をそらさずにいると、顔を変えないまま口を開く。

「正確には、魔法で多少外交的な性格が添加された古城朔夜ですね」

 隠されていた真実が見えてきた。恐らく中身はサハラだろう。本物は奥の奥へ押しやられているか、すやすや眠っているに違いない。

「確かに、鍵があいているとはいえ住居不法侵入するなんてね」

 なぜならこんなことは、平生の彼ができる行動ではないから。

「警察には言わないでしょう?あなたもつつかれたくないことのひとつやふたつ、あるはずだ」

「お互いさま」

つくってもらったごはんはおいしい。

それでも、行っていたのは食事ではなく交渉だった。

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