第23話 研究者、歩みを止める

 ビーカーに透明な液体が注がれる。

 細かな泡を浮かび上がらせ、やがては弾けて消えていく。

 白衣の女性はおもむろにビーカーを手に取り、中の液体を煽った。

「強炭酸か、あんまり好きじゃないんだけどな」

 空になった小さなペットボトルは、公園のくずかごに投げ入れられた。

 ビーカーは何度か空中に放り投げられたあとかき消える。

 真夏の公園には、夕方といえども遊ぶ子供の姿はなかった。

「おい、エリー」

 咎めるシオンにも、エリーは無反応だ。

「……サンゴ、なんでこいつは科学者のコスチュームになんかなってるんだ」

「それはエリーさんの深層心理が働いているのでなんとも」

「魔法との相性が悪すぎる!」

 髪の毛を振り乱した先には、ベンチに悠々と座る魔法少女もどきの姿があった。

 白衣の下はVネックのトップスとタイトスカート、パンプス。黒の眼鏡に、長い髪の毛をハート型を模した髪飾りでまとめていた。どう頑張っても外見年齢は十代には見えない。大方二十代前半といったところだ。

 誰がみても、どこかの研究機関で勤務する女性、という印象を持つだろう。

「身体強化だって、普段の半分もかからないんだぞ!今すぐ着替えろ!」

「無茶言わないでよ。だったら今日の仕事、やめる?私はそれでもいいけど」

 たじろいだのは、紫の魔法使いのほうだ。

「カヘンを回収しなくても、私は別に困らないから」

 乱れた呼吸を吸い込んだのは怒鳴るための予備動作だったのか。

「シオン」

 サンゴの牽制が、彼の理性を総動員させる。

「エリーさん、私たちはあなたに無理強いをさせてしまったのかもしれません。今後のことは、改めて話し合いましょう。だから今日の仕事は、全うしていただけませんか」

 エリーは無言で、ポケットから細いタバコを取りだし、火をつける。

 返事のかわりに煙が昇っていった。

「……どうしてもやる気がないというのなら、仕方ありません。シオンの憑依魔法を使ってでも、あなたを現場まで連れていき、カヘンを回収します」

 エリーの吐いた息が、シオンの髪にまとわりついた。

 まだ長さの十分にあるタバコが、口許にくわえなおされる。

「……サハラさん、だっけ?シオンも、あの人みたいに、目的のためなら手段を選ばずに仕事したらいいじゃない」

「……てめえ」

「了承と受け取っていいんですね?」

 被さるような確認に、エリーの眼鏡が光る。

「好きにとれば」

「上等だ」

 タバコが地面にポトリと落ちる。

 パンプスのかかとが乱暴に踏みつけ、火を消した。

 瞳の色は紫になっている。

「急ぐぞ、サンゴ!」

「……了解です、シオン」

 暮れていく街に、靴音が響いていった。


「狙われたのは、湊満里奈。二十九歳独身女性。進学した理学部の中でも首席だったが、院進学はせず就職。その後、宝くじがあたり、以後は退職。趣味は宝石購入……」

「専攻が地球物理学だったので、鉱物の研究をしていました。つい、昔を懐かしんでしまって」

「大学に戻ろうとは思わなかったんですか?」

「……それは答えなければいけない質問ですか?朧下さん」

「……失礼しました。忘れてください」

 咳払いをした朧下は、気を取り直すように室内を見渡す。

「エリー、もしくは月影は必ずやってきます。必ず我々が守ります」

「別に、あなたたちが守りたいのは私や私の持つ宝石ではなくて、警察のメンツとプライドでしょう?」

 空気が凍った。

「私、疲れてるので、寝室に戻らせていただきます。寝室以外の部屋はどうぞご自由にお使いください。それでは」

 湊は有無を言わさず、堂々とその場を後にする。

 誰かが舌打ちをした瞬間、電気が消えた。

「グ」

 大学ノートを携えた白衣の女性がかつかつと室内に侵入する。

「なんだ、目が見えない」

「落ち着け、エリーか月影が侵入したんだ!」

 シオンは無言で足を早めた。コンディションが悪い以上、早めに片をつけたい。

「なんでこの服は機能的じゃないんだ」

「ノーコメントで」

「しかも破れないしよ」

「普通の服と見せかけて、防刃、耐魔力の機能がついているのが魔法少女のコスチュームですからね」

「くそが」

「エリーさんの姿でそんな汚い言葉使わないで。……お互いの身体に負荷もかかるし、早く仕事を済ませて帰るよ」

「わーってるよ」

 サンゴのナビ通りに目的地の寝室へとついたシオンは、ためらうことなく扉を開けた。

 その瞬間に、眉間に高速で打ち出されたなにかを受けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る