大飽食時代

機人レンジ

おいしそうなお肉のお話

 世はまさに大飽食時代だいほうしょくじだいであった。街中が食べ物であふれかえっていた。


 科学技術の進歩により、人類は飢餓きがを駆逐し、人口爆発による食糧危機もなんとか乗り越えようとしていた。都会を見渡せば、様々な業態の飲食店が乱立している。ドローンが空輸した完全養殖のマグロを堪能できる料亭もあれば、AIによるオートメーション農場で育てられた豚を使用したファストフード店も、この時代では珍しくない。


 食品関連事業が苛烈かれつを極める中、生化学者のインスピレン博士は、有数の実業家であるブッシュネル氏のビルを訪れていた。博士は小さな保冷バックを携えていた。


「これはこれは、インスピレン博士。次期ノーベル賞候補の呼び声高いあなたが、わざわざお越しくださるとは」


 恰幅の良いスーツ姿のブッシュネル氏と、白衣を着こなした細身のインスピレン博士は、ブッシュネル氏のオフィスで固い握手を交わした。


「こちらこそ、各国で多大な貢献をなさっているブッシュネルさんに会えて光栄です。さて、私があなたの元にお邪魔したのはほかでもありません。ぜひあなたと共同で手掛けたい事業があるのです」


 相手が数多くの論文を発表している優秀な科学者であることは、ブッシュネル氏も承知していた。興味を持った実業家は来客用のソファに博士を促すと、自身も腰を落ち着けながらたずねた。


「ほぉ、あなたのような方から直々にビジネスの提案とは。いったいどのような事業なのです?」


「一言でいえば、今までになかった食材を世に広めるのです」


 そしてインスピレン博士は、保冷バッグから真空パック詰めのステーキ肉を取り出した。純白の脂身と鮮やかな赤身に、ブッシュネル氏の喉が鳴る。


「うまそうな肉ですな。しかし何の変哲もない牛肉のようだが?」


「見た目は通常の牛肉と変わりません。しかしこの肉の栄養価は、有機栽培によって育てられたほうれん草とほぼ同等のビタミンCと鉄分が含まれているのです。おまけに、カロリーも従来の三分の一に抑えてあります」


 食品事業は当然ブッシュネル氏も手を出していたが、インスピレン氏が持ってきた牛肉は、それまでまったくお目にかかったことがないものだ。もしかすると、金の卵に成りえる存在かもしれない。


「野菜と同等の栄養価、ですか。あなたがこれを開発したので?」


 がぜん食いついてきた実業家に、次期ノーベル賞候補は自信たっぷりに答えた。


「そうです。遺伝子改良と飼料の改善を重ねた結果、完成にこぎつけました。これが詳しい資料と、そして食品衛生研究所に依頼して計ってもらった成分表です」


 手元の電子端末に送られてきたデータを、ブッシュネル氏は見分した。確かに国の公的機関である食品衛生研究所が太鼓判を押している。肉でありながら野菜並みの栄養価があるのは本当のようだ。


「ふーむ、味の方はどうです? 味まで野菜らしかったら、食肉としては本末転倒ですよ」


「わかっております。ですので、実際に試食してみてください。おい、荷物をこっちへ」


 博士は廊下に待機させていた助手に、小型のホットプレートを持ち込ませた。肉はその場でジュウジュウと焼かれ、香ばしい匂いをあたりに漂わせた。


「では、いただくとしましょう」


 焼き上がった肉にブッシュネル氏がナイフを入れると、刃先を通じてほどよい弾力が伝わってきた。そして一切れ口にした途端、まろやかなうまみが舌を歓喜させた。


「すばらしい! 日本やアメリカの高級牛肉にも引けを取らないうまさだ! これで野菜と同じ栄養も摂取できるとなれば、あらゆる食卓に革命が起きますな!」


「牛肉だけではありませんよ。ピーマンと同等のカロテンを含む鶏肉、さらにトマト並のリコピンやカリウムを含んだ豚肉の開発も進んでいます。いかがでしょうブッシュネルさん。あなたの資金力と私の開発力を合わせて、グルメ業界に新風を吹き込もうではありませんか」


「その提案、喜んで受けましょう!」


 こうしてタッグを組んだ二人は、博士の作り上げた改良型家畜を飼育する大規模畜産場を建設した。各メディアで広告を打ち、ヘルシーな新食品の登場を世間にアピールした。消費者は狂喜した。製品は飛ぶように売れ、各家庭の食卓や飲食店で大いに肉が食べられた。畜産場は二十四時間フル稼働して出荷を続け、併設された屠畜場は牛や豚たちの断末魔が絶えなかった。



 そうして二人の新事業が軌道に乗ったある日。インスピレン博士はブッシュネル氏のオフィスに呼び出された。


「どうしたのです? 浮かない顔をされてますが」


 デスクに頬杖をついたブッシュネル氏は、なげやりに言った。


「我々の商品を批判するやつらが出てきたのですよ。ニューベジタリアンとかいう極端な動物愛護主義者どもです。自分たちは野菜しか摂らず、毛皮といった動物由来の製品は一切売買しない、命の守護者だと豪語している。鶏の卵から作るワクチンすら使わないそうです」


「昔のヴィーガンとかいった連中みたいですね」


「そうなのです。あなたの開発した改良型家畜はあまりに消費されていて、それだけ多くの命を奪っていると主張している。ごらんなさい、デモ隊がビルに近づいてきた」


 博士が窓から外をのぞくと、確かにビルの前を大勢の人々がデモ行進していた。手に手にプラカードをかかげ、『動物の命を奪うな!』『肉を食べるな!』『すべての命は平等!』と高らかに声を上げていた。


「勝手な事を。人間だって動物ですよ。他の動物の命をいただかなくちゃ生きていけない。自然の摂理ではありませんか」


 博士は嘆息交じりに言った。


「そんな摂理を受け入れられない、いや受け入れようとせんのがあの連中です。博士の正論など、蚊の飛ぶ音ほども耳に届きませんよ。我々もやつらを無視したいところですが、懇意にしてもらっている議員が近ごろニューベジタリアン主義に傾倒してましてな。あまり邪険に扱うこともできないのです」


 ブッシュネル氏は腰を上げると、インスピレン博士の肩に手を置いた。


「そこでですが、あなたに頼みがある」


「植物由来の代用肉の開発、ですね?」


 次期ノーベル賞候補はほくそ笑んだ。実業家も感心の笑みを浮かべた。


「さすが、察しが良いですな。これまで市場に出回ったどの商品よりもうまく、本物の肉と見分けがつかない代用肉を作ってほしいのです。ニューベジタリアンどもを黙らせ、野菜を食おうとせん子ども達に手を焼くお母さんたちの救世主を」


 博士はあごに手を当て、しばし思案にふけった。そして脳内で起こったひらめきのショックで背筋が伸びた。


「おまかせください。外見どころか、味まで区別がつかない代用肉を開発してごらんにいれましょう」


 こうしてインスピレン博士は再び研究に没頭した。依頼されて三ヶ月後には、早くも試作品が完成した。一見するとスーパーにも売られていそうなひき肉で、調理されたハンバーグを食べたブッシュネル氏は称賛しょうさんした。


「すばらしい! 本当に動物の身を使ってないのですか? この味は肉そのものだ! 肉汁まであふれてくる!」


「遺伝子改良を施した大豆やトウモロコシのたんぱく質に、特殊なアミノ酸を配合したのです。菜種油から抽出して作った疑似肉汁も混ぜてあるので、味や食感にいたるまで本物の肉を忠実に再現してあります。試食していただいたそちらは代用牛肉ですが、代用豚肉や代用鶏肉、さらには代用魚肉の開発も進んでいます。あと四か月ほどいただければ、売り出せるレベルの商品がそろうでしょう」


「よろしい! 必要な資金はすべて出しますから、そのまま開発を続行してください」


 完成した代用肉は、さっそく大量生産されて各地の精肉店や鮮魚店に並べられた。これもまた空前の大ヒットを記録した。代用肉は他の企業も販売していたが、インスピレン博士の開発した製品はものが違った。名だたる料理人や食通すら、容易に区別がつけられない代物だったのだ。特にニューベジタリアンたちは、この代用肉の登場を歓迎した。ブッシュネル氏は広大な土地を買い付け、森林を伐採し、代用肉の原料となる大豆やトウモロコシを一面に植えた。育った農産物は片っぱしから刈り取られ、加工された後に市場へ出回っていった。



 そうして新事業が再び軌道に乗ったある日。インスピレン博士はブッシュネル氏のオフィスに呼び出された。


「どうしたのです? また浮かない顔をされてますが」


 デスクに頬杖をついたブッシュネル氏は、なげやりに言った。


「今度は代用肉が非難の的ですよ。プランタリアンとかいう極端な環境保護主義者どものせいです。我々の代用肉はあまりに売れるがゆえに、畑を作るための森林伐採を促進させ、かつ不必要なほど植物の命を奪っていると。植物はすべての生命の根幹をなす尊い存在であり、むやみに食すべきではないというのが彼らの主張です」


「そんな連中がのさばってきたのですか」


「そうなのです。ごらんなさい、デモ隊がビルに近づいてきた」


 博士が窓から外をのぞくと、確かにビルの前を大勢の人々がデモ行進していた。手に手にプラカードをかかげ、『植物の命を奪うな!』『緑を増やせ!』『すべての命は平等!』と高らかに声を上げていた。


「気のせいでしょうか、以前ニューベジタリアンのデモ隊にいた顔が何人がいるような……」


「かもしれませんな。ああいった市民活動に参加することが、飯の種になっている連中もいるのです。彼らにとって大事なのは植物の命ではない。我々のような成功者をやり玉にあげて名を売ることです」


「バカバカしい! 動物や植物がかわいそうだから食べないのは勝手だが、なぜ私たちばかりが非難されなければならんのです!」


 自身の仕事に誇りを持つインスピレン博士にとって、憤慨すべき事態だった。ブッシュネル氏は深いため息をついた。


「例によって、懇意にしてもらっている議員は最近プランタリアンに転向して、改良型家畜の肉か、祈りと涙を捧げながら代用肉を食しているそうです。なのでやはり邪険には扱えない。まったく商売あがったりだ。何かいい知恵はありませんか、博士?」


 天才のインスピレン博士も、これには頭をかいた。


「そうは言いましてもねぇ。動物もダメ、植物もダメときたら何を食べればいいのです? 戯言たわごとを抜かす連中には石でもかじらせておけば……」


 そこまで言って、博士はひらめきのスパークに背筋を伸ばした。


「石……そうですブッシュネルさん! 石です! 石は命など持たないではありませんか!」


 こうしてインスピレン博士は三度みたび研究に没頭した。一年後には新商品の試作品が完成した。それは不思議な食品だった。パンのように丸くふっくらとしているが、ほんのり灰色のパンに似て異なるものだった。


「こっ、これが例の新商品ですか……」


 ブッシュネル氏は息をのんだ。いまだに博士がこれを完成させたことに半信半疑だった。


「そうです。粉末にした鉱物から生成した人工たんぱく質です。まぁ騙されたと思って食べてみてください」


 自信満々の博士に促され、ブッシュネル氏は恐る恐るかじってみた。そして驚嘆した。


「すばらしい! 芳醇な香りが口いっぱいに広がってほのかに甘みがある! 歯ごたえももっちりしていて最高だ! これが石から作られているなど嘘でしょう?」


「いいえ、本当です。粉末状にした珪藻土から有害物質を取り除き、炭素を豊富に含んだ化合物と共に最新の粒子加速器にかけました。つまり元素合成を行い、食用可能なまったく新しい有機物に作り替えたのです。しかも鉄分やカルシウム、さらにはたんぱく質といった様々な栄養素も含んでいるので、実質は完全栄養食と言えるでしょう」


「なんということだ! まるで石からパンを生み出したようだ! キリストですらやらなかった奇跡だ!」


 博士の成し遂げた偉業に、ブッシュネル氏は絶叫した。彼の絶叫はビル中に響いたという。


「『人はパンのみで生きるのではない』。さりとて神の言葉では腹は膨れません。専門外の試みで少々苦労しましたが、動物や植物を食べるのが残酷だというのなら、どんな命も犠牲にしない方法を編み出すのみです」


 博士は達成感に酔いしれつつも、理知的な振る舞いを崩さなかった。


 そうして鉱物から作られた新食物は『生命保全食品ノンライフフード』と名付けられ、各地で販売された。プランタリアンはもちろん、ニューベジタリアンや健康問題で食事制限を設けられた人々に、ノンライフフードは大流行した。完全栄養食なうえに、食べ応えに関しても通常のパンと同じかそれ以上だったのだ。たちまち巷にはノンライフフードを活用したレシピが広まり、一般の人々も食すようになった。ブッシュネル氏は鉱山を買収し、原材料の採取に取り掛かった。夜を徹して掘削が行われ、深夜まで重機の駆動音が響き渡った。



 すべてが順調に思えたある日。ブッシュネル氏は大慌てでインスピレン博士の研究所に電話を入れた。博士は自身の研究所を立ち上げ、日夜ノンライフフードの研究に務めていたのだ。


「どうしたのです? また市民たちが文句をつけてきたのですか?」


 博士は長年のパートナーへぶっきらぼうに言った。いつになっても収まらぬ言いがかりには、さすがの天才も辟易へきえきしていた。


「博士! 今すぐ研究所から逃げてください! もうすぐそこは襲われる!」


「はっ? 襲われる、とは?」


「いいから! 大事な荷物だけまとめて、この後やってくる輸送隊に合流してください!」


 わけがわからぬまま、博士は助手たちに命じて機材や研究データをまとめさせた。そうしてやってきたトラックの一団に荷物をあずけると、博士は迎えにきたブッシュネル氏のリムジンに乗り込んだ。


「一体どういうことです? 襲われるとは誰にですか? まさかテロ組織の標的にでも……」


 博士が問いただした直後、腹の底を震わせる爆発音が後方から響いた。驚いた博士が窓をのぞくと、研究所が燃え盛っているのが見えた。


 そしてその上空には、見たこともない飛行物体が浮かんでいた。河原に転がっている滑らかな石ころを巨大化させたような。


「ロクロッシュ星人だ!」


 恐怖に震えるブッシュネル氏が叫んだ。


「ろっ、ロク、なんですって?」


「ロクロッシュ星人ですよ、博士! テレビをごらんなさい! 奴らはすでにほとんどのチャンネルをジャックしてしまった!」


 ブッシュネル氏はリムジンの天井に装備されていたテレビを起動した。そこに映し出されたものに、インスピレン博士は鳥肌が立った。


 生き物というにはおぞましすぎた。石ころをクモの形に寄せ集めて、サイケデリックな彩色を施した、前衛芸術品のなり損ないだった。しかし不出来な芸術品は確かにしゃべっていた。胴体の真ん中に設けられた穴から、奇妙なアクセントで。


「お前たちヲ我々は監視しテいた。はるか六百万光年のスクイリシー銀河カら、五千年もの長きにわタって。我々はお前たちガ無害な存在でアると信じてイた。宇宙に進出しタお前タちと、いずレ友好的な関係を築こうトも願った。だがその夢はハかなくついえた。お前たち自身が希望を握りツぶしたのだ」


 爆炎が遠方に上がった。あの方角はノンライフフードの生産工場があった場所だと、博士はすぐに気がついた。


「我々は無機生命体でアる。いワば生きた鉱物だ。そしてお前たチは有機生命体であリながら、無機物である鉱物を、物言わぬ同胞たちを食すヨうになった。これは非石道的ひせきどうてきな残虐行為でアり、無機生命体の我々とシて看過できルものではない。よって、自然の摂理を乱しタお前たチには、相応の報いを受けテもらう。地球人たちよ、覚悟するガ……」


 インスピレン博士はテレビのスイッチを切った。額には青筋が浮かんでいる。


「宇宙人ですって? 石っころを食べるのが残虐ですって? なにもかもが滅茶苦茶だ! どうして私の研究はいつも邪魔ばかりされるんだ!」


「気持ちはわかりますよ博士。しかし彼らは本気です。大都市はもとより、世界中の畑や田園、農場や畜産場、ノンライフフードの工場が襲われているのです。どうやら侵略者たちは、我々から食糧を奪って餓死させるつもりのようですな」


「会長! 前方から飛行物体が!」


 リムジンの運転手が、空から舞い降りる巨石を指さした。その刹那せつな、巨石から発せられた光弾が運転席に命中した。運転手は即死し、車体は激しく横転した。


 ブッシュネル氏とインスピレン博士は、割れたドアウインドウからなんとか脱出した。奇跡的に一命はとりとめたが、二人とも額から血を流し、上等なスーツと白衣は黒くすすけていた。ロクロッシュ星人の攻撃軍は、輸送隊へも無差別攻撃を仕掛けている。


「この世の終わりですな。あぁ、まさか我々が人類滅亡の引き金を引いてしまうとは……」


 悲しみの涙にくれるブッシュネル氏に、インスピレン博士は淡々と言った。


「いいえ、ブッシュネルさん。一つだけ方法があります。動物も、植物も、鉱物も犠牲にせず、なおかつロクロッシュ星人の侵略を止める方法が……」


 インスピレン博士は横転のショックでひらめいたアイデアに打ち震えていた。



 この時のインスピレン博士の名案によって、ロクロッシュ星人はほこを収める運びとなった。博士の考案した新しい食料は、ロクロッシュ星人にとってとても人道的、いや石道的であった。彼らは攻撃を止め、逆に新食料の輸入を申し出た。彼らの持つ超越的オーバーテクノロジーと引き換えに。


「いやぁ、一時はどうなることかと思いました。あなたは救世主ですよ、博士」


 とある高級ホテルのパーティーホール。インスピレン博士のノーベル賞三部門受賞のお祝いに、ブッシュネル氏と大勢の関係者が集まっていた。ビュッフェ形式の豪勢な料理が並べられているが、ほとんどが肉料理であった。


「私は救世主になろうとしたつもりはありません。ただ、生化学賞と物理学賞で功績を認めていただけたのは嬉しいですね」


 プレート皿の上に載せられたローストビーフを、博士はおいしそうにほお張った。


「平和賞もでしょう、博士?」


「おっと、そうでしたね」


 博士は照れくさそうに肩をすくめた。


謙遜けんそんしなさんな。あなたが考案した新食料は、いまでは平和食料ピースフルフードという名前で誰もがいただいている。それどころか、ロクロッシュ星人も珍味として認めてくれたおかげで、新たな輸出品まで得ることができた。おかげで私も新たな事業に着手できている。経済的にも、文化的にも、これから地球はさらなる飛躍を遂げるでしょうな」


 博士と共に英雄と称えられたブッシュネル氏も、誇らしげに骨付き肉をかじった。


「そうなることを祈りましょう。もういちゃもんをつけられるのはごめんです。ピースフルフードだって当初はえらく反発を受けて……」


 博士は長年のパートナーの下腹に視線をとめた。


「ところでブッシュネルさん、失礼ですがまた太られたのでは? そんなに脂がのっていると……」


 天才科学者の目の色が、見る見るうちに変わっていく。おいしそうな料理を見かけたときの、瞳の輝き。


「あなたこそ、マラソンにいれこんでるとかでずいぶんシェイプアップされましたな。そのしなやかな筋肉、実に弾力がありそうで……」


 ブッシュネル氏も唇を舐めた。博士の首筋の肉。テーブルに乗っているステーキのように鉄板で焼き、グレービーソースをかけたらきっと……。


「……おっといけない。早く食べきってしまいましょう。コックが手塩にかけて作ってくれた一品ですしね」


 不穏な空気を払おうと、インスピレン博士はローストビーフへ視線を戻した。ずいぶんと失敬な事をしてしまった。食用の肉は、畜産場から出荷される正式なものがあるのだ。そのへんのものを口にするのは下品だ。それに専用の飼料を与えられたものでなければ、完全栄養食としても食えたものではない。


 牛や豚、そして鶏や魚に続く第五の肉とは、そういうものだ。


「そうですね。私もミートサラダを取ってきます」


 気まずくなったブッシュネル氏もその場を離れた。こんな光景が会場のあちこちにあった。誰かが誰かを見ると機をうかがいかけ、すぐに自制せねばと苦笑を漏らす。


 パーティーがお開きになると、インスピレン博士はホテルを出た。外の往来は大勢の人でごった返している。大量の食材が目の前を……。


 インスピレン博士の腹が鳴った。どうやらまだ食べ足りないようだ。とはいえ、こんなところでよだれを垂らすのは非常識だろうと、博士は食欲抑制剤を口に放り込んだ。


 世はまさに大飽食時代だいほうしょくじだいであった。街中が食べ物であふれかえっていた。


(終)

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