第29話 I speak my origin「奨と春と莉愛先生」

 宿に戻りようやく日常へと帰ってきたかと思いたいところだったが、奨も明人も明奈も緊張を隠せない。


 御門家の当主がニコニコしながら食卓を囲う4人目の存在として堂々とくつろいでいるからだ。


「手前勝手にあがらせてもらっているからね。差し入れくらいはさせてもらうよ」


 目の前に置かれたのは、奨も明人も旅の中で一度も手が出ることなかった高級な一品。口入れると、その値段相応の満足を提供する料理に舌鼓を打つ。


「ご機嫌取りとは。ん、旨いけど、卑怯な」


「ははは」


「懐柔されたわけじゃないからな。あくまで今まで言う必要がなかったから、今回いい機会だっただけだから」


「分かってるよ」


 御門はさらに天城領でとれた静岡茶園の高級茶葉を用いて作った緑茶を差し出す。明人も明奈も、のどを通すと未知との遭遇を果たし言葉をしばらく失っていた。御門はしてやったりという満足そうな顔で笑う。


 奨のその際に自分の荷物の中から1つの懐中時計を出し食卓の中心に皆が見えるように置く。白銀の貝にも見えるそれを開くと上の殻の裏に写真が貼ってあった。


(コレ、春先生が持ってたやつだ)


「これは俺が故郷の島にいた頃に問った写真だ」


「これ、デバイスですよね?」


 明人が自慢げに見破ろうとしたところを明奈に先に越され出鼻をくじかれ固まる。しかし、気づけたのも明人のデバイスとテイルに関する教えがあってこそ。


 思わぬ成長の証を見て奨は少しご機嫌になった。


「そう言えば明人くんはどれくらい昔の話を聞いたことがあるんだい?」


 フリーズ状態から解除され、明人は旅の記憶を遡る。


「こいつがどういう目的で旅をして、どういうヤツが敵なのかは詳しく教えてもらったけど。そいつの昔話はされたことがなかった」


「喜んで話す内容じゃないからな」


 奨はしばらく目を閉じ、己の中にある過去を向き合った。そして、太刀川奨が生まれたルーツを話し始める。






 彼に残っている最古の記憶は、傭兵団に連れられて故郷の孤島にやってきたところだ。


 そこには集落があり、農地があり、多くの瓦屋根の見える木造建築が並んでいたまさに倭の国の原風景というべき場所。


 多くの子供たちが町を自由に駆け巡り、笑顔という見たことのない奇妙な顔で走り回っていた。島は傭兵団の本拠地であり、依頼先で見つけた子供と共に生活をしている楽園だったのだ。


 奨をある場所から救い出した傭兵、名前を太刀川莉愛たちかわ りあといった。ベージュの長髪に黒の瞳が特徴的で、背は平均的な成人女性より少し高く、誰に対しても柔らかな態度を持つ一方、帯刀のしている姿が棘を持つことを悟らせるその女性。


 彼女は自分で面倒を見ると他の仲間に言い、奨を自らの家へと連れて帰ったのだ。


『君も今日から私の仲間。よろしくね。生きててよかったって思ってもらえるよう、頑張るから』


 莉愛の家にもまた数人の子供が一緒に暮らしていた。どの子も偶然奨と同い年だった。


 奨は莉愛と一緒に暮らしながら、奨を含め子ども達は日々の生活に必要な労働を手伝った。


 昼は、莉愛の管理する畑や田でお手伝い、または傭兵団の一員が先生となっている寺子屋で勉強する。午後5時から7時までは自由時間。夜ご飯を食べて、寝る準備をして寝る。


 毎日が繰り返しで穏かに過ぎていく。木造一戸建ての住宅で、奨は莉愛や共に暮らす子供と共同生活をしていた。


 元々いた子供たちは奨を歓迎した。生活に慣れるようにいろいろと奨に物事を教え、仲良くしようと積極的に話しかけていた。奨もそれを拒まずコミュニケーションを取っていた。


 しかし当時の奨は、可愛げのない子という表現で表すのが相応しい。1年も誰かと一緒に暮らせば、人間関係に進展はあるものだが、奨の場合はそれがなかった。


 話しかけられれば話す。必要なことはやる。嫌な顔はせず、良い表情を莉愛や他の生活仲間たちに見せていた。


 一方で、自分から誰かに話しかけることはなく、誰かと一緒にいようともせず、1人で座ってたり寝転がっていたりする。


 奨は子どものくせに自分の感情を露わにしない。見せるのは愛想笑いに見える笑みだけ。痛い思いをしても、意地悪されても、笑うか真顔か。


 一緒に住む子供たちは、当時さすがに困惑し始めていた。どう接したら心を開いてくれるか分からないと。


 莉愛が育てている子供たちは、彼女の教育がしっかりしているからかいい子たちだった。だからこそ、当時の奨を心配してしまうのだ。何か自分たちが奨を困らせているのではないかと。


 莉愛もそれは把握し、3日に1回程度、自身の本業に影響が出ない程度で奨と何度も言葉を交わしていた。


 奨は自分はこのままでいいの一点張り。皆と一緒にいられるだけで幸せだから、それ以上は何も望めないと。


 それだけを常に訴える彼を、莉愛は認められない様子だった。


 莉愛は奨のように、自分が幸せだと思ったことはなかった。当然今の暮らしに不満はない。人間であるにも関わらず、満足いく生活を送ることができているのだから。


 それでも莉愛には夢があった。それは、いつかこの小さな島から飛び出して世界中のいろんなものを見て回るという夢。そんな莉愛から見て、奨は未来に希望を持っていない様子に見えたのだ。


 現に奨は口にした記憶はないそうだが、ある日においては、居場所をくれた莉愛先生の為なら命を賭けてもいいくらい好きだしいつ死んでももう悔いはない、と言ったらしい。


 当時、奨はまだ9歳になったばかり。彼にはあまりにも、個としての感情が希薄すぎる。


 莉愛にとっては、奨が人間らしく生きられなていない、思考を歪められてしまった〈人〉の被害者だと映ったそうだ。


 そして、その様子を近くで見ていた幼馴染、春もまた、悲しそうな目で奨を見る莉愛を見て、奨の意志に納得を示さない1人だった。


「ちょっとあなた! 何、莉愛先生を悲しませているのよ」


「それは気が付かなかった。申し訳ない。今度から話さないように避けるよ」


「はい? ……なんでそうなるのよ!」


 春はものすごく怒った顔で迫ってくる。いままで喧嘩どころかちょっとした言い合いもしたことはなく仲良くやっていたつもりだけあって、奨はその時ものすごく困惑した。


 本人は物事をスパッと言うタイプで、春が何が気に入らないのかを奨はすぐに把握した。


 莉愛先生は奨にもっと我を持って生きてほしいと願っているが、奨が応えてくれないこと。もっと自分やみんなと仲良くしてほしいと思っていること。


 しかし、当時の奨にはそれの何がいけないのかが本気で分からなかった。


「奨、楽しそうじゃないんだもん。私たちは一緒にいて楽しいけど、奨はいつも愛想笑いばっかり。奨は楽しいのかなって」


 春は奨の表情を見て不機嫌そうに頬を膨らませる。


「いっつもそう! なんか奨ってロボットみたいなの! 愛想ばかり良くして」


 奨が知る由もなかったが、当時の彼には表現すべき個性というものがあまりにも希薄だった。


 何かを欲する欲望もない、将来への希望もない。現在においての欲望もなければ、不満や怒りを覚えることもない。ただ穏やかであるだけ。


「もっとやりたいことがあれば言いなさいよ!」


「特に。強いて言うなら、みんなの役に立てればそれで幸せだ」


「嫌なことがあれば言いなさいよ!」


「それも特にない。俺はみんなのなかで一番新入りだから、遠慮は俺がすべきだ」


「そうじゃないのー! 奨はもっとみんなになんでも言っていいの!」


 春はどんどんと奨に、いろいろと言葉を浴びせる。その内容は徐々にただの罵詈雑言になっていく。奨はそれを微笑みながら聞き入れ、嫌そうな顔も、悔しそうな顔も、悲しそうな顔もしなかった。


「俺のためにそんなに言ってくれてありがとうな」


 これで春の堪忍袋の緒は切れるどころかその袋が木っ端みじんになる。


「明日から私のものになりなさい! 先生を悲しませるお前みたいなやつ、私がさいきょーいくしてやるんだから!」


 そんな流れで、春は次の日から付きまとってくるようになったのだ。






「ちょっと、そっちの仕事やってるでしょ! 手伝いなんて断りなさいよ!」


「俺のなんて後でやれば済む」


「だめー! そういうのがだめなの! 嫌だと思ったときはちゃんと嫌って言って」






「な……私にパシリにされて悔しくないの? ウザいとか思わないの!」


「思わない。君が良く思ってくれるなら」


「ちがーう! 嫌ってときは嫌って言いなさいよー!」


「嫌じゃないって」

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