第89話 退治屋の話⑬

正は口に咥えさせられていた猿ぐつわを右手でおもむろに剥ぎ取った。ちなみに、先ほどの正のラノベのゴブリンの口癖ような咳は、この猿ぐつわのせいであったようだ。

ダラダラとだらしなく垂れる涎。


「そんな。ただ……し?」


「正クン?」


茫然とする三人に向かって、正の口が大きく開かれた。

そして、思いもかけなかった展開が始まる。



「ゴホッ! 酷いよ将吾!! コレ、キミのイタズラなんでしょぉぉぉぉぉぉ

っ!?」


「「……へ!?」」


「正が喋った」


予想外にも予想外。突然言葉を発した正に対し、将吾と中島はマヌケな声を、美鈴は呆然とそのまんまの状況説明を発した。


「ゴホッ! 目がぁ、目があぁぁぁぁぁ!」


そしてベッドの上で目を押さえながらのた打ち回る正。

三人はこの状況が把握しきれず、ただ遠巻きに茫然とその光景を見つめていた。


「だ、だから、ゴホッ、言ったろう。正君には何もしないって」


三人が声の主に向かって振り向いた。ガリ先生だ。


「先生、これって……」


「ゴホッ! ま、正君は、ゴフッ! 普通に、回復して目、目が覚めただけだよ!」


「「「……へ?」」」


またしてもマヌケな声をあげる三人。

一拍置いて、将吾が両手を前に突き出し、大げさに「ないない」という意味の手ぶりをブンブンとした。


「……いやいやいやいやいや、ないでしょ! だって、目がゾンビアイなんだぜ!?」


「しかもでヤンス、ゾンビに噛まれて倒れたら、ゾンビになるか死ぬかしかないはずでヤンスか!?」


先生はあちゃーという顔とポーズをつけながら答える。


「……あのね、結果論だし経過観察での予想の範囲なんだけど、ゴホッ! ま、正君は出血性ショックで倒れてただけだったんだよ。そして……」


ガリ先生は両手の指で自分の瞼をこじ開け、くわっという感じで三人に顔を向けた。


「催涙ガスなんて食らったら、誰でも目は充血するでしょ!?」


「……」


ガリ先生の目も、よく見れば充血により真っ赤に染まっていた。

将吾たち三人は呆けたような顔をして、それを見たまま固まる。


「えっと、それって……」


よく見れば、ナースや廊下から部屋の中を見ている警部部の人まで、真っ赤な目をクワッと開けて三人を見つめていた。


「そうよ。正君は、発症しない不顕性患者だったってことよ。普通に、助かったのよ。ごほっ!」


「……え、えぇ~」


「なんなんでヤンスか。。。」


将吾と中島はやっと事態を飲み込んで力が抜け、膝から崩れ落ちた。


「目がぁ、目……おぶゥ!?」


「正!!」


そんな中、美鈴だけは正に突進し、彼の頭を胸に抱きかかえた。


「もうっ! 正、心配したんだし!」


美鈴はそう言って正の頭を更にグリグリと胸に押し付ける。

美鈴の表情はガスマスクで伺うことはできないが、声色からしてその中は涙と鼻水で溢れかえっていることだろう。


「ちょ! 美鈴なの!? 柔らかい! 柔らかくて気持ちいいんだけどお! ちょ! 息がぁ、息があぁぁぁぁ!!……ぐふっ。」


「ちょっ! 正!?」


「「正」クン!?」


胸の中でぐったりと動かなくなった正に気付いた美鈴が彼を引き離すと、そこには白目……と言うか赤目を剥いて口から泡を吹いた正がいたのであった。


「正!? 正!」


ガクガクと正の肩を持って揺さぶる美鈴。

正は苦しいのか嬉しいのかよく分からない表情のまま、壊れた人形のように揺さぶられるがままぐにゃぐにゃと動くだけであった。おそらくは窒息で気絶したのだろう。


「正!」


将吾は正に近づこうと踵を返す。

しかしその瞬間、肩にガシッと手の感触を覚えて動きを止めた。


「……さて。このオトシマエは、どうやって着けるつもりなんだろうね?」


将吾はギギギという擬音が聞こえてきそうな感じで振り向くと、そこには鬼の様な……というよりゾンビの様な様相をしたガリ先生が立っていた。


「は、はは、ははは……」


「ふ、ふふふ、ふふ……」


引き攣る両者の表情。


それを見て中島が心の中でググッと拳を握る。


頑張るでヤンス将吾クン!

ここは、何としてでも誤魔化さないとマズイ場面でヤンスよ!

何か、何かいい言い訳をするんでヤンス!


「て、テヘペロ……ってか?」


一瞬の静寂の後、中島は膝から崩れ落ちる。

頭の弱い将吾に期待するほうが間違いであった。



「正! 正ィィィ!」


ガクガク。


「このクソガキどもが!!」


「ごめんなさい~!」


「待ちなさい!」


「おいっ! 手錠を外しやがれ!」


「ひいィィィ! お助けでヤンス~!」


……彼らの修羅場はまだ続くのであった。



こうしてこの後、三人は再び大人たちにこってりと大目玉を食らうことになる。


尚、正が目を覚したのは更にひと晩夜が明けてからであった。



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