第31話 はじめてのさつじん

「……やっちまった」


気が付けば、女は血の海に沈んでいた。

無我夢中で風林火山ぼくとうで殴り続けた結果である。


女の痣だらけの腕はあちこちで骨折しているらしく、不自然に曲がっている。

よく探偵モノの創作で出てくる、凶器から身を守るために受けた防御創というものではなく、何度ブン殴ろうと折れようと怯まずに僕を捕まえようと腕を差し出し続けた結果である。

そして、頭には致命傷と思われる傷があり、そこから大量の血が流れ出ていた。


どうやら、僕は……人を殺してしまったらしい。


「どうやら」といのも、突然降り注いだ非現実中の非現実。

なんだか現実感がないからだ。

これは夢ではなかろうか……とか思ったが、風林火山ぼくとうを握る手に残る人を殴った嫌な感触と衝撃による痛みがそれを否定していた。


「どうしよう……」


風林火山ぼくとうは僕の手から落ち、カランと音を立てて床に転がった。


女は僕に危害を加えようとした。

実際に加えられた訳ではないが、401号室の惨状を見るに間違いなくそうだろう。

正当防衛。

そう、これは正当防衛であり、止むを得ない結果なのだ。

そう自分に言い聞かせてはみたものの、滲み出てくる罪悪感を騙すことはできなかった。


罪悪感もそうだが、現実にこの状況をどうすべきかという問題もある。

通謀して弁明しようにも警察には連絡つかないわけだし、そうなると死体の処理も始まらないわけである。

とにかく自分でなんとかするしかないのだが、まさか自らの手で死体を処理、しかも自分で殺したモノを処理する日がくるなんて夢にも思ってなかったわけだから、どうすればいいか本当に判断できないのだ。


いろんな面で、実に厄介なことになった。


何はともあれ、いろんなことがありすぎて、今は何か考える気分ではないな。

この光景も不快だが、返り血や吐瀉物で汚れた衣服もかなり不快だ。

とりあえず、いちど部屋に戻ってシャワーでも浴びてサッパリしたい。

この後のことは、それからゆっくり考えよう。

幸いにも今は12月。

ひと晩で酷い腐敗とかはないだろうし。


連絡がつくなら、山田さんにこのことを伝えてアドバイスをもらいたいな。

自分ひとりで考えて行動したとしてどんな選択を取っても後悔しそうな気がするし、他人に選択を委ねてしまったほうが楽だしな。


僕はゆっくりと立ち上がり、よろよろと階下へと歩み出した。

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