第61話 退院祝い

「えーっと、これ、着るの?」

「もちろんです」

「これとかこれもいいですけど、天センパイはフォーマル系がいいかなって」

「いや、まあ、うん。着るよ」


 紳士服売り場で、天は思わぬ苦境に立たされていた。

 海智留みちると真波が、これでもかというくらいに服を推してくるのだ。珍しいことに、二人の意見がぴったりで、


「トップスはこれですね」

「んじゃ、下はこれでどうだ?」

「いいですね。では、このネクタイとこのジャケットも合わせて……」

「へえ、良いの選ぶじゃん」

「天さんのためならば、当然です」


 とまあ、意気投合して、天のためにと、いくつも服を持ってきた。


「さすがにこんなにたくさんは試着室に持ち込めないよ?」

「安心してください。そのために私たちがいます」

「まま、とりあえずこれを着てみてくださいよ」


 仕方なく、天はジャケットとシャツを持って試着室へ。

 黒のジャケットに白のシャツ。奇抜な色でないだけマシかと思う。

 着替え、二人に見せると、


「ほうほう、やはり似合いますね」

「んじゃあ、次はこれだな」

「こっちも合わせてみましょう。服を選び終わったら、靴も見にいきたいですね」


 おてやわらかに、とだけ伝えて、天は二人の持ってきた服をいくつも試着してみた。

 どれも、好みに合ったらしく、どれを買うかでとても悩んだ。二人が。

 天は、特に自分の服にこだわったことがない。近所の服屋で、適当に選ぶだけだ。


 二人の悩みっぷりは想像以上だった。あれがいい、これもいい、とデザインを試行錯誤している。

 自分の服を選ぶのに時間がかかっていると、なんだか申し訳ない気分になる。選んでいるのは、海智留みちると真波なのだが。


「……今日の所は、これにしましょう」

「……そうだな。他のは、諦めよう」

「あ、決まった?」


 どうやら、候補から絞れたらしい。


「今日は、このジャケットとシャツで」

「それじゃ、会計行ってくるよ」


 ものを受け取ろうとしたら、なぜか海智留みちるは渡さず、


「いえ、これは私たちで」

「天センパイの退院祝いです」


 そう言って、さっさとカウンターに持って行ってしまう。


「そんな、悪いよ」

「お気になさらず」

「お祝いですよ、天センパイ」

「いや、それでも……」


 どうしても二人は譲る気はないらしく、会計をすませてしまった。


海智留みちるさん、真波ちゃん」

「もう手遅れですよ、天さん。はい、受け取ってください。返品は聞きません」

「次に出かける時は、これ着てくださいね」

「……うん」


 天は少しためらったが、受け取った。申し訳なくも、ありがたい。

 二人は満足そうだった。さらに、


「では、次は明日ということで」

「明日は部活だ!」

「では、私と天さん二人きりですね!」

「てめっ、少しは遠慮しろ!」


 もう慣れたやり取りを見ながら、天は目を細めた。

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