11 あるじを待つ夢の家 ②


 鍵をあけて二人をなかに通すと、ヴェスランは鎧戸を開けてまわってから、茶の準備をはじめた。新しいコンロは難なく火をつけた。リックとマルは、二階から見てまわると言って上がっていった。


 湯が沸くまでに、周囲だけ簡単にチェックする。こぢんまりしたリビングには家具がそのまま残っていた。通いの家政婦にもたまに掃除を頼んでいるので、きれいなものだった。ほこりよけの布にも、まだなにも積もらないくらいの短い不在だ。


 窓辺の一角には三人掛け程度のソファと小卓、小さな書き物机があって、冬用のひざ掛けがまだソファにあった。今年の春は肌寒かったから、かれらが残していったのだろう。


 家のあるじフィルバートが、そのソファでうたた寝していた場面を、ヴェスランはふと思いだしていた。


 ***


 あれは冬至節の近くだった。王の不在もあり、去年は大きな行事もなく二人はここで過ごしていたはずだ。祝祭用の食材をわけてやろうと夕方に家を訪れたときのことだから、その前日あたりだっただろうか? 

 

 出迎えてくれたのが上王リアナだったのに驚いたが、いたずらっぽい笑みで「静かに」のジェスチャをされた。

 リビングに入ると事態が飲みこめた。家のあるじであるはずの青年は、キッチンではなくソファの上に横になっていた。腕を組み、肘置きに足首あたりをのせて、窮屈そうだが器用にうたた寝しているらしい。


「おやまあ」

 ヴェスランは笑みをおさえられなかった。「あなたは本当に、あの竜殺しの唯一の弱点らしいですな。見てください、あの無防備な寝顔」

「ね、かわいいでしょ。起こしたくないの」

 二人は小さな声で笑いあった。

 自分に見られたと知ったら恥ずかしさで怒るだろうなと思うと、それだけでも来たかいがあるというものだ。


「フィルったらずいぶんはりきって、ごちそうを作ってたの」

 一緒に食材を運びいれながら、リアナが説明してくれた。「だけど、ちょっとくたびれちゃったみたい」


 ヴェスラン自身も料理をするので、キッチンの散らかり具合から何を作っているのか想像がついた。オーブンで保温されているらしい肉の香ばしい匂いに、伝統の小籠包、仕上げを待つばかりのケーキ。

「すごいでしょ? こんなにたくさん、ほとんど一人で作ったのよ。わたしも手伝ったけど……」

「これは、差し入れは要らなかったかな」

 ヴェスランは、網の上で冷やされているケーキの表面をそっとつついた。「うん、空気も入らずきれいに焼けている。はじめての祝祭料理にしては、立派なものだ」


 フィルバートがこの期間限定の新婚生活をどれほど大事にしているかは、料理ひとつを取ってみても明らかだった。まさかあの鬼神が、剣の替わりにケーキナイフをふるう日がこようとは。妙にしみじみしてしまう。


「フィルって、努力家なんだと思うわ。そういうところは、あんまり見せたがらないけど。……剣術もそうでしょ?」

 椅子の背もたれにかけられたエプロンを撫でながら、リアナが優しく言った。ハートレスであるヴェスランにとって、「理解」とはもっともがたく、とうとい愛だ。

「あなたが知っていてくだされば、それでいいんですよ」

 リアナはヴェスを見あげてにっこりし、愛情をこめて前腕を叩いた。「せっかくあなたが来てくれたんだもの、やっぱりフィルを起こそうかしら」

「おかまいなく」 


 思わず彼女を目で追ってしまったのは、下世話な好奇心からとばかりも言えない。青灰色の冬用ドレスを着たリアナが、ソファのほうに近づいていく。部屋の中の質素ながら心地よい調和が、独り身のヴェスランにうらやましさを感じさせた。……日が落ちかけた暗い室内にぽつぽつと燭台が灯り、祝祭の飾りを金色にきらめかせていた。冬至に欠かせない常緑樹と冬薔薇のささやかなアレンジがあった。ウォームグレーのソファに掛けられた厚地の白いケット。美しく、心おだやかな光景だった。フィルバートが、本人すら気づかないうちに長く深く切望していた幸福。


(これは、やはり、お邪魔だったな)


 家の主に挨拶せず帰ろうかと思ったところで、フィルバートが目をさました。近づいてきたリアナの気配を察知してぱちりと目をあけ、腕をさしのばしながら幸福そうに笑った。二人の影がやわらかく重なり……。



***


「……そして、私に気がついたご子息が真っ赤になってうろたえた、というエピソードが、そのソファにはあるんですがね」


 ヴェスランの回想にリックが苦笑いした。例のソファに腰かけ、窓辺から庭を見ている。

「それは、あいつとしても吹聴ふいちょうされたくないんじゃないかねえ」


 ちょうど、お茶を淹れたところ。蒸らしも完璧で、ヴェスランは茶葉の甘い香りに満足した。この用途のためだけに懐中時計を買った甲斐があるというものだ。


「いいんですよ、あんな部下不孝者。私がどんなに苦労して、この素敵な家を買う交渉をしてやったか。今だってこうやって思い出の家を手入れしてやっているのに、連絡ひとつ寄こさない」


 カップを受けとったリックは礼を言い、口に運んだ。

「筆不精は私にもおぼえがあるよ、あまり責めないでやってくれ」

「あなたは自由に放浪してもよいお立場だったでしょうが、今のあの人は――」

 ヴェスランは言いかけて、はっとやめた。「いえ」


 リアナの妊娠については、自慢の情報網を使うまでもなくすでに聞き及んでいた。自身の養子むすこが父親になるという事実が、すぐ目前にせまっている。だが、リカルドにそれをいま打ち明けていいものかどうか。……リカルド・スターバウは快男児でよき養父だが、陰謀渦巻く王宮での処世術というものをひとつも知らない。それでなくても立場の弱いフィルバートにとって、さらなる悪評につながる情報を知らせるのはためらわれる。


 そんなヴェスランの葛藤を知ってか知らずか、リックは庭のほうに目をむけた。ハイドランジアの株の前でマルがしゃがみこんでいる。じっと動かないので、猫かなにかでもいるのかもしれない。


「美しい庭だ。小さいが、いい家だね」

 リックの言葉に、ヴェスランもうなずいた。用意しておいた書類を渡し、あれこれと契約上の注意をする。どのみち、チェックをして実際に判を押すのは家令のレフタスの役割なので、リックは気楽に受けとった。


「レフタスがきみに連絡を取ってくれてよかったよ。あの子は家を売ってしまうつもりだったんだろう? この思い出深い、素晴らしい家を」

「売るだけましですよ、昔のあの人なら家を焼いてるところだ」ヴェスランは肩をすくめる。


「まさか」リカルドは薄茶色の目を見開いた。「そうなのか?」

「敵にはずかしめられるまえに、死んだ部下たちの亡きがらを自分の手で焼いて退却したこともありましたよ、あの人は」

 リックが戦時の話を好まないことは知っていたが、ヴェスランはあえてそう説明した。

「『自分の手に残せないものなら、ほかの者にも触れさせたくない』。変な意味で思いきりがいいんですよ、あなたのご子息は」


「想像がつかないなぁ。私は、部隊を率いていたころのあの子を知らないから」

 リカルドは身体のどこかが痛むような顔をしていた。


 リカルド・スターバウの本懐は自由な剣士の誇りをまっとうすることであり、軍人として自己犠牲的に生きてきたフィルバートとは生きてきた道が違う。でも、この男に育てられたからこそ、フィルは英雄的な上官たりえたのかもしれない。神がかった剣技や戦術が封じられて、明日どころか一秒先の命もわからないというときでさえ、フィルバートはもっとも執念深く希望をかかげ続けていた。その姿勢は、目の前の男から受け継がれたのかも。


 それを裏づけるように、リカルドはしみじみと言った。

「あの美しいひとは、もう息子のもとには戻らないかもしれない。そしたら、これは無駄な買い物ということになる。……だけど竜祖のお導きは不可思議なものだからね。二人でこの家に戻ってくる、ということがあってもいいと思うんだ。私は希望を買いたいんだよ」


「私は竜祖を信じていませんが、どうなるかは最後までわかりませんよ」

 ヴェスランも賛同した。「家を手放さなくてよかったとなれば、あの人は生涯、私とあなたに頭が上がらないでしょう。願わくばそうなってほしいものです」



【終わり】


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白竜の王妃リアナ② 薄明をゆくプシュケ (リアナシリーズ5) 西フロイデ @freud_nishi

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