第41話 友だちなら

 ♢♦♢ ――フラニー――


 想い人に似た、背の高い長衣ルクヴァの姿が間近まぢかにあった。すぐに、うっとうしそうに仮面を取ったのでフラニーはほっとした。……自分でもはっきりわかるほど、鼓動が早まっている。

「サンディ」

 仮面の下にあったのは、幼なじみの姿だった。外見だけはデイミオンとそっくりなこの友人に、フラニーがどきりとさせられたのは今回が初めてではなかった。中身はまったく違うのに。


 内心の動揺をさとられないように、落ちついた声を作って言った。「そんな格好でどうしたの? デイミオン陛下の仮装ってわけ?」


「それは、僕の衣装は陛下に……」サンディは言いかけてやめた。なにか、聞かれたくない事情でもあると見えて、手を振った。「いや、いい」

「連れの女性はどうしたの?」

「適当に楽しんでるさ。そのための仮面だ。……おまえもそうだろ?」

「享楽的な夜会は好きじゃないわ。繁殖期シーズンの務めは神聖なものよ」フラニーはまじめに返した。

「はん」サンディは馬鹿にしたように笑った。小姓を呼び、エールを持ってこさせる。エクハリトス家の男にはめずらしい下戸で、本人もそれを気にしていることを彼女は知っていた。


 二人は入口近くのカウチに座っていたから、広間の動きがよく見えた。客のドレスや仮面についたガラス飾りが明かりを反射して、あらゆる色に輝いている。ダンスの合間に、笑いさざめきながら幾つかのカップルが抜けていく。

(仮面の下が誰なのか、みなわかっているのだろうか)とフラニーは疑問に思った。甘い言葉をささやきかける男も、その胸にしなだれかかる女も、おたがいのことを知らないかもしれないのだ。あるいは逆に、よく見知っている相手を、知らない相手と見間違えているかもしれない。


 エールを数口すすってから、サンディはおもむろに詰問した。

「……それより、フラニー。なんで、あいつにあのことを言ったんだ」


を言った話なの?」フラニーはわざと問い返す。

 サンディはとしてにらみつけてきたが、幼なじみのフラニーに対してはあまり強く出られない。なにしろ小さい頃から青年期の今にいたるまでの、あれやこれやの失敗談を覚えているからだ。


「……ザックに、あいつが懸想していることをだよ」

「だって、あなたが言うと思ったんだもの」フラニーはあっさりと答える。「あなたの口から聞くよりは、私から聞いたほうがいいでしょ。ザックの性格的に……」


 サンディは、叩きつけるように銅のジョッキを置いた。「なんで僕が言うと思ったんだ!」

「あんな場でバラしておいて、当のザックには言わないつもりだったわけ?」

 フラニーも思わず声が大きくなった。「だいたい、どうしてあんな意地の悪いことをしたのよ。リアナ陛下が止めてくださったから、よかったようなものの……」

「あいつばかり注目されて面白くないのは、僕だけじゃないだろ」

「だけど、家の権力をかさに着て粘着質にいじめてるのはあなただけでしょ」

「僕だって、あそこまでするつもりはなかったんだ」

「いかにもいじめっ子のいいそうなことね」


 フラニーはグラスに口をつけ、一口すすった。この幼なじみにはいろいろな欠点があるが、少なくとも素直ではある。要はロールに嫉妬しているというわけだろう。

高価なおもちゃを山と持っているのに、別の子の薄汚れたぬいぐるみを欲しがっている子どものような自己中心さではあるが、理解できなくはない。

「家の後ろ盾のない友人に、自分以上の能力があるなら……。自分の家の力で守ってやろう、盛り立ててやろうくらいのことは考えないの?」

「おまえはそういう優等生っぽいところがあるよな」サンディが嘲笑った。「そんなことだから、昔から欲しいものを手に入れられないんだ」

「自分の欲しいものもわからないでいる子どもよりは、マシじゃない?」フラニーもやり返す。

 二人は陰険ににらみあった。……先に目をそらしたのは、サンディのほうだった。


「……謝るつもりだったんだ、今夜は」サンディはそっぽを向いたまま、くやしそうに言った。


「それなのにあいつは……『北部でのことは、もう気にしていない。おたがい大人なんだから水に流そう』とか平気で言うから。あいつのああいうところが腹が立つんだ、いつも本心を隠して、なにを考えているかわからない」

「それ、今夜のこと?」

「そうだよ。ついさっきだ」

「それで、歯痛の熊みたいにイライラしてるわけ? 私の夜会を邪魔して?」

「おまえの好きな顔だぞ。ありがたく拝んでおけよ」

 ぶすくれた顔ではあるが、たしかに美形には違いない。この男のこういうところがいらだつときもあるが、嫌いになれない理由でもある。


 二人はそのまま黙って酒をすすっていたが、フラニーは考えたのちに口を開いた。

「なんでも打ち明けるのが、友だち……とも限らないんじゃないかしら?」

「そんなわけないだろ。相手を信頼してないから隠すんだ。『おまえには扱えないから関わるな』っていう意味だろ」

「……」

 自分から切りだしたものの、よい反論が思いつかず、フラニーは黙りこんだ。ふり返れば、自分にもそういう一面もあると思った。フラニーは、どちらかといえば周囲に相談せずに自分で解決するほうを好む。ロールもそうだった。


 猪突猛進なザックと俺様気質のサンディが前に立ち、フラニーとロールは文句を言いながら補佐役にまわる――そんな構図が、彼ら四人のなかにはあった。だが今、ロールの秘密を中心にして、四人のバランスが少しずつずれ始めているのかもしれない。


「でも、友だちなら……やっぱり力になってあげたいわ」フラニーは、ぽつりとそうこぼした。



 ♢♦♢ ――リアナ――



 目の前に、背の高い男の影が差した。リアナはいぶかしげに顔をあげた。ついたてを押しやるように現れたのは、仮面の男。


 一瞬、デイミオンかと思った。体格と髪の色は、たしかに夫の姿だった。だが、仮面をつけているうえ、ごてごてと派手な黒の騎兵服姿のせいで、はっきりとは言えない。ヒュダリオンにしろサンディにしろ、エクハリトス家の男たちはみな似たような偉丈夫なのだ。並んで立っているか、せめて歩く姿を見ればわかったのだろうが、あいにく見ていなかった。


 いぶかしげに見あげると、「こんばんは、リアナ陛下」と冷ややかな声がした。

「誰? ……デイ?」

「仮面の宴で誰何すいかするのは、無粋ぶすいでは?」

「……その嫌味っぽい口調……。サンディなの?」


 リアナの問いに、男はイエスともノーとも答えなかった。

 猫脚の小卓から勝手に、まわし飲み用のデキャンタを見つけ、さっそく赤ワインを口に注ぎこんでいる。男性らしい顎のラインと、喉仏の動きについ目がいった。大仰な仮面の後ろから、結った黒髪がこぼれ落ちているのも。

 今のデイミオンは短髪だ。だが、つけ毛くらいは仮装の範囲内かもしれない。すばやく思いをめぐらす。


 ――デイミオンなら、サンディと間違われたら怒るはず。そういう反応がないということは、サンディなの? ……少なくとも、ヒューではないわよね……。


 でも、こういう余興めいた場で妻をからかって楽しむのも、デイミオンらしい気もする。どちらだろう?


 リアナの逡巡しゅんじゅんを楽しむように眺めてから、男はカウチの近くにある椅子に腰を下ろして脚を組んだ。


「迷っているのかな? あなたの夫かどうかを?」


 夫に似た仮面の男は、からかうような口調で言った。だが、その声の奥には危険な信号がある。ひとつでも答を間違うと、おそろしいことが起きるような気がする――引き裂かれるか、むさぼり喰われるか。リアナは緊張に身を震わせた。

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