6. 出発の朝、それぞれの道へ

 ♢♦♢ ――フィル――


 出立しゅったつの朝は、稽古ができなかった。


 腕のなかで眠るリアナの顔を飽かずに眺めていたせいで、これが最初ではなかったし、最後にしようとも思いきれない。自分が二流の剣士になってしまったとしたら、それは彼女のせいだろう。


 朝食の席で、ヴィクはにやにやしながら、さっそく「ゆうべはずいぶんとお楽しみだったんですねぇ。稽古にもいらっしゃらず」とお決まりの冷やかしをし、フィルを憤慨ふんがいさせた。楽しんでなんかいるもんか。俺は奉仕しただけで――彼女だってすぐに眠ってしまったし。……でも、久しぶりに自分の手で果てる彼女を見て征服欲が満たされたし、夢うつつに彼をねだってくる甘い声も良かった……。


「うわっマジでにやけてると引くな」

「黙れ」

「わー暴力はんたーい」

「あんたたち、もうちょっと行儀よくしろよ!! 成人おとなだろ!?」

 ヴィクとフィルは塩の瓶を投げたりかわしたりし、リックにかわってナイムの雷が落ちたりした。そのリックはのんびりとマルの世話をしている。


 昨日までと違うのは、女主人がいないことだった。

 早朝、竜騎手ロレントゥスが迎えに来て、リアナは王都へと戻っていったのだ。かいがいしく彼女の世話を焼く美貌の竜騎手を見るのは面白くなかった。自分があの位置に戻りたいというわけではないが、別の男がその座を得るのもしゃくにさわる。


 リアナがそこにいると聞いたマルは、急に王都への興味がわいたらしかった。「いつ行くの? お城に寄る?」とリックを質問攻めにしている。


 食堂に集まった男たちは、マルも含め、みな旅装だった。食事がすむと、すぐに館を出ることになる。リックもフィルも放浪癖があるし、おたがいに慣れたやりとりだ。

「今度はどこに行くんだ?」

「俺は南だな」

 フィルの問いに、リックがヒゲを撫でつつ答えた。「坊主どもが海を見たがってるし、サルシナ河を下って行こうかと思ってるよ」

「海か。いいな」フィルはその考えにもそそられたが、結局やめた。指輪の効用がどこまで届くか、はっきりしないからだった。

 リアナから離れたいが、完全に自由になりたくもない。剣としてそばにいることも棄ててしまえない。指輪は、そういう自分の煮えきらない執着のあらわれだ。


 だが、いつ使うのかは、リアナに任されている。フィルは、先ほどのリアナとのやりとりを回想した。


「指輪……このまま、身に着けていてくれる?」彼が尋ねると、リアナは「ええ」とほほ笑んだ。

「〈呼ばい〉に似た機能はあるけど、あくまで疑似ぎじ的なものだから。本当に危険になる前に連絡して」大事なことなので、そう念を押す。

「うん」

 リアナは愛おしげに指輪をなでた。「たぶん、使い道は決まったわ」


(使い道? ……)

 先ほどは疑問に思わなかったが、ふり返るといぶかしい点がある。剣としてのフィルの腕を求めるような危険に、心あたりがあるのだろうか?

 だが首を振った。シジュンからの報告では(善意の情報共有といったほうが近いが)、デイミオンの件以外でさしせまった不安要素はなさそうだった。彼女のことだから、案外「顔が見たい」くらいの用事で使ってしまうつもりかもしれない。


「おまえのほうは、どこに行くつもりだ?」もの思いを破るように、リックが尋ねた。


「……南西へ」フィルは考えつつ答えた。「人間との混血が多い土地で、きな臭い動きがあると聞くから。俺になにかできることがあるかも」

「そうか。まぁ死ぬなよ」

 リックは息子の肩をたたいた。頬から顎にかけてのヒゲに手を当てつつ、いくらか照れくさそうに言った。「昨日のスピーチは立派な領主ぶりだったらしいな。リアナが教えてくれたよ」

「俺に家督を譲ってよかっただろう?」フィルは冗談めかして聞いた。彼の養子は、フィルやレフタスをはじめとしてたくさんいる。だから別に領主の座が欲しかったわけではなく、養父孝行くらいのつもりで引き受けたのだった。


「おまえを戦争に行かせたくなかったんだよ。それが、跡継ぎに指名した理由だったんだ」

「え」あまりに意外な告白に、フィルは固まった。「そんなのはじめて聞いたけど」


「おまえは若くて格好つけで、すぐ死にそうに見えたからな。重石おもしになればと思ったが無駄だった。……結局、英雄なんかになって帰ってきやがった」

 リックはほろ苦く笑った。「まぁ、ままならないものだな、子どもっていうのは」


「そうか」

 結局のところ、フィル自身にも自分が何者になりたいのかわからない。剣士か、英雄か、女王の愛人か。あるいは自分の望みは、領主や夫や父になることなのか。旅から戻るときには、ひとつくらいは答えが出ているといいが。肩をすくめ、養父や子どもたちを見おくって、フィルは荷を乗せた愛竜が待つほうへ向かった。




【間章・終わり】

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