第20話 長い一日の終わり


 王の居室として案内されたのは、かつてメドロートが使っていたという部屋だった。北部領主の住まいにふさわしい、暖かく豪奢ごうしゃなしつらえで、樫の巨大な寝台には同じくらい巨大な毛皮のベッドカバーがかけられていた。ちょっとした飾り物などに亡き大叔父の素朴な趣味があらわれていて、なんとも言えないせつない気分になった。ナイルとルーイは、執務室に近い部屋を使っていて、そちらは母エリサの部屋だったと説明してくれた。


(この城には、たしかに母たちの気配が残っている)とリアナは思った。(でもやっぱり、掬星きくせい城が恋しいわ)

 この一年をふりかえり、デイミオンと過ごす王の居住区が急に遠いものに感じられた。ナイルはここが彼女の城でもあると言ったが、できればそんな事態にはならないでいてほしい。彼自身の氏族が子宝に恵まれれば、リアナは王国にくわえて実家の領地の経営にまで頭を悩ませずに済む。……



 結局、竜騎手たちが古竜同士のいさかいをおさめるのにはそれほど時間はかからなかった。雄竜の争いは、洗練されていて形式的だ。威嚇いかくしあい、小突こづきあってたがいの実力をしはかり、電光石火で勝敗がつく。野生の生き物は、無駄な争いでたがいに消耗しあわないようにしているのだろう。


 レクサのもとにふたたび序列が構成しなおされた雄竜たちの群れを前に、リアナはうらやましい気持ちになった。竜騎手たちもあれくらいあざやかにケンカしてくれれば、手綱たづなを取るのにももっと楽だろうに。

 リアナを王ではなく女性として品定めするような発言をした、ザックやサンディのことを思いだして苦々しくなる。

 自分ではなくデイミオン相手なら、彼らもあんな舐めた態度はとらないだろう。上王という立場が王より劣っているというわけはなく、単純にリアナが女だからだ。ロールにしても……

(いや……ロールの態度は、よくわからないわね)

 嫌味ばかりかと思えば急に「あなたの誓願騎手にしてください」などと言いだす随身ずいしんは、今は寝室の前で護衛に立っている。なにか悩みがありそうなのだが、いまは彼の事情にまで気を回している余裕がない。


 大きめの長椅子を寝台がわりにして、ミヤミがさっさと仮眠に入るのが見えた。ハートレスの兵士だから、眠っているように見えても部屋の隅々まで意識をめぐらせていると知っている。リアナの寝じたくは、ルーイから借りた侍女が整えてくれた。長い一日だったが、ようやくベッドに入れる。糊のきいたベッドシーツからは、かすかに樟脳とパチュリの匂いがした。


 さまざまな考えが頭を忙しくしていて、すぐには寝つけなかった。ナイルから聞いたデイミオン来訪の一部始終、レーデルルの異変と予言めいた言葉、そして急に復活した〈血の呼ばい〉……


〔デイミオン〕

 そっと呼びかけてみても、応答の感覚はなかった。しかし、通路はそこにある。まどろみに似たぼんやりとした気配でしかないが、デイミオンの存在をしっかりと感じられる。

 どんな理由で復活したのかはわからない。でも、今はこの〈呼ばい〉がありがたい。わずかなつながりは、きっと救出の役に立つだろう。


 一刻も早く、夫デイミオンを取り戻したい。だが、行動を移すには情報が少なすぎる。〈冬の老人たち〉の意図を探るための、あらゆる情報が……。


 リアナは眠りに落ちた。


 夢のなかで、彼女はメドロートになっていた。寝台も、廊下も、長身の男の目線からは驚くほど低く小さく見えた。巨体に似合わない優しげな手つきで竜を世話し、広間では子どもたちがまとわりつくのにまかせ、領民たちの声にも耳を傾ける……。それはあまりにも彼らしい、理想的な領主の姿で、恋しさのあまりに自分の脳が生んだ幻影まぼろしではないかと疑った。

 そうではないと気づいたのは、伝令竜舎バードケイジに足を踏みいれてからだった。訓練された小型の飛竜が、専用の巣箱で休んでいる。窓からはときおり飛竜がぱたぱたと飛びこんできて、吊りさげられた細長いガラス製のチャイムに当たっては、涼やかな音を鳴らした。暗号を読み解くための小さな書き物机に座っていると、どたどたと騒がしい靴音がする。薄汚れたブーツが目に入った。



伯父上おじうえ。いま、帰ったど」

 筆をとめて顔をあげたメドロートの目に、見知らぬ娘の姿がうつった。ぼさぼさの茶髪に痩せた身体、意志の強そうなぎらりとした瞳はゼンデン家のスミレ色。

(これは――このは、まさか――)

 夢の中で、リアナの意識が疑問を投げかける。だが、メドロートは構わずに彼女に椅子をすすめ、あれこれと話しかけていた。

「今回は、もんごい(残念な)ごどだったな。竜騎手さなるための、せっかくの狩りだば……」

「ひしょねえべ(しかたない)。伯父上のせいでねぇ」娘が答える。

「見とどけ役の竜騎手どもは?」

「一足先に王都さ帰った」


 メドロートは、書き物を続けながら、なおも問いかけている。

「で、どうすっぺ? ……エクハリトス家のレヘリーン卿が、新しい王として即位なされる。(あなた)は、その〈血の呼ばい〉を持つ後継者だ」

「おれ、王太子なんぞ、やっちゃぐね(やりたくない)。……伯父上も知ってっぺや、おれは竜騎手ライダーになるって」

 ……


 場面が変わり、次は娘が出立しゅったつするところだった。白銀の鎧に身を包み、歴戦の戦士のように落ちついて竜にまたがる少女の姿に、メドロートは深い感慨かんがいを覚えていた。あのは誰よりも強く、狡猾こうかつと陰口をたたかれるほど用心深い。あのなら大丈夫だ。きっと良い王になる。そして無事に北部領ここへ戻ってくる――。


 そのころには、メドロートの身体を借りたリアナの意識も悟っていた。目の前にいるのは、彼の姪。リアナと同じように、かつてはライダーに憧れた少女。その後に竜王となり、同胞どうほうたちにすら恐れられる魔王となった――エリサ・ゼンデン。リアナの母親だった。そのりし日の姿を、夢に見ているのだった。それは吉兆なのだろうか、それとも亡霊からの呼び声なのだろうか。

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