第18話 私たちの土地

 ♢♦♢ ――ロレントゥス――


「そういうことじゃないかと思ったわ」

 

 応接間に戻ってきたロールが報告を終え、リアナの第一声がそれだった。どんな表情をしているのか、彼らから上王の姿は見えない。衝立ついたてをはさんで、夕食のためのドレスに着替えている最中だったので。

「ときどき手紙をくれるけど、第一妻がお姑みたいでうっとうしいとか、課題が多くて嫌になるとか、そういう話ばっかりだったもの」

 衝立の向こうで、肩でもすくめているのだろう。影が揺れた。「黙ってイビられているようなタイプの子でもないし、元気にやりあってるんだと思うわ。……ね、ケブ」

 ケブと呼ばれた兵士は特に付けくわえることはなく、黙ってうなずいた。口数の少ない男なのか、なにかルウェリン卿に対して思うところがあるのか。


「それでは……張りきって助けに行った我々は、馬鹿みたいでは?」

 サンディが苦虫をかみつぶす顔になった。「陛下が止めてくださればよかったんだ」


「あのねぇ、あまり甘えたことを言わないで。わたしには他に考えることが山ほどあるのよ」

 リアナの声は冷たかった。「そのハンサムなお顔の後ろに、デイミオンの半分でも脳みそが詰まっているなら、他人の城で動きまわることのリスクくらい考えてちょうだい」


「失態をさらし、恥ずかしい限りです」

 普段の冷静な表情のままではあるが、フラニーが恥じいっていることがロールにはわかった。

「監禁ではなかったからよかったようなものの、実際に事件が起きていれば、陛下に難しいご判断をさせてしまうところでした」


 しゅっ。帯が結ばれる音がした。

「その目星がついていたから、自由に行動させたのよ。短絡的な動きはつつしんでほしいけど、萎縮いしゅくする必要はないわ……」

 リアナの語尾が頼りなくなった。「ミヤミ、帯の結び方が違うわよ」


「はい」侍女を兼ねるらしい女性兵士の情けない声がした。「ぜんぜんダメです」

 どうやら、ドレスの腰帯がうまく結べないでいるようだ。しかし、どの部分に苦労しているのか、自分で毎日結ぶロールには見当もつかなかった。女性用の帯だから男ものとは多少違うにせよ、簡単な作業だと思うのだが……。

 リアナも同じようなことを言った。

「剣帯を結ぶのと変わらないじゃないの。どうして固結びにしちゃうのかしら?」

「なんか……結ばさってしまいました」


「失礼してもよろしいですか?」

 フラニーが衝立の奥に入っていって、リアナの腰帯を一度ほどいてから、きれいに結びなおした。膝をつき、侍女のように几帳面にドレスの裾もととのえる。ロールから見えるのは影だけだが、動きでだいたいのところはわかった。

「申し訳ないけど、助かるわ、ありがとう」

「こちらで侍女をお借りするよう、手配しましょうか?」

「そうね、でも大丈夫、わたしからナイルに頼むから」


(陛下は、女性にはお優しいのだな)と、ロールは思った。不快ではない。

 夜会などに行くと、サンディたち三人はいつも場の花形で、女性には優しくされた経験しかない。ロールには逆にそれがつらく、重荷に感じられることもあるので、リアナのように鼻にもかけない態度を取られるのはかえってありがたいと思っている。

 ただ、ライダーとしては型破りな彼女の行動には困惑させられることが多い。ハートレスの兵士を重用する一方、ライダーたちに冷淡だという陰口もよく聞こえてくる。さらに、フィルバートとのこともある――王配でありながら繁殖期のつとめをかろんじるような生活を送っているところが、どうしても彼には理解できず、そのあたりが二人の不和の原因だった。……きぬずれの音がして、リアナが彼の前に出てきた。ブルーグレーの、威厳のある正装で、彼女を立派な王に見せていた。ふと、彼女に長年の悩みを打ち明けてしまいたい思いにかられ、ロールは自分の余裕のなさをうらめしく恥ずかしく思った。



 ♢♦♢ ――リアナ――


 夜になっていた。支度を終えたリアナが通されたのは、城の最上部だった。巨大な鉄の生き物めいた昇降機は面白かった。新しい技術の好きなガエネイス王あたりなら、見学するためだけに大金を払いそうだ。もっとも、かつて大陸の覇者はしゃになりかけていた傑物も今ではずいぶん年老いているだろう。十二年の月日は、人間には長い。


 ガシャンという開閉音とともに扉がひらかれ、巨大な透明のドームにおおわれた広間のような場所に立っていた。思わず見あげると、頭上でゆっくりと動く雲が見える。鉄の梁とガラス製のドームの向こうで、空はようやく、青空とオレンジのグラデーションを作りはじめていた。ここでは、陽が落ちるのがとても遅いのだ。

 あちこちに散らばった机や、製図台のようなもの、武器が積まれた棚などが見えるが、その場にいるのは領主ナイル一人だけだった。


 手招きされて、重いタフタのドレスを引きずりながら近寄っていく。ナイルは従兄いとこらしく彼女の肩に手をまわし、付近の地形を紹介してくれた。窓越しに北部領がすべて展望できるのではないかと思うほど、見晴らしがいい。

「あそこに見えるのが、巨人の腹あたりだね……あのあたりの平野はエデン平原。あっちの細い川あたりは、花咲く谷間ブルーミングデール……」

「湖がたくさん」

「きっと名前は覚えられないよ。白熊湖、薬湖、喜び湖、豚の目、聖エルモにロング・メドー……」

 彼の口調がくだけたものにかわっているのが、リアナには心地よく感じられた。

「北の、名高い種子貯蔵庫シードヴォールトはどこにあるの?」

「あなたが思うより、ずいぶん小さいんだ。……右手側の岩山の、中腹あたりに階段があるのが見えるかい? そこを上にたどっていって……」

「……張りだした扉がある?」

「そう」

「中を見に行くことはできる?」

「もちろん。あちらの職員に話を通しておくよ」

「すばらしい場所ね」

「冬に来なければ、ノーザンを本当に味わったとはいえないよ」

「だけど、冬には飛竜でさえ行き来ができなくなるじゃないの」

「そして、長い長い冬のあいだ、雪に閉じ込められる」ナイルは笑った。「それが、私たちの故郷だよ。あなたの母親が生まれた場所でもある」

「実感がないわ」

 雄大な光景に圧倒されながらも、リアナはそう言うしかなかった。それで、本題を切りだした。

「デイミオンをとらえている〈呼ばい〉が、北部領主のものだというのは本当なの?」


「残念ながらそうだ」ナイルは平原のあたりに目をさまよわせた。

「カールゼンデン家、スワン家、そして宗主たるゼンデン家。北部領主を輩出はいしゅつしてきた三つの家を代表する、〈冬の老人たち〉の〈呼ばい〉だと思う」

「〈〉?」相手について問いただす前に、リアナは別のことに驚いた。「ここにはそんな年齢の人がいるの?」

 『冬』の時代、と言えば、人間の年齢で三百歳を超す。かつては千歳を迎える竜族も多くいたというが、いまではたいへん珍しい存在だった。見た目には年老いて見えるエンガス卿でさえ、冬の年齢になるまでにあと数節あると聞いている。まだ夏の年齢に入ったばかりの若いリアナには、まったく想像もできない人生のたそがれだった。


「ここは北部なのですよ、リアナさま。オンブリアの揺籃ようらんの地。すべてのはじまりと終わりがある場所です。そして多くの老人たちがいる」

 万年雪に覆われた、恐ろしく高い山々を見ながら、リアナはそれらが老人と重なるような思いにとらわれた。神々しく厳粛で、人智を超えた力があって……。

「彼らは……何者なの? どうして、デイミオンをここまで呼びよせたの? 〈呼ばい〉は、アーダルではなくデイに対して使われたはずね? でも、どうやって?」


「……その話は、夕食の席で。エンガス卿やエピファニー卿、それに竜騎手の方々も聞きたいでしょうから」


「そうね」リアナはうなずいた。「でも……だったらなぜ、わたし一人を先にここへ呼んだの?」


「ここがあなたの土地、あなたの城でもあることを、先に見せておきたかったのです」ナイルは口調をあらためた。

「たしかに、次の領主権はわたしにあるけれど。あなたに子どもが生まれれば、おそらくその子にわたるでしょう」

「そうなれば良いのですが。……ご滞在のあいだに、城の構造についてだけでも、学んでくださるようお願いします」

「ナイル……」

 リアナは従兄の顔を見あげた。彼が言っていることは、要するに彼自身が子どもも残さず早死にするとでも言っているようなものだからだ。ナイルは安心させるようにほほえんだ。「保険はかけておかなくてはね。私は用心深いたちなんですよ」


北部領ノーザンはかつて、竜騎手だけで千人を抱えていたといいます……ですが、今はその数も五十人を切っている。そしてそのなかに、領主家の者は十名もいない」

 彼はさらに続けた。

「ゼンデン家は、あなたが最後の一人。そして、カールゼンデン家にさえたった七人。……みな子どもをなすよう努力はしていますが、どの家が絶えてもおかしくないのです。誰が次の領主、次の種守たねもりとなるのかもわからない……私は、領主となりうる新しい家を探しはじめています」

「養子を取るつもりはないの?」

「それは可能でしょうが、そこまでして家名を守ることだけに拘泥こうでいしたくはありません。北部全体が生き延びれば、それでいい」


「……わかるわ」リアナはつとめて笑顔をつくり、従兄の腕を優しく叩いた。ナイルも微笑んで、彼女を家族らしく抱擁ほうようした。長身で、男性らしい肩幅はあるが、デイミオンやフィルとは違う薄く骨ばった背中だった。

「でも、わたしたちはまだ若い。きっとうまくいくわ、ナイル。デイミオンを取り戻し、あなたは二人の奥さんとのあいだに子どもをたくさん作って……この広い城でさえ狭く感じるほど、にぎやかになるのよ。そしてわたしにも、いつか子どもができるの」

 それは、いつか見た予知夢の話で、リアナにとっては来たるべきたしかな未来だった。

「あなたが未来の話をするのが好きだ」ナイルはささやいた。「力強い希望を感じられるから。エリサ王は苛烈かれつだったけれど、やはり強く、迷いのない王だった。今となれば、彼女が懐かしい……」



 それから、ナイルは彼が知るエリサ王やメドロートのことを話してくれた。二人は夕陽が落ちるまで語りあい、それから夕食の席に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る