3 隣人からの警告


 書類を作ったあと、鍋島たちは追い立てるようにして仁美を帰らせた。

「――気の強ぇ女だぜ」

 肩で大きくため息をついて、芹沢は席に着いた。

「誰かを思い出したんと違うか」

「みちるのことか? あいつはもっと怖ぇよ。なんせ、女の勘ってやつがバッキバキに鋭いってベースがある」

 鍋島は頷いた。「それより、あの理路整然とした食い下がり方は、麗子に近いかも」

「どっちもどっち、俺ら茨の道まっしぐらだな」

「――さて、いよいよこの中身を拝見といくか」

 鍋島は隣の空いたデスクに置かれたノートパソコンを開くと、USBメモリを差し込んだ。「不倫の密会、売春の現場、薬の売買、無修正のエロ動画――どれが出て来る?」

「どれも俺たちにゃ関係ねえぞ」と芹沢。

 鍋島はキーを叩いた。芹沢がその肩越しに画面を覗く。

 現れたのは、僅か数行の文章だった。二人は黙ってそれを読み、やがて芹沢が呟いた。

「……彼女の言う通りだったな」

「ああ」鍋島は頷くと振り返った。「それにしても、マヌケは空き巣や」

「どっちにしたって、これを解説してもらう必要がある」

「彼女を呼び戻そう」

「足痛めてんだろ。俺が行くよ。おまえは彼女に電話掛けてくれ」

 芹沢が言い、速足で部屋を出て行った。




 西天満一丁目東交差点の信号の手前で、芹沢は仁美に追いついた。

「辻野さん――!」

 仁美は立ち止まり、勢いよく振り返った。声の主が誰だか分かっているという振り返り方だった。

「まだ何か?」

「で、電話、掛かってたと思うんだけど――き、気付かなかった?」

 芹沢は大きく息を切らせながら言った。署からずっと走り続けてきたのだ。

「あら、そう」

 仁美は肩に掛けたバッグをちらりと見た。知らんがな、という顔をしていた。「それで?」

「悪い、本当に申し訳ない――ちょっと戻って来てもらえないかな」

「もう用はないんでしょ?」

 芹沢は唾を飲み込み、困った顔で仁美を見た。「怒ってる?」

「当たり前でしょ。捜査に協力した善良な市民を邪険に扱った国家権力の姿を目の当たりにしたんやから」

「大袈裟だな」

「何なんですか、用件は。今度は足の指紋でも取ろうっての?」

「あのUSBには、あんたへのメッセージが残ってたんだ」

「やっぱり」と仁美は頷いた。「でも、空き巣があたしに、何のメッセージを?」

「違うんだ。あんた、葉子って人知ってるかい?」

「葉子って――佐伯葉子さんのこと?」

「苗字は分からねえ。『葉っぱ』の『葉』の葉子さんだ」

「あたしの隣の部屋に住んでる人やけど」

「その葉子さんが、あのUSBを寄越したんだ。しかも、何だか物騒な台詞が残されてる」

「……どういうこと?」

「とにかく、戻ってきてくれるかな――いや、戻ってきていただけませんか?」

「……分かりました」




『―――仁美、警察の言う通りです。空き巣の犯人は、あなたの部屋とわたしの部屋を間違えて入ったのよ。理由は――今はまだ話せないけど、簡単に言っておくわ。取材していた事件絡みで脅迫を受けているの。これが初めてではありません。そして、身の危険を感じずにはいられない私は、取材資料と一緒にしばらく身を隠すことにしました。だから仁美、このUSBを警察に届けて、あなたもすぐに京都へ帰って。お願い。すぐによ。

                              葉子


サカグチイクヨ/ミネオショウイチ/ウチダケイスケ―――』


「葉子が……脅かされて?」

 仁美はパソコンの画面を見つめたまま、ぽつりと言った。

「彼女に最後に会ったのはいつ?」

「空き巣のあった日の夜、心配して訪ねてきてくれたんです。十時ごろやったかな」

「USBが投函されたのは今日のいつ頃?」

「お昼前後やと思います。買い物から帰ったら入ってたから……隣にいて、まるで気がつかへんかったなんて。彼女、普段から取材でしょっちゅう留守にしてたから」

「彼女はどこかの記者なのか?」

「フリーライター。大学を出てしばらくは、関西新聞の記者やったらしいけど」

 そう言うと仁美は顔を上げ、不安げな表情で二人の刑事を見た。「お願いします、彼女を助けてあげてください」

「そう言われてもな……」

 鍋島は困ったように首を傾げ、腕を組んだ。

「身の危険を感じてるって、そう言うてるじゃないですか」

 鍋島と芹沢は顔を見合わせ、何も言わずにパソコンの画面に目を移した。

「この、最後にある――サカグチ、ミネオ、ウチダってのは何だろ。辻野さんに心当たりは?」

「知りません、まったく」

「取材内容に関係のある人物なのか、あるいはこいつらに脅されてるのか」

「彼女は今、どんなことを取材してるって言うてた?」と鍋島。

「何も聞いてません。お互いあまり仕事のことには干渉しないし。よほどの愚痴でもあるとき以外は」

「ほな、彼女の立ち回り先に心当たりは? それとも、最近どこかへ行ったとか」

 仁美は画面のメッセージを睨み付けるように見ていたかと思うと、顔を上げて言った。

「十日ほど前に部屋で話したとき、津和野から帰ってきたって言うてました。取材で三日ほど行ってたみたい」

「津和野ね。島根県だっけ」芹沢が言った。「この三人も津和野の人間なのかな」

「そんなことより、葉子の行方やわ。ねえ刑事さん、彼女を探し出してくださいよ」

「そう言われてもね」と芹沢は首を捻った。「この彼女、自分の意志で姿を消したんだろ。その手の失踪人を探すのは――家出人捜索ってやつだけど――残念ながら俺たちの担当じゃないんだ」

「それに、そういう場合でも家族の届け出がないとね……いや、場合によっては家族でもすんなりとは応じられへんこともある。最近はDVとか毒親とか、家族もいろいろやし」

「つまり、自分たちの仕事やないってことですか」

「そう。うちでは生安課」

 仁美は納得していないという風に首を傾げて、そばの椅子に座った。それから顔を上げ、二人を見て言った。

「失踪人の捜索は担当外やとしても、彼女、誰かに狙われてるんですよ。それはどうなるの? 黙って見過ごせって言うんですか?」

「現時点ではどうしようもないね。親族のもとに彼女を連れ去ったって言う脅迫電話でも掛かってくりゃ、話は別だけど」

「脅かされてるって、そう書いてあるやないですか」

「彼女の思い過ごしかも知れんやろ。俺の察するに、これはあくまで取材する側とされる側の間に起きたトラブルに過ぎひんのやと思うな。警察としては、そんなことにまでいちいち首を突っ込むわけにも行かへんねん。民事不介入の立場を取ってるもんで」

「じゃ、あたしの部屋に入った空き巣はどう説明するわけ?」

「それが彼女の取材してたことと関連があるって言ってるのは、彼女だけだぜ」

「民事不介入、ね……」

 仁美は首を振った。話にならないとでも言いたげだった。

「俺たちがそう言うのを、どうもおたくら民間人は毛嫌いしてるみたいだけど」芹沢は言った。「いちいち介入されることを想像してみろよ。そっちの方がよっぽどぞっとするぜ」

「空き巣の捜査は続けるよ。そっちは刑事事件やし」

「……あなたたちは、いつだってそうよ」と仁美は呟いた。「何か大変なことが起こってから、やっと重い腰を上げるのよ。誰かが死んだり、莫大なお金がなくなったりね。おまけに強い者にはまるで弱腰で、弱い者にはめっぽう強気なんやから」

 二人の刑事は、ただ苦笑いしただけだった。


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