ある夏、ギリギリアラサーの主人公が親戚の女の子を預かることになり、「家族ごっこ」が始まります。
単純に主人公と女の子の成長物語かと思いきやとんでもない!
未だに未練のある元カノ、過去のトラウマとフラッシュバック……と物語がどんどん展開していき、巧みな構成でついついページを捲ってしまいます。
夏の象徴として、色んなシーンで雨が出てきますが、この使い方も素晴らしいです。雨が降ること、あがること、道端の水たまりでさえ、物語のポイントとして配置されています。ぜひ注目してみてください。
楽しいだけではなく苦味もあるけど、読み終えたあとは心地よい満足感でいっぱい。オススメです!
タイトルを見てふと思ったのです。なぜ「過ぎる」のかと。
この作品はある夏に起こった出来事を語っています。
独身男性の叔父のもとに小学生の姪が転がり込んできて、叔父の幼馴染みと三人で過ごす物語です。
もちろん夏にその出来事は起こっています。
この「過ぎる」という意味は作中で明かされますが、なるほど終わってみるとその意味がよくわかります。まさにぴったりといえるでしょう。
タイトルからエンディングまでしっかりと構成されていて、言葉の意味がよくわかりました。
間違いなく良作です。
この三人に幸せが訪れますように、そして願わくばずっと続きますように。
そんな気持ちに思わせてくれるひと夏でした。
ひょんなことから遠縁のサヤを預かることになった主人公のツカサ。
困惑しながらもサヤの家の問題が片付くまで、昔の恋人ミコトと一緒に生活することとなる。
サヤとの生活の中で、ツカサは抱えているトラウマと向き合う。
これまでの人生で壁にぶつかるたびに、そのトラウマのせいで前向きになれないのだと考えていた。
しかし、それだけではなかった。
ミコトと別れる原因を生み出したのはそのトラウマだったかもしれない。
けれど、ミコトと別れたあとはそうではない。
そのことに気付き、克服すべきもう一つのトラウマとも向き合おうと決意する。
同時に、サヤもミコトも自分が抱えている問題に気付き、克服しようと決める。
三人が一緒に暮らしたからこそ、各自は自身が抱える問題と向き合おうと思えた。
だが、三人とも特に努力したわけではない。
三名で過ごす時間を無難にこなそうとしただけだ。
サヤの家の問題が解決するための時間を、各自が各自なりに生活しただけだ。
けれど、性差や年齢差がある三名が暮らすと、一人で暮らしている時とは異なる視点が必要になる。
無難に過ごすために、お互いを気遣う必要が出てくる。
多分、特にツカサにはその環境の変化が必要だったのだろう。
自分と向き合うためには、気持ちの変化を促すきっかけが必要だった。
サヤが自宅へ戻る時、三人は各々一歩前へ踏み出す。
踏み出したからと言って、明るい未来が保証されるわけではない。
だけど、前に進まなければこれまでと変わらない生活を繰り返すだけと三名は知った。
この作品は、過去を乗り越えて、前に進んでいく勇気を持ちたいよねと読者に伝える。
幸福な未来を掴むためにあがいてみようという人間らしさを見せる。
私はそう感じたけれど、読者によっては別の感想が感じられるのではないかとも思わせてくれる。
10万字程度、文庫本一冊程度の分量ですが、作者さんの描写が優しいためかサクサクと読めます。
是非、三名のひと夏の共同生活から何かを感じ取ってみてはいかがでしょう?
ひとは生まれてくるときにへその緒を切り落とされる。
これが人生で最初につく傷だ。
本来、全能であった存在から、ひととしての経験を重ねるごとにその神性は失われて我々はただの人間となる。
よく子供は7歳までは神のうちだと言われる。
善も悪もない、荒ぶる神だ。
親は時としてその荒ぶる神に、ひどく絶望してしまう。
我が子なのに心が通じないと。
だが忘れないで欲しい。神は幸せをもたらす奇魂でもあることを。
この物語もまた、傷をもった人たちが登場する。
お互いの二面性を持ち寄り、支え合い、共に歩もうと決意する。
他人の心へはどれだけ踏み込むことが許されるのか。
同情は果たして正しいのだろうか。
心のなかの神〈子供〉を我々は鎮めることができるのか。
作者による生々しい筆致で、現代社会の一部を切り取った人間ドラマ。
読みすすめるたびにこちらもただでは済まされなくなる。
覚悟をもってのぞんで欲しい。
物語にはそういうちからがある。