34/ 霊を暗殺する者 8

「な、なに……!? 蜘蛛ッ!?」


 堪らずサナはその姿と数に戦慄を覚えた。蜘蛛と聞けば、その容姿から不気味な印象を与え忌み嫌う人も少なくない。わたしだって、見た目に顔をしかめたりするし。

 だが耕作地圏においては農業に悪影響を及ぼす害虫の天敵であるため、益虫として重視されている(もちろん害虫に分類される種類もいるが)。人家の内外にも様々な種類が生息しており、蠅やダニ、ゴキブリなどの衛生害虫の駆除を担ってくれているため、家庭の生活においても益虫の役割を果たす節足動物だ。ゴキブリを生理的に受け入れる事ができない彼女にとって蜘蛛の存在はありがたく、退治するなんて愚行だった。


 しかしこの蜘蛛は、一個体がスイカほどの大きさで体色も血のように赤黒い。いや、外見で判断してはいけないのは人だけにあらず。それは虫とて同じこと。もしかすると益虫なのかもしれない。が、サナの楽観的な考えはアサシンガイストの言葉で粉々に砕け散った。


「奴らは養分は血だ」平然とした口調で言った。「気をつけろ」


 まるで〝蚊〟だ。よって、カテゴリーは害虫。今しがた戦闘を終えたというのに最悪だ。なんてサナの心情などどこ吹く風。先陣を切って走る一匹の蜘蛛が跳躍した。甲冑を装備しているとはいえ、つい顔をそむけてしまう。対照的に彼――アサシンガイストは焦ることなく冷静にこれを対処する。『アサシン』なだけあって奇襲は専売特許らしい。サナもすぐに立ち上がり、鑢を構えて迎撃に備える。


「核は……」


「胴だ」


 彼は飛びかかる一体を素手で叩き落とし、足元にいたもう一体と重なった頃合いを計り、胴を踏み潰す。蜘蛛相手に武器の切れ味を落とすわけにはいかないのだろう。彼に習って、サナもすり寄って来る蜘蛛を力いっぱい踏んだ。彼女の華奢な体躯が秘める脚力では即死に至らず、結局、鑢を使って核を潰す羽目になるのだが。すでに足元には血だまりができており、ねっとりと赤い体液が甲冑全身に塗りたくられてぽたぽたと滴り落ちる。当然、奴らの猛襲は終わらない。非力な生物は集団で襲い掛かるのが定石である。


「多いっての……!」


 全方位どこからともなく、わらわらと姿を現す蜘蛛の群れを必死に振り払い仕留めていく。その数は五十は優に超えているだろう。ランプのおかげで仄暗くなり視認できるのがせめてもの救いだった。

 負けじと蜘蛛たちの勢いは衰えない。その脚を器用に使って原田を這い上がろうと試みる。それだけは勘弁と言わんばかりに、くっつく一匹の眉間を柄で殴り落とし踏みつける。そのまま背後に体当たりをかます一匹の胴を断った。続けて高く跳躍したであろう頭上から仕掛けた一匹を打ち返す。間髪入れず、正面から襲い掛かる一匹の脳天へ振り下ろした。偶然、核に当たったのは嬉しいものだ。それにしても……。


「キリがない……!」


 四面楚歌とはこういう時に使う言葉だと感慨深く思った。サナは横目で彼を見た。視ていなし、聴いて躱す。斬る、突く、殴る、蹴ると踊るように群れを一掃する。思わず見惚れてしまうほど鮮やかだった。


「そうだな」独り言のつもりで言ったサナの言葉を彼は律儀に拾って告げる。「親を仕留める必要がある」


「親……!?」


「コイツらは幼体に過ぎない」


「でも、どこに……!?」


 アサシンガイストはウェストバッグから布を取り出して垂れる赤黒い体液を拭う。刃毀れの有無を検めて腰帯へ収めた。


「上だ」


 サナは天井を仰いだ。薄暗いが目を凝らして見ていると、小さな影が蠢いているのが分かる。おそらく通気口からこのフロアへ侵入しているのだろう。という事は……。


「親はこのフロアにはいないってことですか?」


「ああ」彼はきっぱり言った。


 ならば、このフロアに留まる必要はない。ふたりは昇段を目指して走った。無論、血に飢えた蜘蛛たちは群を成して追いかけてくる。


「鍵はどうだ?」


「閉まってますッ!」


 サナはウェストポーチを弄り、ケースから歪な形状の髪留めを取り出した。あとは鍵穴へ髪留めを挿すだけなのだが、ここで自分の手が震えている事に気付いた。


「どうして……!?」


 手が思うように動かない。まるで自分の身体じゃないようだ。


――落ち着け、わたし……!


 冷静にならなければいけないことくらい分かっている。緊張、恐怖、焦燥が入り混じった負の感情が脳を蝕んでおり、無意識に思考能力を放棄していた。次第に目尻も潤ってきたし。


「落ち着け」


 すっかり萎縮した彼女へアサシンガイストは端的に投げかけた。そうは言われても……。


「俺が奴らを足止めする」


 そう言うと、アサシンガイストは武器を引き抜き、彼女を置いて階段を下って行った。胸に手を当て、深々と呼吸をする。焦るな。落ち着け。そう心の中で復唱して開錠を試みる。フロアから聞こえる生々しい音はまるでBGMのようだった。


 カチャンッ、と。望んでいた音が耳に届く。ついに鍵が解かれたのだ。感極まって声を荒げて彼を呼び戻す。


「開きましたぁッ!」


 言葉はないが、勢いよく階段を駆け上がってきた。当然の如く、その背後からは蜘蛛の大群が。


「行けッ!」


 言われるがまま、先に防火扉を抜けたサナ。すっかり暗闇に慣れていた目を閃光が容赦なく射し穿ち視界をぼかす。彼が通った後、すぐに扉を閉めれるように待機。


「俺が扉を抑えるッ! 閉めろッ!」


 彼が吠えたと同時に髪留めで施錠を施した。まだ扉の向こうで扉を破ろうと足掻いているが奴らに鍵を開ける術はない。そもそも破れるような軟な作りじゃないし。何がともあれ、ついに地上へ出る事ができたのだ。陽の光さえ久しく感じる。これを喜ばない者が果たしているだろうか。


――いるに決まってんじゃん、そんなの……。


 自問自答。しかし嬉々とするのはまだ早いな。わたしがすべきはアカリの捜索と廃墟からの脱出。その時が訪れるまで心の底から喜ぶことはできそうにないのだから。


「これからどうするんですか?」


「ふむ」アサシンガイストは低く唸って辺りを見回し言った。「いったん、戻る」


「戻るって……どこに?」


「拠点だ。行く当てがないなら来い」


「あ、えっと……いいんですか……ね?」


 彼は頷いた。拠点……そう聞いた時、サナは少しだけ安堵を覚えた。闇に溶け込むには打ってつけとも言えよう、革が劣化して修復痕が見られる真っ黒なレザーコートは筋肉質だが細身の体躯を包んでおり、足まわりは動きやすそうなジーンズとエンジニアブーツを採用、そして鉄兜で顔を覆った異様な男。霊を暗殺する者――この人と一緒ならこの廃墟モールを攻略できる、そんな気がしてならなかった。


「行きましょうッ!」


 この一瞬のみ遠慮を忘れて、意気揚々と彼を促した。アサシンガイストはこくりと兜を縦に振ると、踵を返して無造作に歩き始める。そんな彼を、サナは親鳥を慕う雛のように、トトトと追っていくのであった。

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