26/ メリーさん

「コ、コレがメリーさんだって言うの……?」


 緩くカールのかかったくすんだ黄金色の長髪に覆われた顔面。しかしその身体は胴から下がない。まるで都市伝説『テケテケ』と類似している。周囲を見回していたメリーさんは、やがて首をありえない方向に回してこちらを向いた。


 下半身を断たれたポルターガイスト、〝メリーさん〟はサナに敵意を向けるとこの世の者とは思えない奇声を浴びせてきた。


「うるっ……さッ!?」


 ただでさえ喧しい声は密室のせいでその効果は相乗され、長く聞いていようものなら気を正常に保つ事は難しい。半ば反射的に両手で耳を塞ごうとしたが、松明と短剣シャベルが障害となり、それは叶わなかった。


『――――――――――!!』


 続けざまに女性の悲鳴のような声を荒げると、メリーさんは腕の力だけで這うよう突進してきた。


「こっわ……!?」


 メッチャ怖いッ!? メリーさんへの恐怖がサナの身体を反射的に回避へ導いた。しかし……。


「あッ! 松明……!」


 躱した際に松明が手から零れ落ちた。寝転がる松明をメリーさんは熱さを微塵も感じさせない手つきで一心不乱に噛み砕いている。やがて持ち手ごと腹に収めたメリーさんはわなわなとその身を震わせて天井を仰いだ。どうやら襲ってくる気配はないようだ。


――好機……! 


 サナは短剣を握り締めるとメリーさんの背後から攻撃に転じた。メリーさんは震えているだけで向き直る仕草を見せない。そして胸が悪くなりそうな音を立てて、短剣は後頭部へめり込んだ。


――やったか……!? 


 その思考がフラグの代名詞であることを彼女は知らなかった。メリーさんは携帯のバイブレーションのように振動を加速させ強めていく。


――なんかやばい……!?


 逃げるため、そして傷口を広げるために短剣を無造作に引き抜いて部屋の奥へ走った。


『――――――――――!?』


 三回目の咆哮。それは奴がフェーズ2へ移行した合図でもあった。奴の身体を橙色の球体が舞っている。その数は六。食品売り場で遭遇した蛙型ポルターガイストの身体に繁殖していた蠅の比ではない。サナはこの部屋を訪ねる前に一度見ていた。


「あのヒトダマ……!?」


 奴に食われたあの松明の火種はこの火球から拝借したものである。六体のヒトダマは現地解散するサラリーマン一党の如く、四方へシャボン玉のようにふわふわ漂い始めた。ヒトダマのおかげで明かりは不要になったが、同時に隠密行動を封じられた。仄暗い密室で、武器になりそうなのは青黒い液体がべっとり塗りたくられた短剣にカッターナイフ、未だよく分からない万能な髪留めくらい。ワンチャンス、切餅で餌付けできるやもしれない。馬鹿な事を考えている間にもメリーさんは長い髪を激しく揺らし鋭利な爪を立てて襲い掛かる。僅かだが集中力を欠いたサナは避けれはしたものの頬を爪で抉られた。ツー、と。頬を伝う血が唇へ触れる。舐めても無味なのは当たり前。


「この……!」


 迎撃しようと短剣を振り上げた時、偶然にも切っ先が頭上のヒトダマへ食い込んでしまう。


「あっつ……!?」


 そうだった。このヒトダマ、触れると爆発するんだった。思い出したが時すでに遅し。サナは頭から火花をじょうろの水のように浴びた。熱さを振り払い悶える隙を見逃すほどポルターガイストは慈悲を持ち合わせていない。メリーさんに両腕を掴まれ、抗う間もなく軽々と押し倒された。


「ぁぐ……ぎぃ……!」


 下半身が断たれているにもかかわらず、なんなんだこの力の強さは。奴の鋭爪が生身の肌にじわじわと食い込んでいく。ダイレクトに伝わる痛みに耐えられず、がむしゃらに空を蹴った。だが、メリーさんは意にも介していないらしく無慈悲にもその握力を強めていく。


「ッ……! ああッ!」


 サナは俯瞰するメリーさんの顔を見て背筋が凍てついた。蔓のように伸びた髪の隙間から垣間見える、ひどく充血した瞳と目があった。その畏怖さえ覚える視線に圧倒されて悟る。


――このままじゃ、死ぬ……! 


 自分の腕を横目で検めた。食い込まれた爪の根本からドクドクと血が溢れ出ているのを確認。痛みを堪えつつ、サナは倒れたまま帯びた短剣を逆手に持ち替えるとメリーさんの横腹へ突き刺した。しかし体勢が体勢だ。威力など0も同然。奴へのダメージは皆無に等しい。そしてその抵抗は愚策だったと気付く。


「ぅあああああッ!?」


 濁った自分の悲鳴を聞いた。わたしにもこんな声が出せるのか、なんて呑気な考えは忘却の彼方へ。野良犬のように唾液に塗れた犬歯で肩口に噛みつかれた。首筋に生暖かい感触がほとばしる。


 ――逃げない……と。


 噛み千切られる、そう確信したサナはありったけの力で振りほどこうとした。その時、不幸にも激痛ではね上げた足が浮遊していたヒトダマを蹴り、破裂。火の粉がほかのヒトダマに触れたらしく次々と誘爆して、破裂破裂。もはやジョウロの水なんて生ぬるい。まるで火炎のスコールだ。


――最ッ悪……!?


 頭上には大量の火花。果たして、火の粉が傷口に当たる確率はどれほどのものだろうか。


「ぐぅ……ぁが……あっつ……!」


 肉を抉る奴の犬歯の隙間に火の粉が触れる。悶絶するサナを気にも留めず、メリーさんはさらに顎を強張らす。すっぽんを彷彿とさせるしつこさだ。


「――――――――――――――ッ!?!?」


 恐れていた事態が現実に。奴はついにサナの肩口を噛み千切ったのだ。無意識のうちに想像していた痛みを遙かに凌駕した痛み。声にならない悲鳴が密室に木霊する。


「ぁ……ぁ……」


 その後、何度か傷口を貪られたらしいが不思議と痛みはない。これはアレだ。痛覚が正常に機能していない。つまり、お釈迦だ。サナは輝きの失せたその瞳でメリーさんの充血した瞳を覗いた。


――必死だ。 


 今まで出会った明確な意思を持たない怪現象とは根本的に違う。その赤い瞳の奥に垣間見える、下半身を断たれて尚、必死に生きようとする強い意志。おそらく彼女も元は人間なのだ。共食いすれば人間に戻れると信じ込んでいるのか、あるいは誰かにそう教わったのか。何にせよ、無意味な行いであると気付かせてやらなければ彼女は報われない。


――だが、どうやって? 


 傷口はやがて胸元にまで拡大していき、襤褸一枚で拵えた服はすでに斑状に赤黒く染まっている。わたしの意識も保つのがやっとなこの状態で、果たして何ができるというのだ。むしろ、このまま運命を受け入れたほうがよっぽど楽なのに。


――情けない……! 


 死んでも死にきれない者が誰彼構わず生命を懇願しているというのに、生きている者が何もせず命を捨てるなんて死者への侮蔑以外の何者でもない。それに……。


――わたしだって……。


「わたしだってッ! こんなところで死ぬわけにはいかないんだからッ!」


 わたしと同じように、拉致された友人、沢岸アカリを助け出すまで。お前の食料になるつもりは毛頭ない。


「こん……のぉ……!」


 サナの瞳に再び光が灯る。が、肩に力が入らない。当然、腕も上がらなければ武器を帯びる事すらままならない。今や、彼女に攻撃する手段はない。そう、は。


――一か八か、だ。


 無謀。あまりにも無謀、愚策。しかし彼女が生前、善で秩序を重んじる人柄だったのなら現状を打開できるかもしれない。サナは振り絞っておそるおそる血にまみれた腕を持ち上げた。そして短剣を突き刺した後頭部へ両手を当てて、ギュッと力を込める。あたかも、抱擁するかのように。

 当然、メリーさんはそんな行動には目もくれずただ彼女を貪り食らうことしか頭にないらしい。


「だ……誰が……い……言ったの……?」


 サナは枯れた声で彼女の耳元で囁いた。無論、メリーさんは顎を上下に動かし続ける。


「あなた……は……ま、間違って……る……」


 まるで聞く耳を持たない。食事中に話しかけるのはご法度ではあるが……。


「わたしを……食べたって……」


 サナは一呼吸おいて語感を強めて告げた。「人間には、戻れない……!」


 すると彼女は、ピタリ静止した。聞いてくれてるのか……? とにかくサナは話しを続ける。


「あなたは……死んで……るの……」


 彼女は情欲によって動かされているだけに過ぎない。もし黒幕がいるのならば、成仏できない死者を私利私欲のために操り人形にしているという事だ。これを冒涜以外に何と呼べようか。


「苦しい……よね……」


 わたしは生きているから、あなたの気持ちは分からない。だけど骨折しても無理やり走らせされているようなものよね。


「わたしは……あなたを……成仏させてあげたい……」


 本心だった。彼女に対する恐怖は微塵も感じなくなったし、何とかしてやりたいという衝動に駆られた。だから温かく、精一杯、抱きしめたのだ。


『……』


 メリーさんは微動だにせず、わたしの肩に顔をうずめている。


「……」


 有無も言わさぬ緊張がサナの身体を駆け巡る。心臓が上下に飛び跳ねるとはこういう事か。


『――――――――――――!!』


 突然、メリーさんは奇声を発した。その上、肩にうずめたまま叫ぶものだから耳元で叫ばれたのと遜色はない。誰しも反射的に耳に手を当てようとするだろう。だが、サナは耳を塞ごうとしなかった。メリーさんが何かを訴えている、そんな気がしてならなかったのだ。思い込みかもしれないが。


「つらい……よね……」 


 お前に何が分かるッ! と、言わんばかりに再びサナの傷口を歯で抉る。


「……ッ!?」


 痛い。痛覚が正常になりかけていたのだろうか、形容し難い痛みが襲う。しかし、ここで彼女を何とかしなければ、永遠に愚行を繰り返すに決まっている。幻想と妄言に囚われている事を教えてあげなければいけない。

 サナは片腕を解き、ウェストポーチから黒いケースを取り出した。


――お願い……。


 そして片手で器用に蓋を開ける。


――彼女を……。


 先端が尖った髪留めを帯び、


――助けて……! 


 そう強く願って、彼女の心臓へ切っ先を埋めた。


『――――――――――――ッ!?!?』


 至近距離の断末魔の叫びは、サナの意識を衰弱させるには十分すぎた。薄れゆく視界の中でメリーさんの充血した瞳から赤い涙が零れ落ちる。そして馬乗りになったまま土塊のように固まり、やがてボロボロと崩れていった。果たして、彼女は成仏できたのだろうか。それともポルターガイストとして愚行を繰り返すのか。それは当人にしか知り得ないこと。自分が成し遂げたなんて思い上がりもいいところ。だが、わたしにはメリーさんが浄化していくように見えた。


「……」


 視界が闇に包まれていく。ほどなくしてサナは痛みと安堵で失神した。すっかり静かになった空間に無造作に歩く足音。当然、部屋に入って来た人影に気付くわけがないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます