24/ 黒い靄

 アカリの偽者の消滅を確認して以降、サナは壁に寄りかかって松明の火を見つめ呆けていた。パチパチと暗闇に揺らめく灯火はなんとも妖艶なものか。それに魅了されるかと言えばそうではなかった。


「『本人から情報を聞き出す』だと……」


 奴が消滅間際に残した言葉が頭から離れない。あれほど精密な彼女のコピーを生み出すには本物が傍にいなければ成し遂げるのは不可能……だと思う。断定できないのは、それがポルターガイストだからだ。もしかするとイメージだけで複製できるのかもしれないし、どこからか情報を得てそれを元に作っているのかも……と、挙げればキリがない。

 しばらく黙り込んでいたサナだったが、やがて頭を掻きむしって声を上げた。


「あーもう! じれったいッ!」


 ふんす、と。鼻息を荒立てたサナはウェストポーチから鋭利で歪な髪留めを取り出して扉に向かい合う。


「最初から決まってんじゃん」


 何を考えていたんだ、わたしは。アカリがこの廃墟にいる可能性が一パーセントでもあれば探しに行くべきなのに。辛気臭い顔をして黄昏ていた自分に腹が立つ。その憤りを鎮めるためにはまず、地上へ出なければならない。立ち止まるな、わたし! 踏み出せ、わたし!

 サナは髪留めを鍵穴に差し込んだ。カチャンという音が反響する。開錠の合図。相も変わらず万能すぎる髪留めおまもりに感謝。


「ここ……」


 紙類が散らばったデスクに折りたたまれたパイプ椅子。亀裂の入った黒板に粉々になったチョーク。まるで事務所のような一室だ。サナが真っ先に興味を惹かれたのは左右の扉ではなくデスク。散乱した紙から適当に一枚を抜き取り、松明を明かり代わりに検めた。


「なにこれ……?」


 紙には赤い字で『わたし』と走り書きされている。


――まさか、血ッ!?


 しかしよく見るとそれが赤いチョークで書かれたものと理解したサナは、ほっと胸を撫で下ろした。それにしても『わたし』ってなんの事……? 

 続けてもう一枚、紙を手に取った。やはり、赤いチョークでデカデカと書かれた『にいるの』という意味不明の平仮名文字列。裏返った紙を次々と捲っていく。出現した平仮名は『あなた』『。いま』『のうしろ』と暗号めいた言葉の数々。

 裏返った紙はあと二枚。心理的に近くにあった紙は捲ると、そこには、ある人物の名前が殴り書きされていた。


「『めりーさん』……?」


 真っ先に思いついたのは都市伝説などで言わずと知れた登場人物である。そして各紙に書かれた文字を並び替えてみると、あの有名なフレーズが浮かび上がるというわけだ。サナはそれを思わず声に出して読んでしまった。


「わたしめりーさん。いまあなたのうしろにいるの」


 殺風景な部屋で小さく嘆いた某フレーズは、サナの寂しさを余計に募らせる。だが、そんな感情でいちいち歩を煩わせるのは御免だ。


「およ?」


 そう言えば、もう一枚裏返った紙が残っていたっけ。ぶっちゃけ文字列の意味は分かったし確認する必要もない。ま、見て損にはならないでしょ。それが盛大なフラグであると、果たしてサナは気付けたであろうか。


「……ッ!」


 紙の表面を見たサナに緊張が走る。何故か、この一枚だけ手書きではなくワープロで『くろいひとがくる。おまえはよんでしまった』そう、打ち込まれていた。


――意味わかんないんだけど……。


 まるで監視されているような不気味な文章だった。途端に嫌な予感が膨大していく。彼女は知っていた。何度も何度も体感してきた予兆。それが見事に的中する事を。

 かたかたかた、と。どこからともなく聞こえてくる不穏な足音。音が鳴りやむや、怪現象は律儀にも扉を四回ノック。きぃ、ゆったりと右側の扉が開いていく。なるほど、このフレーズを唱えると何かを呼び寄せてしまうってわけか。まったく意味が分かんないんですけど。


――考えるだけ野暮か……。


 無駄な思考で体力を使うのは御免だ。それにしても、よく考えられた心理的トラップだよ。今回は偶然、この紙を最後に読んだけど、たとえ最初に読んでいたとしてもこの現状じゃ残りの紙もついつい読んでしまうだろうし。サナは少なからず感心した。それも一瞬の事で今は目の前に集中しなければ。

 ノックの主は皆目見当もつかない。固唾を呑んで見守る事しかできなかった。やがて、ヌッと出てきたのは人の形をした黒い靄。その正体は視認できないがこれだけは断言できる。


「まーた、ポルターガイストっすか……」


 サナはため息をついて落胆のいろを浮かべた。勘弁してよ。わたし今、襤褸一枚なんだよ。裸同然なんだよ。絶望と憤りが混じり合った複雑な心境を抱く彼女へ、黒い靄はゆっくりと歩み寄って来た。サナは山中で熊と遭遇した(経験はない)時の対処法を採用。決して靄から目を背けずに短剣シャベルを構えて、じりじりと後退る。そして背中が壁に触れた、その刹那。握っていた短剣を靄に向かって投じた。至近距離からの投擲は球威がなくとも、それなりにダメージは稼げるはずだ。まぁ、当たればの話だけど。


「やっぱりね」


 短剣は確実に靄へ放たれたが、奴の身体をすり抜けてデスクの上に収まった。つまるところ、空を裂いただけでノーダメージに過ぎないという事だ。これで相手が物体でない確証は得た。物理攻撃が効かないのはかなりの痛手だが、万物には必ず〝弱点〟という概念が存在する……と思うので諦めるにはまだ早い。ならば、今やるべきなのはただ一つ。奴を観察して〝弱点〟までたどり着かなければならないという事だ。幸いにも奴の動きは遅い。ここはじっくり冷静に観察して、それから……。思考に耽ようとした、その時。


「ふぇ?」


 前触れなく急にもぞもぞ蠢きだした黒い靄に驚きを隠せない。


「な、なに……?」


 呆気にとられるサナを尻目に、靄はみるみるうちに人型を崩していく。そして刀剣のような姿に形を変えると、予兆なくしてその身を薙ぎ払ってきた。


「わッ!?」


 間一髪。身を屈めたサナは転がるように間合いから離脱した。変形して切りかかってきたら、誰だって反射的に避けるもの。まぁ回避しなくとも、鋼じゃないんだし切れるってことはないと思うんだけどね。

 ふふん。恐れるに足らんと言った顔で黒刀を睨みつける。続いて、奴の二撃目は脳天を叩き切る、垂直振り下ろし。


――避ける必要はない。


 サナの意思とは反対に、身体は回避を選んでしまう。わたしって、ほんと臆病なのね。しかし、その臆病さによって助かったのだと途端に知る。


 ガキィィンッ!!


 フロアをけたたましい金属音が支配した。何の音だろう。随分、大きかったなぁ。キョトンとしたサナを我に返したのは彼女が目線を下ろした直後だった。


「うっそ……」


 洒落になんない。サナは青ざめた顔で呟いた。というのも先程の金属音は紛れもなく、この一室で発生したようだ。その証拠に黒刀の切っ先がセメントの壁にめり込んでいる。もしも避けていなかったらと思うと身体の震えが止まらない。


――有り得ない、有り得ない、有り得ない。


 そう、心の中で連呼した。鎧兜があれば致命傷は免れる。だが……。

 サナはちらっと自分の装備を検めた。襤褸一枚で拵えたノースリーブパーカー。おいおい、死んじゃうっての。ならば防御は捨てて攻撃に割り振るべきか。しかし交戦できそうな武器を持ち合わせていない。可能性がありそうなのは、斧使いを一撃で沈めた〝髪留めおまもり〟だけど……。


――あれは奇襲みたいなものだったし……。


 髪留めを帯びて真っ向から挑んだ際はどうなるのか。とてもじゃないが試す気にはならなかった。アカリの安否をこの目で確かめるまで死ぬわけにはいかない。そのつもりも毛頭ない。

 サナにはある気がかりがあった。投じた短剣は奴の身体をすり抜けたのに、変形すると壁に傷を刻める。という事は、変形後には攻撃が通る……と、考えていいのかな?

 スッと立ち上がりデスクまで走ると、サナはデスクの上に着地した短剣を引ったくり、切っ先を黒刀に向けた。安っぽい作りだが鉄製で髪留めよりは安心感がある。

 まぁ、でも。斬り合いで短剣を帯びて立ち会うお馬鹿なんて、歴史上八重桜サナわたししかいないだろうな。それが自賛か自虐か、サナは分からなかった。ま、おそらく後者だ、きっと。吐いた嘆息が決闘の合図となった。



 黒い靄は人型をトゥルーフォルムに様々な姿にトランスフォームするポルターガイストだ。現在、その姿を刀剣に変えてこちらに切っ先を向けている。それに倣ってわたしも短剣を突きつけた。短剣なんて持ってたっけ? お恥ずかしい話、拾った家庭菜園用のシャベルを短剣に見立てているだけです。

 黒刀はサナの右肩から斜めに振り下ろしてきた。避けると後手に回るし、そもそもわたしなんかが回避できる速度ではない。サナは負けじと短剣の刃を交錯させた。その際に一瞬だが熱さを感じた。飛んだ火花が露わになった肌に散ったのだろう。続けざまに黒い太刀筋が首元へ襲い掛かる。サナは身を屈めて、勢いよく立ち上がると、正面の扉へ走った。背後を見ずともこちらに向かってきていることくらい気配で分かる。

 サナは思いっきり扉を閉めた。施錠は無意味。どうせ壊してくるから。たった今、扉をガンガンと執拗に殴りつけている最中だ。凹み具合からしてそれも時間の問題だろう。破られる前にあの段ボール箱が散乱した左の扉を開けた。



 ガシャァンッ! 


 無造作に蹴り破られたような轟音。黒い靄は侵入者の行方を追う。扉は正面と左のふたつ。このどちらかに侵入者がいるはずだ。部屋の中央で黒い靄は歩を止めた。左の扉から細い黒煙が漏れている。確か侵入者は松明を帯びていたはずだ。事前の情報によれば、その部屋は段ボール箱が散乱しているとのこと。そこへ引火したと考えるのが自然だ。


 よって、侵入者はそこだ。


 靄は人型へ姿を変えて乱暴に扉をぶち開けた。直後、充満した煙が一斉に放出されて、あっという間に煙幕に包まれた。ポルターガイストの大半は夜目が効く。だが、直接視界を遮られると、先は見渡せなくなる。再度、刀剣に変形した靄は二、三回ほど自身を振り回し、風圧で煙を掃い除けた。しかし、そこに侵入者の姿はない。まさか、と悟った時にはもう手遅れだった。


「やあッ!」


 背後からシャベルを両手で持ち、全体重をかけて奴を火渦に押し込んだ。そして、すぐさま扉を閉めて予め用意していた髪留めを鍵穴に差し込み施錠。効果があるかどうかは知らないけど、予定通り閉じ込める事には成功した。今のうちに距離を置かねば。サナはデスクのあった部屋に戻り、正面の扉を髪留めで開錠して奥へと駆けた。

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