21/ 地下

 腐った食材で作られた蛙こと『アンデットード(命名)』は、挨拶代わりに鳴のうを膨らませて鳴いた。げっぷに似た声にサナは思わず顔をしかめる。


 だって臭いんだもん。


 アンデットードは発達した後ろ足で床を蹴り、高く跳躍してボディプレスの体勢を取った。おそらく重量は大したことないが、あんな嫌悪を体現したような奴にのしかかられると思うとゾッとして堪らない。緑黄色の身体に居ついた大量の蠅が鉄兜に侵入してこないとも限らないしね。

 サナは前方に飛び退き回避。べちゃんッ、と生々しい音が背後から聞こえ、思わず鳥肌が立った。黒板を爪で引っかいたり、マイクでハウリングを起したりした時と同じタイプ。


「ぅっぷ……!?」


――コイツ……動く度に腐敗臭をまき散らしてる……!?


 まともに吸い込むと気絶しかねない。呼吸とダメージは最小限に。なるべく酸素を使わない。無酸素運動を心掛けて。


「難易度、高すぎ……」


 自分で課せておいて言うのもなんだが、少々無理があるな。逆に思い切り吸い込んで免疫をつけるのはどうだろう。初めて鮮魚コーナーに潜り込んだ後に別のコーナーの悪臭に耐えれたのは、事前に強烈な腐臭を吸ったからだと思う。我慢するのは最初だけだし、試してみる価値はあるかも。

 サナはごくりと生唾を呑んで、ゆっくりと二酸化炭素を吐き出す。そして……、


 すうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……!


 不愉快な臭いに気絶しないよう気を保っていたが、根性や精神論には限界がある。無意識のうちにサナは足元がおぼつかなくなっていた。次第に頭の中がぼんやりし始める。薄れゆく意識、霞んだ視界にはアンデットード。そしてその背後、あの全身が真っ白で美麗な女性がこちらを見ていた。


――ごめんなさい……


 〝髪留めおまもり〟ならウェストポーチにしまってあるから……。



          §



「ん……」


 サナはパッチリと瞼を開けた。布団はコンクリート、瓦礫の枕を敷いて横たわっていたらしい。寝心地の悪さが逆に彼女を我に返した。


「ここは……」


 ゆっくりと起き上がり、辺りを見回してみる。しかし光が一切なく、ここがどこなのか分からない。暗闇に包まれた現状はさながら、密閉された箱の中。


「わたし……確か、食品売り場にいたと思うんだけど」


 数分または数時間、はたまた数日前かもしれない。廃墟と成り果てたショッピングモールで錆びついた防火扉を開けるために、食品売り場で油の調達へ赴いた。そこで腐敗した生鮮食材を集めて形成した蛙型ポルターガイスト、『アンデットード(命名)』と交戦した。奴はこれまで出会ったポルターガイストたちより厄介だ。何せ相手は腐った食材の集合体。動く度に強烈な腐敗臭をまき散らし、おまけに大量の蠅を周りに群がらせている。


 そんな醜悪の権化の腐臭は想像以上にひどく、この臭いに慣れなければ勝機は薄いと判断したサナ。初めに立てた算段に難があると考えて、比較的安易な策を練った。かつて裏口の魚介が腐乱した鮮魚コーナーへ立ち寄った際にとんでもない悪臭に支配されていたが、抜け出した後に果菜コーナーへ行ってもあまり気にならなかった。当然、臭いは充満していたはずなのに。体験談を糧に、奴が吐き出す汚臭を思い切り吸い込んだがあまりの臭さに悶絶する間もなく気絶した。


――我ながら馬鹿な事をしたと思う。


 今思うと、無意識のうちに冷静さを欠いていたのかもしれない。覚えているのはそこまでで、この現状に至るまでの記憶は皆無。まるで記憶の一部を切り抜かれたようだ。


「ふむ……」


 いくら考えたところで答えを出てこない。ならば動くしかないだろう。それにこんな陰気な場所からは一刻も早く抜け出したいし。

 そうして行動に移そうと立ち上がったその時、サナは違和感を覚えた。どうも身体が軽い。鉄兜に鎧、全身を甲冑で包んでいるのに。


「どうして……?」


 備品の重さに慣れたのだろうか。根拠としては有力だった。何せ装備して走り回ったり武器を振り回したりしていたし。だが腑に落ちない。どうもスース―するのだ。それに寒くなってきた。サナは暗闇のなかで自身を検める。思わず腰が抜けそうになった。


――ど、どうして……どうして、わたし裸なのッ!?


 サナは胸から足甲をぺたぺたと触れてみたが、あるのは鉄ではなく紛れもない肌の感触のみ。


「誰かに脱がされた……!?」 


 もしかすれば、隅から隅まで見られたのかもしれない。それとも触られたのだろうか。サナはブンブンと首を振った。その先は考えたくない。恐怖と羞恥で泣き崩れそうになったが、ギュッと唇を噛み締めて必死に堪えた。


――さっさとここから出よう


 サナはガシガシと目元を拭って暗闇のなかで顔を上げた。




 わたしは今、廃墟モールの地下フロアにいるのだろう。僅かな光すらないってだけのチープな予想だが。こうも暗くてはまともに観察できない。

 サナは一度跪き、手で瓦礫や廃材をどかしていく。先に何があるのか全く分からないというのは、こうも恐ろしく寂しいものだと実感した。そんな中、サナの手に何やら柔らかいものが触れた。それを掴んで手探りで形状を確かめる。やや丸みを帯びていて、かつ何やら詰まっている。両端に紐が伸びている……。サナはハッとした。


「わたしのウェストポーチじゃん……!?」


 ファスナーとジッパーも付いている。中身を落とさないように慎重に開け、手探りで道具を判別していく。


「これは切餅で……これはカッター。ライターに……」


 経口補水液ッ! 最後だけ意気揚々と喝采を上げた。しっかり二本ある。ひとまず脱水症状には困らないだろう。このフロアに水分があるとは到底思わないしね。


「あっ」


 何かを思い出したサナはライターの火でポーチを照らした。すると隙間から黒いケースが現れた。ライターを持ちながら器用にケースを開ける。出てきたのは、先端が尖った歪な形の髪留めだった。


「あの人……取らなかったんだ」


 あの人――スポーツ用品を扱うテナントでわたしをこの髪留め一本で助けてくれた命の恩人。彼女が残した髪留めを回収して、おまもりに見立てて所持していたのだ。

 ポルターガイスト現象同様に不思議な力があるのかもしれない。


 少し元気が出てきたサナは小さな明かりを頼りに探索を続行。せめて何か着るものが欲しい。あれだけ嫌っていた鎧兜も今となっては恋しく思う。

 露出魔と大差ない、この現状をいち早く打開したかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます