一章

01/ 幼馴染

 三月の下旬、八重桜やえざくらサナは田舎を飛び出して都内の賃貸アパートで一人暮らしをする事になった。というのも、サナは今春から晴れて高校生になる。両親には反対されたが上京する動機を明かしたところ、渋々承諾してくれて最終的には笑顔で旅立ちを祝ってくれた。


 動機――彼女の夢はイラストレーターになること。それは十二年前から決して揺らぐことはない。志すきっかけは些細なもので、幼少期に「絵が上手」と褒められたからだ。当時のことは、十六歳になった今でも鮮明に憶えている。



          §



 サナには二歳年上の幼馴染がいた。

 インドアのサナとは対照的にアウトドアだった彼に、よく外へ連れ出されていた。あまりのしつこさに堪らず一喝したこともあったが彼は懲りずに誘ってくる。観念したサナは仕方なく誘いに乗ってあげた。

 これっきりにしよう。もう来ないで、と辛辣な言葉を放ったこともあったっけ? しかし彼は来た。お互い、過疎地域に住んでいたのもあって遊び相手がいなかったのだと思う。気が付けば彼の誘いを心待ちするようになっていた。


 今日も彼が遊びに来るはず。うきうきしながら待つこと数分、インターホンが家の中に響き渡った。サナは目を輝かせて脱兎の如く玄関まで駆けた。


「おはよう……ん?」


 彼は昨日と同じ服装でやってきた。しかしその顔に笑みはなく、ひどく沈んでいる。


「どうしたの?」サナの質問に彼は口を紡いでいたが、やがて重々しく告げた。


「僕。もうサナとは遊べない」


 突然のカミングアウト。サナは戸惑いを隠しきれず慌てて問いただす。


「ど、どういうこと? わたし、なにかしたかな……?」


「違うよ」彼は首を振った。「引っ越す事になったんだ」


「ひ、引っ越す……? どこに……」


「とうきょう……ってお父さん言ってた」


 当時、四歳だったサナに地理が理解できるわけがない。口ぶりから察するに彼も同じだったのだろう。


「でも、すぐ……すぐに会えるんだよね?」


 きっと会える。そう言って、彼が頷くのを期待していた。だが、彼は俯いたままだった。


「ここから、すごく遠いところだから……」


「もう……会えないの?」


 サナは震える自分の声を聞いた。彼は首を横に振って「いつかは会える」と否定した。六歳児の言葉に根拠はない。しかしわたしたちの人生は始まったばかりに過ぎない。月日が経てば、きっと再会を果たせるはずだ。


「……そうだね」サナは潤む視界のなかで目尻を拭う彼を見た。


 サナは嬉しくて堪らなかった。彼が自分と同じ心境なんだって思うと胸が熱くなる。当時はこの感情が何を意味しているのか分からず、母に尋ねてみたが微笑むだけで教えてはくれなかった。だが、十六歳になった今なら理解できる。


 彼に惹かれていたのだと。そして初恋だったと断言できよう。



 翌朝、彼の家から人の気配が消えた。家具をすべて撤去した部屋は限りなく寂しく殺風景だった。父の話によると、どうやら明朝に旅立ったらしい。

 どうして言ってくれなかったの――とは口にしなかった。話したいことは昨日のうちに済ませた。

 だからサナは頬を緩ませ「いつか会えるし」と強がりを言って両親と向き合った。


「そうだな。サナが信じていればきっと会えるさ」


 父が穏やかに告げる。母は目を細めて頭を撫でてくれた。ふたりの優しさを前に堪えきれず、その場ですすり泣いた。


 別れは唐突にやってくる。齢四歳の少女が知った初めての現実だった。

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