49:旅立ちの日(祭りのあと)

 月と星が輝く空に、拍手と歓声が響き渡り、篝火が揺れる。ニースがお辞儀を終えると、グスタフたちがステージへ上がった。終わらぬ拍手のなかで、ラチェットがゆっくりとオカリナを奏で始める。拍手の音が静まると、グスタフが再び口を開いた。


「それでは、ここから最後の演奏となります。我々全員で、演奏いたします。どうぞ、みなさまも一緒に踊ってください」


 グスタフの声を合図に、メグとジーナがステージを降りて観客の中へ入っていった。人々がメグの進む道を開けると、そこには取り残されたマルコが立っていた。


「え? ……ええ⁉︎」


 慌てふためくマルコの手を、メグは笑顔で掴む。同時に、オカリナの音色が楽しげなものに変わった。

 グスタフがバイオリンで軽快な旋律メロディを奏で、マルコムが木の箱に穴が空いたような太鼓に座り、リズムを打ち鳴らす。

 顔を真っ赤にして固まるマルコを引きずるように、メグは踊り出した。


「うわー、ずるい、あいつ」

「俺も踊りたいな」

「二人ともいくわよ!」


 エミルたちもマルコのそばへと駆け寄り、踊り始めた。大人たちも、子どもたちにつられて踊り出す。すると、さり気なくジーナがマシューたちのそばへとやってきて、ダミアンの手を取った。


「……え?」


 呆気に取られるダミアンを連れて、ジーナはタンバリンを鳴らしながら踊り始めた。


「ちょ、ちょっと!」


 慌ててリンドがダミアンの手を奪い取り、そのまま二人は手を繋ぎ、踊り始めた。楽しげな姿に、マシューが笑った。


「せっかくだから、わしたちも踊るか?」

「あら、いいわね。お互い相手はもう空の上だものね」


 マーサが子どものように笑うと、マシューはマーサの手を取った。

 リズムに乗って踊る人々を見つめながら、ニースは手で涙を拭った。そして、ふぅと小さく息を吐き、グスタフたちの旋律に合わせて笑顔で歌い出した。

 マルコムの太鼓にグスタフのバイオリン。ラチェットのオカリナとニースの歌声。シャンシャンと響くジーナのタンバリンも合わさって、人々の笑い声もこだまする。

 旅の一座が運んできた、楽しい夜も今日で終わる。人々は別れを惜しむように、夜遅くまで踊り続けた。



 きらきらと眩い朝日が町を照らす。出発の朝を迎え、ニースは荷物を手に市門へ向かった。見送られると泣いてしまうからと、家でマシューたちと別れの挨拶をしたニースの頬には、涙のあとが残っていた。


 市門のそばには、出発の準備を終えた一座の馬車と、小さな荷馬車が二台、並んで止まっていた。「旅の一座ハリカ」と書かれた木製の馬車へニースが歩み寄ると、御者台に座るグスタフが苦笑いを浮かべた。


「グスタフさん、おはようございます。よろしくお願いします」

「おはよう、ニース。悪いが、少し待ってくれ」


 緊張した面持ちで、ぺこりと頭を下げたニースに、グスタフは困惑した様子で答えると、小窓から客車の中へ何やら話し始めた。

 不思議に思い、ニースが首を傾げていると、オルガン馬車の手綱を握るラチェットが声をかけた。


「ニース、おはよう。寝坊しないで、偉かったね」

「おはようございます、ラチェットさん。ぼくは、どこに乗ればいいんですか?」

「うーん……。それなんだけどね」


 ラチェットは、グスタフと同じように苦笑いを浮かべていた。歯切れの悪いラチェットに、ニースは何があったのか尋ねようとした。

 すると、グスタフの馬車の扉が、ギィと開いた。ニースが目を向けると、メグに支えられながら、ジーナが馬車から降りて来た。

 ジーナは、ふらふらになりながらも、ニースの前へやって来ると、力一杯両手を合わせて声を上げた。


「ほんっとうに、ごめんなさーい!」


 緊張感のない声ではあるが、精一杯頭を下げて謝罪するジーナに、ニースは呆気に取られた。


「もうっ、お母さんたら! 本当に恥ずかしいわ!」

「メグちゃんの言う通り! お母さん、もう何も言えませーん!」


 ぷぅと頬を膨らませて怒るメグに、ニースは苦笑いを浮かべた。


「えっと……。どういうこと?」

「どうもこうもないの。お母さんたら、昨日の夜踊りすぎて、身体中痛いから馬車に乗れないって言うのよ」


 メグは呆れた声でニースに答えた。楽しい別れの夜に浮かれて、数年ぶりに踊ったジーナは、激しい筋肉痛になっていたのだ。

 話を聞いたニースは、なるほどなと思った。


 ――そういえば昨日って、みんなジーナさんの踊りを早めにやめさせようとしてたんだっけ。結局ジーナさんは、ずっと踊ってたけど。あれって、こうなるのを分かってたからなんだ。


 ニースは、元踊り子のジーナをなぜみんなが止めるのかと不思議に思っていたが、ジーナに踊らせてはいけないのだと、納得した。

 メグが申し訳なさそうに、言葉を継いだ。


「だからね、ニース。お母さんの痛みが引くまで、もうちょっとだけ待って」

「ちょっとって、どのぐらい?」

「そうね……お昼頃、とか?」

「そんなすぐに治るの?」


 二人の話を遮り、ジーナが縋り付くように声を上げた。


「ニースくん、許してー。本当に痛いのー。もう無理なのー」


 悲痛なジーナの叫びに、ニースは戸惑いながらも頷いた。


「えっと……。ぼくは、まぁ、大丈夫です」

「ありがとー」


 よほど体が痛いのか、ジーナは安心すると、転がるように地面にへたり込んだ。


「ちょっと、お母さん! こんな所で座らないでよ!」

「だってー……」


 メグとジーナのやり取りを見て、ジーナよりメグの方が強いんだなと、ニースは思った。そこへ、町の方からマルコムが駆け足でやってきた。


「いやー、参った、参った」

「マルコムさん、おはようございます」

「おっ、ニース来たか。おはよう。……そうだ」


 マルコムはニースに挨拶をすると、ニヤリと笑った。


「今夜一晩だけでいいんだ。俺たちを泊めてくれないか?」

「え……?」


 ぽかんと口を開けたニースに、マルコムは肩をすくめた。


「宿の予約がいっぱいでな。泊まる場所がないんだよ」


 マルコムは、宿泊していた宿に延泊を頼んだが、断られていた。

 アマービレ王国の庶民の宿は、一部屋に雑魚寝が多い。一つのベッドに、何人もで眠るのが普通だった。しかし一座は、個別に部屋を使っていた。

 マルコムは、のために相部屋を嫌がり、グスタフとメグはジーナのいびきを嫌がった。年頃のメグは、父親であるグスタフと一緒の部屋などお断りだ。

 ラチェットは馬車で寝泊まりしていたが、一座の滞在中は四部屋が埋まっていたのだ。出発と同時に、四部屋分の客を取ろうと、宿屋の主人は奔走していた。

 マルコムは、はぁとため息を吐き、言葉を継いだ。


「一部屋でもいいからって粘ったんだけどな。時期が悪かったよ」


 辺鄙へんぴな田舎町の宿屋だ。通常は、どんなに頑張っても予約が埋まる事などない。しかし、いよいよ花祭りが始まるということで、クフロトラブラには、多くの観光客が訪れていた。その上、今年の人出は近年稀に見るものだった。

 例年より祭りの開催が遅れた今年は、宣伝を充分に行う事が出来ていた。そのため、町全体の宿の収容人数を上回るほどの人が集まっていたのだ。

 宿に泊まれなかった者たちは、町の近くで野宿をしながら、花祭りの開始を待っていた。宿屋の主人は、あっという間に予約を集めており、どれだけ大金を積まれても、延泊は無理だと断ったのだった。

 マルコムの話に、メグが声を挟んだ。


「それでいいのよ。もう一晩町に泊まるなんて、恥ずかしいもの」


 前日の晩にあれだけ大々的に、祭りのようなお別れ公演を催したのだ。すでに旅立っているはずの一座が、ジーナの筋肉痛のために滞在を延期しているなど、メグにとっては耐えられないことだった。


「お嬢、だがな……」


 困惑するマルコムに、メグは、ふふふと笑った。


「だから、名案だって思うわ。ニースの家なら、町から離れてるもの。ねえ、ニース。泊めてくれるわよね?」

「え……。えっと……」


 期待を込めた眼差しが、メグだけでなく一座全員からニースに向けられた。特にジーナからは、一際強いが放たれていた。ニースは頷く以外、何も出来なかった。

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