47:旅立ちを前に2(お祭り広場)
優しい春の日差しが、石造りの街並みを照らす。昼食を取ったニースは、予定より少し早く一人で家を出ていた。公演の準備があるだろうと、マシューが気を利かせたのだった。
ニースが町の広場に近づくと、いつもと違った光景が目に飛び込んできた。
「わぁ! お祭りみたいだ!」
色とりどりの布が風に揺られ、広場を華やかに飾る。いつもは布を広げただけの簡素な市が並ぶ広場の外縁には、埋め尽くすように屋台が立ち並んでいた。その様は祭りの様相に似ており、ニースは切なさを感じた。
――そっか。花祭りの日が近いんだ……。
クフロトラブラでは、年に二回、春と秋に祭りがある。花祭りと呼ばれる春の祭りは、冬の終わりと春の訪れを祝う祭りだ。先祖に春の花を捧げ、食用花を使った料理を振る舞うのだ。
花祭りは毎年、雪が解け花が咲き乱れるようになってから行われる。花がたくさん咲いてから行われる祭りなので、詳しい日にちは定められていなかった。
ニースは、楽しい祭りを前に旅立たなければならない事に、一抹の寂しさを感じながら歩いた。
――でも……花祭りに似てるけど、少し違うかも。
広場には、至る所に鉄製の
――馬車はどこに行ったんだろう……?
ニースは、どうしたものかと立ち止まり、辺りを見回した。そこへ、後ろから声がかけられた。
「ニース、来たのね」
ニースが振り向くと、メグが立っていた。
「こんにちは、メグ。馬車はどうしたの?」
「今朝早くに町の入り口に移動させたわ。ラチェットは渋ってたけどね」
メグは肩をすくめると、ニースの手を取った。
「さ、こっちよ」
ニースはメグに連れられて、宿の食堂へ向かった。中に入ると、一座全員が大きなテーブルを囲んでいた。
ニースの姿を見ると、マルコムとジーナがニヤニヤと笑みを浮かべた。
「お、来たな。今夜の主役が」
「ふふふー。待ってたわよー、ニースくーん」
「みなさん、こんにちは。よろしくお願いします」
ニースは挨拶をすると、ラチェットの隣に座った。グスタフが微笑み、ニースに語りかけた。
「ニース。一日早いが、もう今日から君は、私たち
山賊のような顔立ちのグスタフから、急に呼び捨てで名前を呼ばれて、ニースは思わず、ぷるりと震えた。
――ぼくはもう、一座の仲間なんだ。グスタフさんは良い人なんだし、顔でびっくりしてたら失礼だよね……。
緊張したまま笑顔を作ったニースに、マルコムが笑った。
「びっくりしただろ?」
「え⁉︎」
「広場が変わってて」
どきりとしたニースは、そっちの話かと、ほっと安堵した。
「あ、はい……。花祭りみたいになってましたけど、少し違うなって思ってたんです」
「へえ。何が違うんだ?」
「えっと、肉祭り……じゃなかった。羊祭りみたいだなって思って」
ニースの話に、ラチェットが興味深げに問いかけた。
「肉とか羊って、そんな祭りもあるのかい?」
「はい。秋のお祭りなんです」
町で行われる秋の祭りは、羊祭りと呼ばれる祭りだ。先祖に一年の無事を感謝し、冬を無事に越せるよう、毛を蓄えた羊を捧げて祈るのだ。
冬になる前に英気を養おうと、皆で羊肉を食べ、夜遅くまで騒ぎ明かすため、子どもたちの間では肉祭りとも呼ばれていた。
話を聞いたラチェットは、はははと笑った。
「それで肉祭りなんだね」
ニースは、恥ずかしさを誤魔化しながら、頷いた。
「はい。花祭りは昼だけなんですけど、羊祭りは夜までやるんです。だから、その二つが混ざったみたいだったので、びっくりしました」
「なるほどね。
ここ一週間ほどで花が咲き乱れるようになり、町は花祭りの開催時期を迎えていた。しかし今年は、一座が祭り会場となる広場を借りていたため、開催が遅れていた。
「僕たちのせいで、祭りが遅れてたからね。僕たちが出発したらすぐにお祭りを始められるように、飾り付けがされてるんだ」
花祭りは、一座が旅立った翌日から行われる事になっていた。ニースは、なるほどと頷いた。
「だから、お祭りが混ざったみたいになってたんですね」
「それだけじゃないんだけどね」
「ほかにも何かあるんですか?」
二人の話に、ジーナが声を挟んだ。
「この前ねー。町長さんとお話したら、最後の夜にパーティしちゃおーって決まったのよー」
「町長さんがですか?」
ぽかんとしたニースに、メグが呆れたように頷いた。
「そうよ。お母さんが町長と知り合いだなんて、思わなかったわ。あんなに意気投合しちゃうんだもの、びっくりよ」
メグの言葉に、グスタフが笑って話した。
「ああ、それはだな……」
グスタフたちは、十五年前にもクフロトラブラを訪れていた。当時の一座は、美食の国、アマービレ王国の名物料理を余す所なく堪能しようと、王国内を隅々まで興行して回っていた。そのため、山脈越えの予定などなくとも、辺境の町にも訪れたのだった。
マルコムが、懐かしむように呟いた。
「あの頃のジーナは美人だったよなぁ」
マルコムの失言に、ジーナは素早く反応した。
「ちょっと、マルコム。それじゃ私が、今は美人じゃないみたいじゃない」
「あ、ああ。すまん……」
いつもの陽気なジーナの声が、ドスの聞いた声に変わったのを聞いて、ニースは決してジーナに逆らわないと、改めて心に固く誓った。
マルコムが謝っても、ジーナは視線だけで射殺しそうなほど睨みつけたままだ。見かねたグスタフが、宥めるように声を挟んだ。
「まあまあ、ジーナ。君は今でも美しいよ。君の美しさを知るのは、私だけで充分じゃないか」
「まあ、グスタフったらー! 照れるわー!」
照れたジーナがグスタフの背をバンバン叩くと、グスタフは倒れ伏した。しかしそれに気付くことなく、ジーナはもじもじしながら叩き続けていた。
話せなくなったグスタフの代わりに、マルコムが頬を引きつらせながら、話を続けた。
「ま、まあ、そういうわけでだ。当時のジーナに
「……入れ込む?」
ニースは、まだ恋とは程遠い年齢だ。首を傾げるニースに、ラチェットが耳打ちした。
「大ファンだったってことだよ」
「ファン……。大好きだったんですね」
「そう。そういうこと」
ニースが納得したので、ラチェットは、ほっと胸を撫で下ろした。純情っていいなと、安堵するラチェットを横目に、メグが不思議そうに、マルコムに問いかけた。
「でもその頃のお母さんは、もうお父さんと結婚してたのよね」
「ああ。結婚したばかりだったよ。だから町長は、ジーナに相手にされなかったんだが……まあ思い出とは、美しくなるものなのさ」
ニースは二人の話を聞いて、自分なりに解釈した。
「えっと。つまり町長さんは、今でもジーナさんの大ファンだってことですか?」
「そういうことだ」
マルコムは、ニッと白い歯を見せて笑った。ラチェットが眼鏡をくいと上げて、ニースに微笑んだ。
「そういうわけで、町長が僕たちとニースを、お祭りで盛大に送り出そうと企画してくれたんだよ」
メグが頷き、話を継いだ。
「急な話だったんだけど、町のみんなは花祭りの準備で、すでに屋台を用意してたらしいから。飾りはもうしてあったし、一晩で全部出来ちゃったってわけ。びっくりよね」
「そうだったんですね」
気持ちを落ち着けたジーナが、笑顔でひらひらとニースに手を振った。
「そういうことだから、ニースくんも今夜は楽しんじゃってねー」
「えっと、そうすると、今夜の公演はオルガンを使わないってことですか?」
「そのことを話すために、ここにみんな集まってるんだ」
マルコムはニヤリと笑うと、ニースのために果汁を注文した。女将が小さなグラスに入れた果汁を持ってくる頃には、グスタフも復活していた。
その後、ニースが加わった「旅の一座ハリカ」の、第一回公演打ち合わせが行われた。打ち合わせが終わるまでに、ニースは滅多に飲めない果汁を、二回お代わりしていた。
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