44:帰ってきた家族2(旅の準備)
テーブルに並んだ皿から、ほかほかと湯気が上がる。食卓には、リンドの作った具沢山のスープと、山のように盛られた黒パンが置かれた。
食卓の椅子は四脚だけだ。大人たちと共に、ヘレナが当然のように最後の一脚に腰を下ろす。ニースたち男の子は、腰掛けや空いた木箱に、文句を言わず座った。
家族全員が集まった朝食の席で、子どもたちはニースの旅について知らされた。今までになく賑やかな朝は、話を聞いた三兄弟の声で、より騒がしさを増した。
「なんでだよー! せっかく可愛い弟が出来ると思ったのに!」
愕然として声を上げたエミルに、ルポルが鼻を鳴らした。
「何言ってんだよ、兄貴。ニースの旅には、俺も反対だけどさ。弟なら、俺がいるだろ。可愛い
エミルは、わざとらしく嫌そうに、ルポルに目を向けた。
「お前のどこが可愛いんだよ。鏡で自分の顔を見てこいよ」
「うわ、ひでえ。俺は兄貴を尊敬してるってのに」
「なら、俺の肉を取ろうとするなよ!」
エミルの言葉に、ルポルは見つかったと舌を出し、手を引っ込めた。言い合いをする二人を横目に、ヘレナは切なげに呟いた。
「私もショックだわ。せっかくニースと久しぶりに会えたっていうのに、たった一週間しか一緒に過ごせないなんて」
「ごめんなさい……」
ニースは、しゅんと肩を落とした。エミルに絞られたルポルが、口を尖らせ声を挟んだ。
「ほんとニースは薄情だよ。俺はお前の親友じゃなかったのかよ」
「ルポル……」
「旅、やめれないの? 一緒に楽しくやろうよ」
ルポルは言いながらも、ヘレナの皿にこっそり手を伸ばす。ヘレナは眉根を寄せ、パシッとルポルの手を叩いた。
「ルポルは黙って」
「兄貴も姉貴もひどい……」
三人に旅立ちを反対されて、ニースは俯いた。ダミアンがルポル達に、諭すように語りかけた。
「お前たち、ニースを困らせるな。ニースだって、悩んで決めたことだ。それに、ニースと会えなくなるわけじゃない。ニースの家はここで、家族は私たちだろう」
「そうよ。お父さんの言う通りよ。そんなに騒がないの」
大きく頷いたリンドの目は、腫れたままだった。泣いた事が丸分かりな顔を見て、いつもバラバラな三兄弟の意見は、見事に一致した。
「お母さんには言われたくない!」
綺麗に揃った三人の言葉に、マシューが声を上げて笑った。つられてニースが、ぷっと噴き出すと、エミルたちは顔を見合わせて、わははと笑った。ダミアンはにこにこと微笑みを浮かべたが、リンドは、ぷぅと頬を膨らませた。
口々に文句を言いながらも、三人の兄弟たちは、ニースの旅立ちを受け入れた。決して寂しくないわけではないが、ニースや大人たちがよく考えて決めたことだ。仕方がないことなのだと、皆感じていた。
ニースの旅の知らせは、賑やかな食卓を彩って終わった。パセリを纏った朝食のスープは、ほんのり切なく、苦味を感じる味わいだった。
ニースはこの日から、旅の支度をして日々を過ごした。ニースの仕事はルポルたちに引き継がれ、リンドたちも旅の準備を助けた。
ニースが旅に出るという噂は、町へ少しずつ広まっていった。仲の良い人々は、毎日代わる代わるニースの元を訪れた。
最初に来たのは、マーサだった。マーサは、ニースの決断を尊重すると公言していたが、ニースが旅立ちを決めたと聞くと、一転して反対を表明した。
「ニースと会えなくなるなんて、絶対嫌よ!」
「マーサおばさん……」
「旅なんて行かないで、ずっと一緒に暮らしましょう」
マーサはニースを抱きしめ、絶対離さないと言わんばかりに、ぎゅうと力を込めた。
見守っていたマシューとリンドは、マーサの気持ちは変わらないと思った。しかし、抱きしめられて息のできないニースが倒れるという珍事件が起き、風向きは変わった。
マシュー達に説得され、マーサは渋々ニースの旅立ちを受け入れた。
「ごめんね、ニース。でも私は、本当にニースのことが好きなのよ」
平謝りをするマーサに、ニースは、ふわりと微笑んだ。
「マーサおばさん、大丈夫だよ。ぼく、分かってるから」
「本当に……ニースは良い子ねぇ」
マーサは涙を拭い、旅の餞別にと、手編みのストールをニースに渡した。
「私にお土産はいらないわ。何年経ってもしぶとく生き残って、ニースのことを待ってるから。元気に帰ったら、また歌を聞かせてちょうだいね。約束よ」
「うん。約束するよ」
「絶対よ」
「うん。絶対」
マーサは、ふんと荒く鼻息を吐きながら、何度もニースに言い募った。ニースはマーサが納得するまで、何度も何度も誓った。マシューとリンドは呆れながらも、微笑ましく二人を見守っていた。
次に来たのはウスコだった。ウスコはヨハンと共に訪れ、ニースが帰るまで羊たちの世話は任せろと言った。ヨハンは、ニースに少し大きめな上等のローブを餞別に渡した。旅の間、しっかり身を守れるようにと、ウスコと共に用意したのだ。
「ローブの代金、半分はウスコにつけてあるんだ」
「余計なこと言うな、ヨハン」
二人の言い合いも、もう見れなくなるのかと、ニースは切なさを感じた。
何人もの人々が、ニースに別れを告げるため家を訪れたが、ニースにとって意外だったのは、マルコがエリックたちを引き連れて来た事だった。
大挙してやって来た少年たちを見て、エミルとルポル、ヘレナまでもが、ニースとマルコ達の様子を見守った。
「マルコ……どうしたの?」
「ん!」
マルコは家に入ろうとせず、玄関の前で、ニースに無言で木剣を差し出した。それは、いつもマルコが腰に下げて自慢していた、マルコお気に入りの木剣だった。
「え……これ、ぼくに?」
「ん!」
何も言わずにひたすら木剣を押し付けてくるマルコに、ニースはたじろいだ。
「でもこれって、マルコの大事なものじゃ……」
「ん!」
「さっさと受け取れよ。マルコが困ってるだろ」
見かねたエリックの言葉に、ニースはようやく受け取った。
「ありがとう、マルコ」
「……ん」
ニースがはにかむと、マルコは照れくさそうに鼻をこすった。すると、エリックたちも餞別の品をニースの腕に
「じゃあ、ニース。俺からはこれな」
「え?」
「俺はこれ」「僕のも」
「わわっ……」
羊毛を編んで作った投石紐や、保存食代わりの木の実など、少年たちが持つ中で最高の宝物が、ニースの手に次々渡された。いつの間にか、ニースの手にはこんもりとたくさんの品が乗せられ、前が見えなくなるほどだった。
落とさないように気をつけながら、ニースは礼を言った。
「あ、ありがとう」
「礼なんか、いらないよ」
戸惑いつつも微笑むニースに、エリックたちは照れくささを隠すように、ふんと鼻を鳴らした。
ニースに全て渡したのを見届けると、マルコは、くるりと背を向けて歩き出した。慌ててエリックたちが追いかけると、少し離れた場所でマルコたちは足を止め、振り返った。
「やーい、馬鹿ニース! 無事に帰って来なかったら承知しないからなー!」
「帰ってきたら、可愛い女の子紹介しろよー!」
マルコたちは口々に好き勝手叫ぶと、満足した様子で帰っていった。ニースが唖然として見送るそばで、エミルたちが、ぷっと噴き出した。
「なんだ、あいつら素直じゃないな」
「いい友達いたんだな、ニース」
「可愛い女の子ならここにいるじゃない。失礼ね」
「ヘレナ……」
「姉貴……」
「なによ、その蔑むような目は。そんな目でレディを見ないでくれる⁉︎」
なぜか始まる兄弟喧嘩を横目で見ながら、ニースはマルコたちに感謝した。
――みんな、本当にありがとう。元気でね。
クフロトラブラの町の人々は、大人も子どもも皆がニースを大切に考えていた。それを心から感じたニースは、胸を締め付けられるような切なさを感じた。
ニースの旅立ちの日まであと二日。ニースは町へ帰るマルコたちの後ろ姿をじっと見つめ、優しさを目に焼き付けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます