26:一座との出会い1(踊り子メグ)

 石畳の道を、花のように可憐な少女が軽い足取りで歩く。広場での公演の翌日。旅の一座の少女、メグは、クフロトラブラの町を散策していた。


 ――食べ物屋さんはたくさんあるけど……他のお店は少ないのね。


 クフロトラブラは小さな町だが、酒場や飲食店の数が多い。アマービレ王国は美食の国として有名なため、辺境の小さな町にも、美味しさを求めてやってくる旅人は多かった。

 爽やかな春風に、メグのスカートの裾がひらめく。風のいたずらで見え隠れする小麦色の美しい脚に、町の男たちの視線は釘付けだ。しかしメグは、気にする事なく町を歩いた。


 ――せっかくお昼はお休みだっていうのに。小さな町だから、あまり見るところがないわ。


 田舎町へやって来る旅芸人は滅多にいないが、訪れる者たちは単独で興行を行っても集客が見込めるほど、腕のいい者ばかりだ。彼らは市場の片隅などで演奏すると、あまりに人が集まりすぎるため、店での依頼を受けたり、広場や劇場を借りて公演を行う。

 旅芸人は単なる演者ではなく、優秀な興行主でもある。メグたち「旅の一座ハリカ」も、夜の飲食店や酒場で主に公演を行っていた。

 メグは羽織っているマントの紐を、しっかりと結び直した。


 ――森は危ないだろうけど、町の周りには牧場が多かったわね。可愛い動物が見れるかもしれないし、外に行ってみようかしら。


 メグは、町へ着いてから毎日のように町中探検を行っていた。山あいの小さな町は、見る場所はそれほど多くない。すっかり町の中を見て回ってしまったメグは、市壁を抜けて郊外へ足を向けた。



 穏やかな木漏れ日が、若草に揺れる。森の木々を遠目に見ながら、畑や牧場の中を縫うような小道を、メグは一人、歩いて行った。


 ――あら? 何の楽器かしら?


 メグは、風に乗って聞こえてくる微かな旋律メロディに気がつき、耳を澄ませた。


 ――いい音色ね……。こんな田舎町にも、腕の良い人がいるなんて。これは座長の娘としては、見過ごせないわ。


 メグは、音の正体を求めて辺りを見回した。すると、その音に言葉があることに気付いた。


 ――これは……楽器じゃないわね。人の声だわ。どういうことかしら?


 メグはますます興味を抱き、青く澄んだ瞳をキラキラと輝かせながら小道を急いだ。


 流れるような黄金色の髪をなびかせ、メグは走る。程なくして、木々の向こうに小さな牧場が見えてきた。


 ――あの牧場かしら。


 メグは走るのをやめて目を凝らした。淡い緑が溢れる牧場には、羊たちが雲のように草原にひとかたまりになっていた。


 ――あの羊のあたりから聞こえるわね……。羊の声って、こんなだった?


 羊たちの中央に、黒い影のような物が動いた。


 ――え、うそ……。あれって、人よね?


 メグは驚き、目を見開いた。まるで影のように黒く見えたそれは、間違いなく人であり、子どもだった。

 着ている白いシャツが浮いて見えるほどに黒い頭と手が見える。旋律のように聞こえる声は、その黒い人物が発していることにメグは気付いた。


 ――すごいわ! あんな珍しい子、見たことない! あの子が、この綺麗な声を出してるのね!


 メグは感激に打ち震え、ゆっくり歩きながら旋律に耳を傾けた。笛の音色のようにも聞こえる澄んだ声に、踊ってみたいとメグの胸が鳴った。



 ニースは、一人の少女が牧場に入ってくるのに気がついた。


 ――誰だろう。あんな子、町にいたかな?


 自分よりずっと年上に見えるその少女は、ニースが不思議に思いながら歌うのをやめると、慌てた様子で近づいてきた。

 羊たちが驚いたように道を開け、牧羊犬シェリーがしっぽを振りながら少女に向けて、わんと吠えた。しかし少女はシェリーを見る事なく、ずいとニースに近付いた。


「ちょっと、あなた、今の声はなに? 笛の音色みたいに聞こえたわ。あれって音楽よね? どうやってやったの? なんでやめたの? 私もうちょっと聴きたいから、続けてくれる?」


 少女が早口でまくしたてるので、ニースは面食らった。少女は大人よりは背が低めだが、ニースよりだいぶ背が高かった。マントの下から見える少女の服はワンピースだが、胸から上が空いて肩が露出しているという、ニースが見た事のない奇妙な姿だった。

 ニースは知らない女の子に急ににじり寄られて、どうしたらいいのか分からなかった。


「えっと、その、あの……」

「ああ、ごめんなさい。挨拶するのをすっかり忘れてたわ。私はメグよ。あなたは?」


 メグは思い出したように微笑むと、ヒラヒラしたスカートを軽く摘み、膝を折ってお辞儀をした。


「あ……ぼくは、ニースと言います。はじめまして」


 オロオロしていたニースが慌ててぺこりと頭を下げると、メグはニヤリと笑った。


「さあ、これで私が誰かわかったでしょ。わかったら、さっきの声の秘密を教えてちょうだい」


 ニースは突然のことに再び面食らい口ごもるが、メグは許してくれそうもない。仕方なしにニースは、メグに歌の説明を始めた。



 空高く昇った春の太陽が、柔らかな日差しを落とす。ニースとメグは、牧場にぽつんと生えている木の下に仲良く座り、弁当を広げていた。


「へえ。それであなた、こんな田舎町にいるのね」


 ニースの話を聞いたメグは、ニースの弁当のサンドイッチをつまみながら話した。

 ニースは、メグに矢継ぎ早に質問されるがままに、歌のことだけでなく、自分の生い立ちや追い出された経緯まで、洗いざらい話していた。

 メグは、ニースのことを全て聞いても、驚くこともけなすこともせず、にっこりと笑ったままだった。ニースは、同情することなく優しく接するメグに、すっかり心を開いていた。


「うん。でもぼく、この町が大好きだよ。メグ、水はいらない?」

「欲しいわ」


 ニースは羊の胃袋で作られた水筒をメグに渡すと、自分も残り少ないサンドイッチに手を伸ばす。メグは水筒を受け取り喉を潤すと、満足気に微笑んだ。


「ふぅ。ごちそうさま。このサンドイッチに挟んであるチーズ、すごく美味しかったわ。ここで売ってるの?」

「ううん。これは余った羊のミルクを使って、おじいちゃんが簡単に作ったチーズだから。うちで食べる分しかないんだ」

「そう。それは残念ね」


 メグはマシューお手製のチーズを大層気に入った様子で、至極残念そうに眉を落とした。


「あなたのお昼ご飯を奪っちゃったわね。私の方がずっと年上なのに、もらってばかりじゃ良くないわ」

「気にしなくていいよ」

「そういうわけにはいかないわ」


 メグは少し考え、ふわりと笑った。


「そうね。特別に私の踊りを見せてあげる」

「踊り?」

「あら、言ってなかったかしら? 私、旅の一座の踊り子なのよ。ついこの前、町に着いたの」


 思いがけないメグの言葉に、ニースは、ぽかんと口を開けた。驚きのあまり、ニースの手から食べかけのサンドイッチが、ぽとりと落ちた。羊を見守っていたシェリーが、サッとやって来て、落ちたパンをパクリと食べた。


「え? それってもしかして、昨日広場でやっていた……?」

「そうよ。ニースもあのとき見てたの?」

「ううん、ぼくは……」


 ニースは口ごもり、視線を彷徨わせた。マルコたちに阻まれ、追いかけられ、公演を見れなかったことを思い出したのだ。

 メグはにっこり微笑むと立ち上がり、スカートの裾を払って、ニースの元から数歩離れた。


「見てないならちょうどいいわ。さあ、踊りを見せてあげるから、さっきみたいに歌ってくれる? ニースの歌なら音楽みたいだから、踊るのにちょうどいいと思うわ」


 メグの言葉に、ニースは目を瞬かせ、ゴクリと唾を呑み立ち上がった。


「踊ってくれるの?」

「もちろんよ。あんなに美味しいご飯をご馳走になったんだもの、ちゃんとお返ししないとね。私の踊りは高いのよ。お昼ご飯の代金に充分足りると思うわ」


 メグは自信たっぷりに言うと、ニースに歌うよう促した。ニースは嬉しさに、体が震えた。


 ――踊りが見れる! しかも、ぼくの歌に合わせてくれるなんて!


 湧き上がる喜びと緊張を落ち付けようと、ニースは水筒の水を一口飲んだ。


「メグ、ありがとう! 歌うね!」

「ええ。いつでもどうぞ」


 ニースは、メグから視線をそらさずに歌い出した。ニースの歌に合わせてメグが踊る。春の花々の間を飛び交うように、メグは華麗に美しく舞った。


 ――まるで綺麗な蝶々みたい……。


 ニースが歌い終えると、メグは踊りをやめてお辞儀をした。ニースは顔をほころばせて精一杯の拍手をメグに送った。


「すごい、すごいや! こんなに綺麗な踊り、ぼく見たの初めてだよ!」


 興奮するニースの言葉に照れたように、メグは頬を赤らめ、ふっと笑みをこぼした。


「当然よ。私は踊りのプロなんだから。……でも、ニースの歌も素敵だったわよ。踊ってて気持ち良かった。私も楽しかったわ、ありがとう」


 メグはにっこり微笑むと、ニースに拍手を返した。ニースは照れくささを感じて、はにかんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る