24:旅芸人がやってきた2(旅芸人の噂)

 春の陽気は翌日も続いた。白一色の冬景色から、華やかに変わった牧場の片隅で、ニースとマシューは羊の乳を搾った。


 出産を終えた母羊は、生まれたばかりの仔羊を育てるため栄養満点の乳を出す。町の名物はヤギ乳のチーズだが、人々は仔羊のごちそうを一部拝借し、羊乳チーズも作っていた。

 羊乳チーズの濃厚な味わいは癖になる美味しさだが、羊の乳量は多くない。生産量が少なく希少な羊乳チーズは、王都の高位貴族に人気だった。


 二人は絞りたての羊乳をザルで濾し、ミルク缶へと注ぐ。町中の羊乳が町のチーズ工房に集められ、まとめて加工されるのだ。マシューは缶にしっかり蓋をし、手押し車に乗せてニースへ渡した。


「ニース、気をつけてな」

「うん。行ってきます」


 ニースはマシューと牧羊犬シェリーに見送られ、牧場を出た。鼻歌を口ずさみながら、ニースは町へと歩く。春の風は柔らかく、日差しは暖かい。芽吹いたばかりの草の緑と色とりどりの花に囲まれ、ニースは軽やかに歩いて行った。


 チーズ工房の前では、町の羊飼いたちがニースと同じように羊乳の入ったミルク缶を運び込んでいた。


「やあ、ニース。今日もえらいな」


 羊飼いの大先輩であるウスコに、ニースは笑みを向けた。


「ウスコさん、おはようございます。今日も良い天気ですね」


 ウスコは、ニースがミルク缶を持ち上げるのを手伝いながら語りかけた。


「そういや、ニースは旅の一座を見たことあるか?」

「旅の一座ですか? 音楽会は聴いたことありますけど、旅の一座っていうのは、見たことありません。……あ、おはようございます」


 ニースはチーズ工房の徒弟に挨拶をして、納品台帳に記入すると、空のミルク缶を受け取った。そこへ、店の奥からスラリとした工房の若女将が、頭に布を巻きながら顔を出した。


「あらあら、それなら見に行かなくちゃ。昨日、一座が町に着いたのよ」

「お、若女将も知ってたか。あのイケメンの兄ちゃんに、昔は熱をあげてたもんなぁ」

「よしてよウスコ。私はもう人妻よ。それにウスコだって、綺麗な踊り子の女の子を見て、年甲斐もなく鼻の下を伸ばしてたじゃない。これだからエロじじいは嫌よね」

「美しい花があったら誰でも見惚れるもんなんだよ。年は関係ねぇだろ」


 ウスコと若女将の言い合いに、ニースは微笑んだ。


 ――喧嘩するほど仲が良いんだよね。


 ニースは最初こそウスコの口喧嘩に驚いていたものの、今ではすっかり慣れていた。ウスコはいつも、誰かと言い合いをしているのだ。不思議に思うニースに、マシューやマーサが様々な知恵を授けていた。

 ウスコは話を誤魔化すように、若女将に問いかけた。


「今回はどのぐらい町にいるか、聞いたか?」

「私が聞いた話だと、ひと月ぐらいいるみたいよ。山を越えて国境を越えるつもりらしいわ。雪解けまで、町で色々と準備をするんですって」


 クフロトラブラは、アマービレ王国北東端の町だ。町の背後にそびえ立つラース山脈は、王国を包むように尾根筋のを二つに分けている。

 南へ伸びる尾根筋の東側は、で、西へ伸びる尾根筋の北側は、北の大陸との間を切り離す大海峡だ。

 大海峡から大穴に向けて、海水がを通り、なだれ込む。ラース山脈のは、その大地の裂け目をまたぐように、隣国スピリトーゾ皇国こうこくと繋がっていた。

 山脈を通って皇国へ向かうと聞いて、ウスコは驚いた。


「へぇ、あのラース山脈を越えるのか。度胸あるなぁ」


 山脈の稜線を走る道は、王国のあるアートル大陸と、皇国のあるルテノー大陸を繋ぐ唯一の陸路だが、その険しさのために、大きな隊商が通ることはない。崖のように切り立った場所が多くある上、馬車でも一ヶ月半はかかるほど、危険な道が長く続くのだ。

 大半の人々は危険な陸路ではなく、大金を支払い、海路を使って二つの大陸を行き来する。ラース山脈は、旅慣れた商人や旅人などが、経費節約のために命がけで年に数回通るだけの道だ。しっかり準備しなければ、山脈を越える事など出来なかった。


「ひと月もいるんなら、ニースも何度か一座の舞台を観れるかもな。芸人たちは酒場でも公演するが、町の広場なんかを借りて演奏したりもするんだぜ」

「今来ている一座は、音楽に合わせて踊ったり、手品をしたりするのよ。ニースも楽しめると思うわ」


 ウスコと若女将の話に、ニースは瞳を輝かせた。


「楽しそうですね。観てみたいなぁ」


 ニースは手品を見た事がない。ニースの暮らした伯爵領には、度々手品師や劇団が公演に訪れていたが、まだニースは幼かったため街へ観に出かけることは許されなかった。

 手品や演劇は、街の劇場で夜に催されることが多い。兄アンヘルたちが出かけて行くのを見送っては、ニースは羨ましい気持ちを抱えつつ、ベッドに入る日々を送っていたのだ。

 期待に胸を膨らませるニースに、ウスコが笑いかけた。


「広場で演奏する日がわかったら、教えてやるよ」

「わぁ! ありがとうございます!」


 ウスコの申し出に、ニースは満面の笑みを浮かべ、町を後にした。ニースの足取りは帰り道も軽く、鼻歌を歌いながら家路を急いだ。

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