9:新しい家族1(マシューとの出会い)

 そよ風に吹かれて、木漏れ日が窓越しに揺れる。庭の片隅にある小さな離れで、ニースとマシューは初めて出会った。マシューは、予想以上に真っ黒なニースの姿に驚いたものの、顔には出さずに微笑んだ。


「お前さんがニースか」


 ニースは緊張しながらも、ぺこりとお辞儀をした。


「はい。ぼくがニースです。はじめまして」

「わしはマシューだ。リンドの父親だよ」

「はい。聞きました」


 ニースが丁寧に話すと、マシューは目を細めた。


「話に聞いてた通りだ。ニースは良い子だな。だが、そんなに畏まらんでいい。これから一緒に暮らすんだから」

「……そうなんですか?」


 ぽかんとしてニースが問いかけると、マシューはリンドに苦笑いを向けた。


「リンド。話してないのか?」


 リンドは、気まずそうに答えた。


「色々忙しくてね。あまり詳しくは話せてないの。ごめんなさい」


 マシューは、ふむと頷き、ニースに微笑みを向けた。


「いいかい、ニース。よく聞いておくれ」

「はい」

「旅の準備が終わったら、お前さんは、わしの住む町に行くんだ。だから、そんなに丁寧に話さんでいい。もっと気楽に喋ってくれ」

「気楽に?」

「ああ。わしは羊飼いをしててな。は苦手なんだ。肩が凝るからな」


 ニースは少し考え、頷いた。


「わかったよ、マシュー。……これでいい?」


 間違っていないかと、ニースは心配に感じ問いかけた。マシューは安心させるように、にっこり笑った。


「ああ。上出来だ」


 マシューは、ニースの黒髪をくしゃりと撫でた。大きなマシューの手は、ニースには、とても温かく感じられた。


 ――マシューは、リンドみたいに優しそう。


 何も分からないままのニースだったが、悪い人ではないと感じ、小さく笑みを浮かべた。



 貴族であるニース・ドニディオ・アレクサンドロフの葬儀は大々的に行われた。

 葬儀には、誕生日パーティに参加していた貴族をはじめ、伯爵領の領民達も参列した。皆、幼いニースの早すぎる死を悼んだ。

 公爵夫人の首飾りが反応しなかったのは、天の導きの命が消えかかっていたからだと、社交界に噂が広がった。噂を広めたのはもちろん、ニースの父ゲオルグだ。葬儀に参列した人々に、それとなく噂の種を振り撒いたのだ。

 ニースの死に疑問を抱く者は誰もおらず、ニースが歌の力を持たない“調子外れ”ではないかという噂話も、あっという間に消えた。幼い天の導きの死は、人々の記憶の片隅に追いやられた。



 偽の葬儀から数日後。朝靄の漂う静かな町を、一台の荷馬車がゆっくり走る。荷馬車に乗ったニースは、荷物の隙間にすっぽりと収まるように座り込み、流れ行く街並みを眺めていた。

 御者台で手綱を握るマシューが、ちらりとニースに振り返った。


「あまりキョロキョロ周りを見んようにな。顔を見られたら大変だ」


 野太いが優しいマシューの声に、ニースは、ふわりと微笑んだ。


「大丈夫だよ、マシュー。ちゃんと気をつけるよ」


 ニースは帽子を被り直し、その上から被るフードを、より深く引き下げた。ずれた伊達眼鏡も掛け直し、厚手の大きな黒いローブも、しっかりと体に巻きつける。

 柔らかな肌も、可愛らしい瞳も、短く切り揃えられた髪も。ニースが軽く下を向いてしまえば、どこからどう見てもニースの黒は分からない。マシューは満足げに頷いた。


「それならいい」


 ニカッと歯を見せて笑うと、マシューは手綱を握り直した。


 ――まずは町を安全に出なければならん。ニースが荷台にいるとバレたら、幽霊騒ぎになってしまう。


 まだ朝日が昇りきらない街並みは、うっすら夜の闇を残し静まりかえっていた。人々が動き出す前に町を出ようと、マシューは馬の足を速めた。

 石畳の上を走る荷馬車は、ガタガタと揺れる。ニースは、霞んでいく住み慣れた屋敷を眺め、ぎゅうと膝を抱えた。


 ――よくわからないけど……。ぼくは、死んじゃったんだよね。


 ニースは、自分の葬儀が行われた事を聞かされていた。生きていると知られてはいけないため、旅の間も決して人前に姿を見せてはならないと、教えられたのだ。


 ――父さまを怒らせちゃったから、ぼくは罰を受けなきゃいけないんだ。


 リンドもマシューも、死んだ事にされた詳しい理由を、ニースに伝えていなかった。まだ幼いニースには、難しいだろうと考えたのだ。しかしニースは、自分の失敗が原因なのだと、薄々感じていた。


 ニースの乗る馬車は、薄汚れた幌で覆われた小さな荷馬車だ。伯爵家の立派な馬車とは、全く違う。ニースの着る服や靴も、今まで着ていたような立派な物ではない。真新しいながらも、庶民が着るような簡素な物だ。

 ニースは、自分の置かれる環境が変わった事で、なぜ町を出るのかを、感覚的に理解していた。


 ――父さま、兄さま、姉さま。みんな、元気でね。リンド……また会えるよね?


 ひんやりとした朝の空気がニースを包む。ニースは寂しさを堪えるように目を伏せた。手綱を握るマシューは、ニースを変化を感じて振り返った。

 顔も手も足も。全てを覆い隠したニースだが、マシューの目には、ニースが泣いているように見えた。


 ――ニースが安心して帰ってこれる居場所を作ってやらんと。まだまだ人生始まったばかりの子どもに、しんみりした顔は似合わない。


 二人が目指すクフロトラブラの町は、自然豊かな場所だ。恐ろしい目にあったニースの心を少しでも早く癒そうと、マシューは荷馬車を走らせた。

 アレクサンドロフの町に別れを告げて、荷馬車は街道を走り出す。空には大きな太陽が、ニースを励ますように顔を出していた。

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