9.理想のかたち

- まえがき -

そこに現れたミクロスは、ほとりが再び戻ってくる算段をつけ、マルコを連れ出す準備をしていたと言う。


予言の子に託すミクロスの思いにほとりは……。




#ミクロスの思い


 背伸びをして、ドアノブから手を下ろした小さな調教師ミクロスが、部屋に入ってきた。


「無事、戻ってこれたようだな」


「あ、あなたは……ミ、ミク」


「ミクロスじゃ」


「ミクロスさん。これはどういう」


 ほとりが、目の前を通り過ぎていくミクロスに聞いた。


 ミクロスは、荷物だらけの机に持っていた物を置く。その一つにガラス瓶の水筒であることにほとりは気づいた。


「あ、それは」


「水筒だけは、見つけてきてもらえたが、お前さんが着ていた制服は、捨てられてしまって取り返すことができなかった。すまんな。


 いいか、暴れてくれるなよ」


 ミクロスは、ほとりに近づきながら腰に差していたナイフを抜いた。そして、ほとりを縛っていたロープを切った。


「ありがとうございます。でも、どうして」


「静かに。ここはステージの裏だ。ほぉ、水汚しの方に行かされてはいなかったようだな」


 ミクロスは、汚れていないほとりの作業着を見て、頬をゆるませた。


「あの」


「わかっておる。フリークかもしれない者が紛れていると言えば、必ずお前さんは戻ってくるとわかっていた」


「だったら、なんでわざわざ……」


 ほとりは、捕まえられる前にかばってくれれば良かったのにと内心吐露した。


「時間が必要だった」


「時間?」


「予言の子が出現したことをフィロに伝える時間と段取りのな」


「フィロ?」


「フィロメーナ・バックウェーブ。ここの島主じゃ」


「ショーの終わりに出てきたあの人……」


 マイクを持って水の宣伝をしていた女性をほとりは思い出した。


「そうだが、あれは興業側の者がフィロに化けているだけでな、本物は老体で床に伏しておる。


 もうフィロの力では、実質経営者を制御することはできない。


 フィロもわしも、マルコをずっとこのままにしておくのが心苦しかった。そこにお前さんが現れた」


「でも、予言の子と言っても、何か力があるわけじゃなくて……」


「お前さんの力となってくれるシュメッターを助けに来たのじゃ。詳しくは知らないが、フィロがそう言っておった。


 新しく生まれるウトピアクアのためにも、どうか、マルコを……。


 いや、ララ・クランシーをもっと広い空に羽ばたかせてやってくれ」


 ミクロスは背を正して、頭を下げた。


「ララ・クランシー?」


「マルコの本当の名前だ」


「素敵な名前。でも、ララさんは本当にここを出たいと思っているんですか?」


「お前さんたちが現れてから、心は揺れている。利用されていることも心の内では知っている。かわいそうに子供ながらにな」


「でも、どうやって連れ出せば」


「そこはもう段取ってある。そろそろ時間がなくなってきた。お前さんは、これに着替えろ」


 ミクロスは、机の上に手を伸ばし、つかんだ物をほとりに渡した。


 ほとりがそれを広げると、マルコがフリークショーで着ていたような青色の衣装だった。


「こっちじゃ」


 ミクロスは、ほとりを積まれた箱の物陰に連れて、そこから去った。


「え、本当に、これに着替えるんですか?」


「なんだ、小さかったか?」


「いや、そうじゃなくて、どうしてこれに?」


「すべての目を欺くためだ。お前さんの仲間にも段取りを知らせておる」


「ユーリにも?」


 ほとりは、手にした衣装を見つめると、ユーリのニヤけた企み顔が思い浮かんだ。


「時間が迫っておる。早くせい」


 ほとり自身、工場を出てからのことは考えていなかったため、その通りにする他なかった。




#目指した理想


「着替え終わりました」


 箱の陰からほとりが出て行くと、ミクロスに上から下までマジマジと見られて、ほとりは恥ずかしくなった。


 明るい青色で、キラキラと宝石と見間違うような小さな粒が散りばめられていて、腕を動かせば、ヒラヒラがなびく。


「おぉ、似合っておるぞ。懐かしい。フィロの若い頃を思い出す」


「若い頃?」


「わしは、フィロとともにこのウトピアクアで、ショーをしていた。その時のフィロが、目の前にいるようじゃ」


「それじゃ、ミクロスさんは、この島の水のことは全部知っているんですか?」


「あぁ、知っておるよ。一部の関係者だけしか知らんが」


「これで本当にウトピアクアと言えるんですか? これが理想水郷だなんて認められない」


 ほとりは、ミクロスを上から見下げる。


「幸か不幸か、知恵を持ったシュメッターたちによってここまで大きく発展してしまったウトピアクアは、簡単には止められなくなった。


 わしらにも生きる場所が必要だった。


 だが、興業のために唯一シュメッターとして成長させられたマルコだけは、せめて、いつか本来の役目に向き合ってもらいたいと思って、世話役をわしがかってでた」


「でも、それは、フィロメーナさんが、責任をもって理想水郷を作り続けていれば――」


「そう言ってやるな。理想とは簡単に口にできても、それを形にすることはそう簡単じゃない。


 これまでやってきたことを推し量ることもな」


 壁の向こう側から、ひときわ大きな拍手と歓声が響いてきた。そして、いっきに静まりかえると、奇妙な音楽が鳴る。


 ほとりも一度聞いたことのある音楽。フリークショーが始まる時のものだった。


 ミクロスは、机の上の水筒を背伸びして取り、ほとりに手渡した。


「もうここへは戻ってこれないからな」


「ありがとうございます」


 ほとりは水筒の紐を肩に通し終えると、唐突にミクロスに手首をつかまれ、無理矢理部屋から連れ出された。


「ちょっとミクロスさん。どこへ?」


「お前さんとマルコをここから逃がすため、ひと芝居うってもらう」


「ひと芝居って?」

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