幕間

第20話:降リシキル雨ノ中デ

 纏占隊の中にあって、定められた上下関係は存在しない。統括や総代という役職に就いていても、あくまでその集団の代表者である以上の意味を持たない。

 全ての人間関係は、個々人が対面した互いの間で取り決められるものだ。


「国分どの。正気か」

「あたしは正気よ。あんたたちからはいつも、頭がおかしいって言われてるけど。それでも良ければね」

「左様か。ではここで、袂を分かつことにさせていただく」

「ご自由に? あたしにはそれを強制する権利も力も、義務もないからね」


 深い森のように、辺りは薄暗かった。実際に足元は土に覆われていたし、付近に枝葉は幾らか目に入る。ただし空は閉ざされていた。決して豊かな繁りに遮られているわけでなく、平たい何物かで蓋をされている。

 奇妙なことに、そこには雨が降っていた。街中で遭ったなら、すぐさま雨具を取り出すか悩む程度の。鼻を衝く、濡れた鉄の臭い。多少の生臭さも混じっている。不快でないはずはなかったが、それを避ける場所など見当たらなかった。

 初手に所属するところの隊員である男は、その職務を取り纏める代表たる女性に、刃を向けている。

 反りの弱い、打刀。纏式士用に作られた、普及品だ。もちろん、それだからとその男の実力が劣る証明にはならない。優れた書家が、優れた文房を求めるとは限らないのだ。


「これまでの誼だ。この場でどうこうは、避けさせていただく。しかし次に出会った時は――」

「了解。あたしももう、あんたたちを仲間とは思わない」


 刀を突きつけた男の後ろには、やはり初手に属する者ばかりが四人居た。いずれも刀や槍を構えて、いつでも戦える態勢だ。

 男は向けていた刃を下ろし、そのまま女性に背を向けた。それがせめても、仲間であった女性への敬意の表れなのだろう。

 道を違えても、自分を尊敬する気持ちに偽りはなかった。そう言ってくれているのだと、女性は理解した。


「本当に、残念だ……」


 振り返りもせず、男はそう溢して去っていった。粘り気の強い足音が、僅かな雨音に負けてしまうまで、女性はぴくりとも動かなかった。


「あれで、良かったのかな?」

「……あんたがそうさせたんでしょうに」

「それはそうだが。お前ならもっとなにか、愉快なことをするのではと、期待もあったのでな」


 気配を感知することにおいて、女性は纏占隊随一を自負していた。だがその感覚を以てして、話しかけられる一瞬前にも、誰の気配を感じなかった。

 それはつまり、誰も居なかったのだ。だのに今は、後ろから抱きつかんばかりの距離に居る。女性の肩の脇をとおって差し出された腕が、立ち去った男たちのもう見えない背中を指している。

 海辺の流木のほうがまだ肉付きが良いと思える、骨に皮がへばりついただけの腕。


「ひとつ言っていい?」

「なにかな」

「あたしはね、人さまのことを『お前』って呼ぶ男が嫌いなの」


 細かな砂を板に擦りつけたような、乾いて掠れた声。その老人、男の名を、女性は知っている。

 伽藍堂弥勒。数百年も前から、文献に名を残し続ける怪人。一人の人間が妖となって生き続けているのか、代替わりしているのか、その真実は誰も知らない。

 ここに来てしまったからには、その辺りも知れるのだろうか。職務云々を言わずとも、女性の好奇心は旺盛だった。


「ふ、ふふ。ふふはははははっ!」


 高笑があっても、声に膨らみはない。この男は本当に、曲がりなりのものであるにしても、命ある存在なのか。

 纏式士として、まずそこを判別できねば話にならない。その部分が全く分からなかった。女性の知っている、生あるもの、或いは死して動くもの。そのどちらの特徴も、この男にはのだ。

 そもそもこいつ、男なの?

 その段階から、正体が掴めなかった。


「良い、良い。いつまでの付き合いやら知れぬが、せっかく来たのだ。ゆるりと過ごせ」

「そう。ありがたくそうさせてもらうわ」


 女性の腰に、刀はある。優美な曲線を持つ、美術品と呼んでも良いような、見事な拵えの太刀だ。だがその柄に、女性が触れようとする気配はない。老人はそれを知ってか知らずか、距離を取ろうとはしない。


「しかしまあ、儂はいつまでもここに居る暇もないのでな。失礼させてもらうとしよう。気が向けば、また様子を見に来るやもしれんが、な」

「そうなの? そんなこと言わないで、もう少し――」


 一動作で、女性は振り返った。その距離であれば、あの荒増也也であっても、対応不能のはずだ。


「居なさいな! なんて――」


 この場で決定的な、なにかを得ようとしたわけではない。老人の力量が直接に知れるなら、面白いと思ったのだ。だから袖に仕込んだ、剃刀なんて物を使った。これでは仮にその気であっても、致命傷を与えることは難しい。

 だが現実はそれ以前だった。

 老人の姿は、そこにない。最初から誰もそこには居なかったように、土に足跡はなかったし、風も女性が動かした以外には動かなかった。


「格好悪いわね、あたし」


 にやと笑って、女性は剃刀を元にしまった。


「さてそれじゃあ、なにをすればいいのかな」


 女性もまた、その場から歩み去っていく。「うーん」と声を発しながら伸びをする姿に、気負いや緊張は見えない。

 誰も居なくなったその場所に、赤い雨は留まることがなかった。

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