第492話

「……」

 何時間。座っているだろう。

 何時間。防音設備が整っているはずなのに微かに聞こえる打ち合いの音に耳を澄ませているだろう。

 道場の入り口にいるのは、金銭などの最低限の手荷物と共に膝を抱える一人の女性。

 女性は寒空の下、目を瞑り。ただただ常人には聞こえない音に聞き入っている。

 何かの罰だとか。行き場がないとか。そういったわけでなく。

 目的地ならばまさにここで。とはいえ現地を見てしまえば目的そのものを果たしたとも言える。

 なので今は手持ち無沙汰で、やることはない。なんならもう帰って良いのだけれど。

(立派な道場じゃないか)

 音に聞き入る前は外観に見とれて時間を取られていた。

(近代的な設備。中の音を聞き取るだけでも一苦労。監視カメラもあるし、よくもまぁ五百と余年あったとはいえ、あんなへなへなな剣術からここまでの道場を築けたものよ)

 そして今はその中から聞こえる音に足止めを食らっている。

(それに、なかなか良い動きをする。子供にしては悪くない。マナの扱いは雑だが、剣捌きならば及第点といったところか。うんうん。奴の子供たちは育まれているようだな)

 目を瞑り、やや口角をあげて、膝を抱えながらしゃがむ身軽な女性。

 端から見れば不思議というか不審者というかなりたて浮浪者というか。

「ふふ……。うんうん……」

 どれにしたってまともな評価は得られないだろうけれど。本人は満足げなのでそっとしておくのが良いだろう。

 でも。

「あの……」

「……うん?」

 自分の家の前でされていてはそうも行かない。

「お嬢さん。うちになにかご用ですか?」

 話しかけたのは道場の持ち主――夕美斗の父。

 カメラに影が映っていたので確認しに来たようだ。

「お嬢……まぁいいか。すまない。少々歩き疲れて休んでいただけだ。もう行く」

「そうですか。ならよろしければうちで少し休んで行かれますか? 天気は悪くありませんが何分雪もありますので」

「そう……か。なら道場の中を少し見せてもらえないだろうか? ここは少々聞き取りづらくて」

「はぁ……。防音なので聞こえているとは思えませんが……。余程耳がよろしいのですな」

「……まぁ、な」

(色々とねじ曲げてかき集めてるだけなんだが……言わない方が良いだろ)

 言葉を濁しつつ、中に案内される。

 道場と言えば木造をイメージするけれど、あくまで見た目だけで中身は近代的。

 本物の風情はなくなるけれど、安全には変えられない。

(というか、今思えばあいつ以外の男と話すのは久方ぶりだな。しかも、恐らくこの男はあれの子孫。ふふ。面影がある。覚えている弟の姿よりも老けた面の子孫と会うことになるとは思わなかったな)

 弟から受け継がれて残されてきたものを一目見るという目的は果たしたし、今の時代の人間に過去の異物たる自分が関わるつもりもなかったけれど。

 でも、ほんの少し触れるくらいは許されたいと。雪日は胸の中で思う。

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