86頁目 スクジャの町並みとコーヒー
翌日は、町の散策に出掛けることにした。
今日もまた依頼を受けるべくギルドへ行くとなると、一〇年以上昔の私を思い出してしまう。今回はそういう旅ではないので、この国、この町の文化やグルメに触れることにする。
一応、ライヒ王国でも
アネモネと二人、手を繋いで歩いていると休みで人通りも少ないということで、私達の存在は目立つらしい。まずエルフ族特有の長い耳を見てまず驚かれ、そしてアネモネに目を向けて子持ちだと二度驚かれる。それから、主に男性陣の中でヒソヒソ話が始まる。ただ、この長い耳は飾りではないと何度も言っているように、その程度の距離と声量では丸聞こえですよ?
そんな噂話に耳を
「美人だな。子供も可愛いな」
「
「違う!」
「父親はいないのかな?」
「あんな
「同感」
「どこから来たのかな?」
「この近くって言ったら、ウェル山脈じゃね? エルフ族の里があるって噂だし」
「片親かな?」
正解です。
「だとしたらわっしにも
「ねぇだろ」
「んだとぉ!」
「エルフ族は長命だから、相手はエルフ族以外のハーフで先立たれたとか?」
それは私の両親の話です。
「子持ちでもあんな美人となら付き合いたいな」
残念ですが、エルフ族以外はお断りです。
そんな噂話を聞きながら通りを歩いて行く。アネモネは言葉が分からないということと、ジストやエメリナとはまた違った建物の様子に目をキラキラさせて夢中になっている様子だ。
今は手を繋いでいるが、この手を離したら飛び出してしまうのではないかと思うくらいに、興味津々のようである。
改めて町を見てみると、建物は全体的に石組みのようだ。しかし、だからといって地味な色合いが並んでいる訳ではなく、何やら
これは、寒季には雪で
全体的な色は派手なのだが、所々塗装が
壁は分厚く、寒季が長いこの国で、冷気が入らないように暖気が逃げないようにする為の工夫だろう。昨日泊まった宿や、ギルドで建物内部の造りも見ていたが、外観は石だが、内部は木で組まれていることが多い。石よりも保温性に優れているのと、適度に湿気を吸い取ってくれるのでカビ対策にもなっているようだ。
換気をすることが少なく、温度だけでなく湿気も
私の実家は、森の中という湿気ムンムンの立地に加えて、立て付けの悪い古い平屋の木造建築で、屋根やキッチンなどでキノコやカビなどの菌類や苔などが自生しているのをよく見かけた。私の自室は、一応薬品を扱う作業部屋ということもあって、定期的に掃除をするなどして清潔に保ってはいたが、家全体の
というか、キッチンに生えたキノコを千切ってそのまま鍋に放り込んで煮詰めている母の姿を目撃したことがある。まぁ食べたけど。多分
そんな実家であったので、それと比べると、こういった人間や獣人の利用する建物というのは、とても進んでいると思う。しかし、前世の
「お母様」
「ん? どうしたの?」
「あそこなんてどうですの?」
そう小さい手で指差した先には、朝の活気のある町の中に
「中々渋い店を見つけたわね」
娘のセンスに驚きながらも、せっかくだからと扉を開ける。
カランカランと音の鳴る木製のベルが私達の入店を報せ、カウンターで羊型の獣人族であるお婆さんが度の強そうな眼鏡を掛けて何やら紙とにらめっこをしていた。お客は私達を含めて三組とヒッソリとしており、皆高齢者のようで、時折「はっはっは」と笑い声がするものの静かな空気が流れていた。
「いらっしゃい」
ベルの音で気付いたのか、にらめっこしていた紙から顔を上げて、高齢の女性は私達を見つめた。
「席は自由にどうぞ」
「じゃあせっかくなので、
「はいですわ」
席に着いて、メニュー表を見る。
この国に来てまだ三日。ほぼ丸一日を依頼で過ごしたことを考えると、滞在期間はもっと短い。その少ない時間の中で、ギンゼルさんやギルドの受付の協力の
そして、そのメニューの中に面白い名前があった。
「コーヒーがあるんですね。豆はどちらから?」
「北部にある農園だよ。あそこの豆は良い物だからね。少々値は張るが、昔馴染みだから仕入れているのさ」
そう言って、
コーヒー豆の生産地と言えば、前世ではアフリカや南米といった熱帯、亜熱帯地域に集中していたと思うが、ここではこの寒冷地で栽培されているらしい。豆も違うみたいだし、コーヒーという名前のコーヒーではない飲み物なのかもしれない。何だか興味が出て来た。
私はコーヒーと軽食を、アネモネには流石にコーヒーはまだ早いだろう。食事は同じ物で良いとして、飲み物をどうするか。
「アネモネはどうするの?」
「わたくし、この果実汁というのが良いですわ」
「果実汁? あぁ、ジュースね。分かったわ。食事は私と同じ物で良いかな?」
「お任せしますわ」
「分かったわ。あ、すみません、コーヒー一つと、果実汁一つ。それと、このサンドイッチセットを二つお願いします」
異世界の食事情というのは本当に分からない。パンに肉や野菜などを
「はいよ。じゃあ少し待っててね」
注文を受けた店主のお婆さんは、ゆっくりとした動作で、しかし無駄な動きなく長年の経験で
実際に隣に座るアネモネなんて、目を輝かせて身を乗り出すようにして、というか完全にお尻が浮いているので身を乗り出しているのだが、楽しみですを全身で表している様が
しばらく待っていると「お待たせしました」と言ってまずカウンターに置かれたのが、お湯を
「全部落ちたら飲み頃だよ。ミルクを混ぜると美味しいよ」
「分かりました」
「わー、それなんですの-?」
アネモネの興味がこちらに移った。私もコーヒーの知識に明るくないので軽く概要だけ説明すると「そうなんですの」と言って、マジマジとポタリポタリと落ちる
「はい、お
そう言って果実汁が置かれた。いくつかの種類の果物を
チビチビと味わうようにジュースを飲む彼女を横目に、私もコーヒーの様子を眺める。もう後少しだろうか。
紙が貴重なこの世界に
「はい、サンドイッチセット、二つね」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうですの!」
サンドイッチセットの内訳は、三角形のサンドイッチ二つにサラダ、スープと前世の喫茶店でも定番の物。中にはコーヒー一杯の値段で、あれもこれもと一〇種類から十数種類ものモーニングが付いてくる地方や地域があると聞くが、全く
私はいつものエルフ式挨拶をするが、アネモネはそんなこと気にせずにすぐにサンドイッチを手に取った。
サンドイッチの具材は、
いや。
ここで、サンドイッチの具材に再度注目する。そして一口
実際に隣でアネモネも小さな両手でしっかり掴んで、これまた小さな口を目一杯大きく開けて齧り付いていた。そして
次にサラダ。こちらもレタスではなく、そしてサンドイッチに使われている葉っぱとはまた別の葉っぱのようだ。少し硬めのパリッとした感覚はレタスに近いが、味や香りはほとんどなく、植物油と塩、
最後にスープだが、こちらは見慣れた物で、豆と根菜を塩と動物の骨で煮詰めてある。しかし動物臭さがないのは、香草と香辛料も入っているからだろう。香草はともかく、香辛料は高いので少量であるが、それでも十分にその力を発揮していると思う。
「ん、お嬢さん、コーヒー出来たみたいだよ」
「あ、本当ですね。ありがとうございます。頂きます」
まずはブラック。香ばしい香りが強く、味も苦味の中に酸味のある、まさしくコーヒーっぽいコーヒーのような何かだ。味がコーヒーっぽくないというのもそうだが、前世に飲んだコーヒーはもう少し苦味が少ない記憶がある。記憶違いだろうか。しかし、それにしても苦味が強すぎて酸味が薄れているように感じる。
「お嬢さん、それはミルクを入れて飲むんだよ」
「そうでした」
最初はまず混ぜずに飲むを
砂糖はないので、このままミルクを混ぜただけで飲む。するとどうだろうか。苦味がミルクの脂肪分で緩和され、とても飲みやすくなっている。これはコーヒーではないし、カフェオレでもないが、これはこれで良い物だと思った。
「お母様? わたくしもそれ飲みたいですわ」
「ん? 良いけど、少しだけね」
子供舌かもしれないのに、一気に飲んだら大変である。
そして、少しカップに口に付けたところでその動きは止まり、瞬間目を見開いたかと思えばすぐにカップを口から離して「苦いですわ~」と涙声になっていた。
彼女はすぐに残った果実汁を飲んでホッと一息。その一連の様子を眺めていた私と店主、そして周囲のお客さんは、一様に笑いが堪えられずクスクスと笑ってしまった。
そんな暖かい雰囲気の中で、このゆったりとした時間を過ごすのであった。
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