66頁目 遭難と警戒態勢

 あれから一ヶ月半は経過しただろうか。

 私は今、元気に遭難そうなんしています。


「えぇと、これどっちだっけ?」


 もう一〇月に入っていると思う。こよみの上では寒季、つまり冬だ。しかも、ここはウェル山脈の高地。もうかれこれ三週間程前から何度も吹雪ふぶき遭遇そうぐうしており、すっかり道を見失っている。

 一応、比較的ひかくてき傾斜けいしゃゆるく、人がのぼれそうな場所を探して登山をしているが、かつて人がいたという痕跡こんせきを見つけることは、中々に困難となっていた。


「うー、寒い……」


 それにしても寒い。よく冷える。何せ水溜みずたまりが凍る程だ。

 そんな環境下ではあるものの、私の現在の装備、上はノースリーブの白地にだいだいと黄色の古代エルフ文字(仮)の刺繍ししゅうい付けられた民族衣装を着、上に鉄火竜ジャンドラナ素材の深緑色ふかみどりいろ生地きじに同じく別種の鉄火竜の赤い糸で翡翠鳥カワセミの模様をあしらった半袖はんそでのジャケットを羽織はおっている。両手には革製のフィンガーレスの手袋を付けている。

 下は茶色のホットパンツを身に付け、あしには膝下ひざしたまでの革製のブーツに膝上までの白のハイソックスとかなり身軽な格好である。

 革製の手袋とブーツは、狼鳥竜ヴィオニトニクスの素材を使った頑丈がんじょうでしなやかな物へと変わっている。見た目はほとんど変わらないが。

 ここに首回りにはいつもの防塵用ぼうじんようのスカーフとゴーグル。ちなみに、現在吹雪の只中ただなかであるので、ゴーグルは装備している。

 その他に、背負い袋リュックサック狙撃銃ライフル、弓、矢筒やづつ魔剣ノトスといつものよそおいで雪山探索である。普通なら無謀むぼうどころか即死である。


「今のところ、高山病こうざんびょうきざしもないし、息苦しくもない」


 それに、この寒さの中でのこの格好だ。普通なら死にはしなくても低体温症ていたいおんしょう凍傷とうしょうになっても不思議ではないが、この魔力あふれるエルフの身体。ハーフだけど。魔力が体内をすごい勢いで循環じゅんかんすることで、体温を初めとした新陳代謝しんちんたいしゃ維持いじつとめてくれている。

 普段より、より多くの魔力を高速で四肢しし末端まったんにまで行き渡らせているせいで、エルフとしてはちょっと珍しい現象におちいっている。


「お腹いた」


 そう、空腹なのだ。

 いつもなら体内で自然に生成される魔力のみで維持出来ている代謝も、魔力の過剰かじょう労働のせいで追い付かなくなり、足りないエネルギーを栄養からおぎなおうとして、空腹をうったえることに繋がっている。


「普段の倍近くは食べなきゃ……」


 しかし、一度に食べられる量は変わらない。一度に大量に摂取せっしゅしてしまうと、拒絶きょぜつ反応を起こして嘔吐おうとしてしまうこともある。よって、エルフでは珍しい朝と夕に食べる、一日二食の生活がここ最近の習慣である。

 普段の倍食べるということは、食糧しょくりょうも倍の速度で減るということ。もともと小食なので余裕はあるし、雪で閉ざされているとはいえ雪を掘れば下には(味はともかくとして)野草があるので、まだしばらくはこの生活は続けられそうだ。


「水分も困らないしね」


 周りは雪、つまり水だらけ。人間族などであれば、雪を摂取すれば体温を下げることになったりお腹を壊すことに繋がったりするだろうが、先程べた通り内炎機関ないえんきかんのおかげで体温の維持は出来ているし、泥水どろみずだってすすれる種族だ。問題はない。

 やっていることは完全に原始人のそれか、もしくは野生生物と同じであるが……


「今日はここで休もうかな」


 風雪ふうせつしのげそうなくぼみを見つけたので、身体を丸めて座り込む。

 その時、何かがきしむような音が、風音かざおとまぎれて私の耳に届けられる。


雪崩なだれかなぁ? ここまったりしなければ良いのだけど……」


 私の心配を余所よそに、その音は段々を大きくなって……


「もしかしてこれって、足音?」


 だとしたら、かなり重量があると思われる。覇王竜ダイノレクス矛盾竜ケラビスピランスといった重量級の怪物モンスターだろうか。だが、その二種はこの極寒の地では生息出来ないはず。

 覇王竜は元々の体温が高いので生きられるだろうが、えさとなる生き物がそんなにいるとは思えない。それに、仮に足音だとしてもこの音と音の間隔は覇王竜ではない。


「鉄火竜?」


 確かに山、とはいっても鉱山などだが、そこを縄張りとするあの飛竜種ひりゅうしゅならば可能性はある。ここにかつて道が通じていたのも、ここに昔かつて鉱山があって廃鉱になった後などに住み着いたりしたと予想することも出来る。

 時間帯としては夜で、しかも外は吹雪ふぶいているので視界不良の状態。穴の外を息を殺してそっと観察するも、見える範囲ではそれらしい姿形は見られない。

 気のせいではないはずだ。現に、一定の間隔で地面から軽く振動を感じているし、風に混じって音も聞こえる。

 目を凝らしてしっかりと闇の奥を見ようと集中していると、何かがうごめいているらしいというのが分かった。

 この視界で距離もあるので不確定だが、鉄火竜ではなさそうだ。では何だ?

 足音は、何かを探すようにゆっくりとした速度を維持しながらも、あっちこっちへとふらふらと移動しているように思える。私は気付かれないように窪みの周囲にそっと雪を集めて軽くふさぎ、自身は出来るだけ穴の奥となる場所へ下がり壁にもたれ掛かった。

 この場所がバレてもすぐに飛び出せるように、姿勢を低くして身構みがまえる。

 どれだけ時間が経っただろう。足音が遠ざかり、完全に音がしなくなってからも警戒を解かず、一切身動きしない。

 こういう時、下手に外に出たりすると目の前とかにいるというのがホラー映画やパニック映画で定番である為、完全に大丈夫と判断出来る朝までジッとしていることにする。

 緊張がノトスにも伝わっているのだろう。戸惑とまどっている雰囲気ふんいきを感じるが、まだ外にいることを考慮してか、不用意に風を出さない辺り頭も良くて助かる。


「そろそろ良いかな?」


 いつでも剣を抜けるような体勢でいたことで、若干身体の節々が痛いが気にしない。それよりも身の安全だ。時間の感覚は完全にないが、いつの間にかんでいる吹雪に、空気穴から差し込む光から朝になったのだと実感する。

 だからといっても気は抜かない。

 ここで空気穴から外の様子を見ようと覗くと、いきなり刃物が差し込まれて頭部串刺しなんてのもスプラッタ映画とかであり得る展開だ。少しずつ慎重しんちょうに、時間を掛けて出入り口の雪を落としていく。その際も、矢を使って出来るだけ出入り口に近付かないようにする徹底てっていぶりだ。


「魔法やノトスは使えないからね」


 魔力に反応する怪物とかであれば、雷魔法やノトスにまとう風魔法に気付くかもしれない。我慢がまん比べはエルフ族の得意分野だ。

 かれこれ四半刻以上時間を使って、ついに窪みから脱出する。

 朝の日差し、そして一面にめられた白に光が反射してまぶしい。それに一瞬目がくらむも、気配や音で索敵さくてきすることで安全を確認する。


「良かった」


 警戒は完全に解除しないが、一息付けたので肩の荷が下りる。

 視界に映るのは、ゴツゴツとした岩肌いわはだが雪でおおわれて大小様々な形のオブジェとなっている景色であった。


「木とかなら樹氷じゅひょうとかって言うんだろうけど、岩の場合は何だろう? 岩……氷……雪……岩雪がんせつ? うーん、こういう才能センスはないから難しい」


 安全が確保されたのなら、早速痕跡探しである。

 ここ一ヶ月半、遭難し続けながらもかつて人がいたであろう証拠しょうこを探し続けていたが、いまだに成果はなし。ここは気持ちを切り替えて、昨日見かけた謎の影について調べようと思う。


「多分この辺りよね?」


 あれからも雪が降り続いていたので、流石さすがに足跡は見つけられない。だが、軽く表面の雪を払っていき、周囲の雪の硬さを調べていく。


「多分相当な重さのある個体のはずだから、通った場所の雪は踏み固められているどころか圧縮されているはず」


 一刻は時間を使っただろうか。時間はすっかり昼である。朝食ついでに軽く木の実をかじりながらも調査を続けた結果。合計六個の足跡らしき痕跡を見つけた。


「結構大きい。大型ではないだろうけど、少なくとも準中型、下手したら中型種。重心の掛け方からして、覇王竜などの前傾姿勢ぜんけいしせいではなく直立ちょくりつ型。これに当てはまるのは、鉄大鬼オーガとかがそうなんだけど、足の形が違う。いや、というより、同じ生物の足跡なのか疑問に思うくらいに、左右の足の大きさ、形が違う……どういうこと?」


 まさか義足ぎそくの怪物なんていないよね? 


「指の形がない……くつか何か? その割には靴底のような跡はない」


 靴だとしたら、知性のある生物。伝説の巨人きょじん族とかそういう人達だろうか。こんな雪山での巨人とか、前世ではイエティとか雪男ゆきおとこさわがれる案件だ。


「というか左右の足の大きさ、形が合わない説明になってないし」


 仮説を立てるも、すぐにそれを否定するを繰り返す。昨夜の警戒態勢で精神と体力をけずっていたこともかさなって、疲れがまっているのだろう。一旦調査は休憩と、近くの岩雪(私命名)にもたれ掛かる。

 そこでふと思い出す。

 昨日は吹雪のせいで視界がかなかったし、ここに辿たどり着いたのも大分だいぶ暗くなってからだ。それでも周囲の地形の把握はあくに出来るだけつとめ、もし怪物と遭遇しても、問題なく立ち回れるようにチェックしていたはず。

 だが、その時にこの大岩おおいわはなかったはず。冷や汗が背を伝う。

 そしてもう一つ。確かに昨夜、よく見えない中ではあるが、何か大きな物がこの辺りを動いていたのを視認している。しかし、こちらの存在がバレないようにその後は聴覚による索敵を中心に行ってきた。それで音がしなくなったので、遠ざかったと思い込んでいた。

 そこまで考えがいたった時、もたれ掛かっていた大岩と思っていた物が振動し、地面から盛り上がるように動き出した。


大変ヤバい!」


 すぐにその場から距離を取る。そして、その全貌ぜんぼうを見て驚愕きょうがくした。


「これはまた、空想の世界ファンタジーの生き物じゃないの。生き物と呼んで良いのか分からないけど。少なくともこんなのが存在するなんて、聞いたことなかったわね」


 ノトスを抜いて、目の前の存在をにらみ付ける。


岩人形いわにんぎょうとでも名付ければ良いのかな?」


 高さは一〇ファルト以上あるだろうか。岩人形、ゴーレムと思われる物体が、大きな腕を振るって声なき声で咆哮ほうこうしているようだった。

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