51頁目 野菜炒めと魔石灯

 ジスト王国を出国して隣国のエメリナ王国へ入り、早速商業の町グリビにて宿を取って休むことにした。

 しかし、睡眠をあまり必要としない種族であるので、寝台ベッドで横になって目を閉じても眠気は来ない。仮に眠りに落ちたとしても、完全に熟睡じゅくすいする訳ではない。ちょっとした異変にもすぐに立ち回れるように冒険者は気を張っていないといけないのだ。パーティならそうでもないのだろうが、あいにく私は単独行動ソロだ。となると自分の身を守るには自分が対応するしかない。宿の中だとしても同じである。


「絶対の安心はないからね……」


 軽く目を閉じ、浅い眠りを繰り返しながらゆっくりと時間が過ぎるのを感じる。

 すると、何回目かの意識の浮上ふじょうで、外が明るくなってきていることに気付く。とはいえ、まだ日は出ておらず、朝というよりまだまだ夜という時間だ。日の出前なので、日付はまだ変わっていない。この世界では朝に日付が変わるので、今はまだ七月一日で、もう後少しで二日になる。

 この部屋から見える空も周りの建物にさえぎられていて一部しか見えないが、日本の都会と違って、夜はちゃんと暗いので、いびつな形をした空だが星はちゃんと綺麗キレイに見える。


ひまね」


 目を覚ましたからと、すぐに行動する訳ではない。まだ地平線の向こう側から太陽が顔を出す前と思われるこの空の微妙びみょうなグラデーション。この時間帯はまだ皆就寝中であることが多い。飲食業などは朝の仕込みがあるので、すでに活動しているだろうが、開店時間まではまだまだ掛かるはずだ。

 ここの宿屋も例外ではない。下でせわしなく人が行き来している様子が気配と、エルフ自慢の聴力で何となく感じ取れる。

 ただし不快な雑音ではない。キッチンで母親が朝ご飯を作る包丁とまな板がぶつかる音や、トースターでパンの焼き上がりをしらせる音、フライパンで何かをいためている音もあるかもしれない。それらが入り混じって微睡まどろみの中をただよう人を二度寝へと誘い込む。そんな感じの音だ。


流石さすがに二度寝はしないけどね」


 短い時間であったが、十分な睡眠を取れた私は気力も体力も問題ない。今すぐ怪物モンスター討伐とうばつに出掛けたとしてもしっかりと結果を残せるだろうと思われる。

 窓辺へと立ち、木枠にガラスがはめ込まれた窓の取っ手をにぎると、ゆっくりと開けて外の空気を取り込む。その際に小さくきしむのもこの宿の年季を感じられて、耳心地みみごこちが良い。

 七月。こよみの上では乾季になるが、季節の表し方は国によって違う。

 少なくとも共通リトシ語が通じるこのリトシ圏内でなら、暖季、暑季、乾季、寒季と四つに分けられ、間に雨季(雨期)がじるなどの季節の変化がある。これが他の国でも同じなのかは分からない。中には季節を大きく二つに分けているだけという所もあれば、五つも六つも細分化さいぶんかしている場合があるかもしれない。

 近隣諸国きんりんしょこくの簡単な事情なら書籍しょせき掲示板けいじばんなどである程度分かるが、それよりも遠くともなると余程よほどの物好きでもない限り交流はないので、ほとんど情報が入らない状態である。


「私はその物好きに含まれるのかな?」


 海路による貿易ぼうえきも行っているエメリナ王国なら、もう少し広く世界のことが分かるのかもしれない。ますます王都へ行くのが楽しみになってきた。

 早朝だからか、まだ空気に熱はそれ程含まれていないが、今日の天気も晴れ。日が昇ればそれに合わせて昨日と同様に気温も上がってくるだろう。

 ただ、ここはタルタ荒野と違って草原に囲まれた地帯なので、その上昇量もそこそこ落ち着くのではないかと思う。気象予報士きしょうよほうしではないが、自分達で天気を予想して行動しなければ、農業も漁業も工業だって出来ない世界だ。ある程度の空読そらよみくらいは習得しゅうとくしている。


「そろそろかな」


 ぼんやりと考えていると空はすっかりと明るくなっており、先程起きた時に見た濃い藍色あいいろが混じったような色ではなく、き通る青に白が混じるような、そんなグラデーションとなっていた。

 その頃には、他の部屋の宿泊者も起きてきて、準備をする音が聞こえる。

 値段はともかく個室でと頼んだ手前、文句は言えないが流石さすがに防音対策されなさ過ぎじゃないかとあきれる。

 私も、いつまでもインナー姿のままでいる訳にはいかないので、いつもの服にそでを通していく。


「あ、肌着インナー……洗濯せんたくどうしようかな」


 レガリヴェリアを出発してから、インナーを交換していない。交換しても洗濯する場所がないのだからとそのままでいたが、そういえば、他のパーティの人達は交代で馬車の中で着替えをしていたような気がする。私はその頃ずっとほろの上で見張りをしていたので、気にも止めていなかった。


「うーん……でも今日出発したいからなー」


 これから洗ったとしても、どこにすのか。まさか湿しめった状態で仕舞しまう訳にはいかないし、ましてや旗みたいにかかげて歩くことも出来ないし、したくない。この世界に来て種族の風習にとっぷりとかり、割と羞恥心しゅうちしんというものを脱ぎ去ってしまって女子力株の下落げらくが止まらない状態の私でさえも、その程度のはじというのは認識している。

 少し考えるが、すぐに結論が出た。


「よし、着替えずにこのままでいよう」


 結局、女子力の株価は減少の一途いっと辿たどるらしい。

 本来ならもう一泊して、洗って夜の間に部屋で干すなどするのだろうが、その為にわざわざこの町にとどまる必要もない。

 確かに二つの王都を結ぶ中間地点として発展しており、その町並みはミラノやフィレンツェ程の派手はでさやきらびやかさ、迫力はくりょくはないが、石造りの建物群を見ていると、そう感じられる雰囲気ふんいきかもし出している。もう何泊かしてすみから隅まで見て回るのも悪くはないが、今の私はすごく海が見たいのだ。

 支度したくを終えて荷物を持って下に降りる。まだ人はあまり集まっていないようで、一階の食堂は結構いていて自由に座れそうだ。


「ご注文は?」


 適当な場所に腰を下ろしたところで、給仕の人間族の妙齢みょうれいの女性が笑顔で応対してくれる。


「えぇと、それじゃあ、野菜炒め定食と水一杯でお願いします」

「野菜炒め定食一つ水一つですね。少々お待ち下さい」


 それから間もなくして、先に水の入ったガラスのコップがテーブルに置かれる。

 何の変哲へんてつもない普通の水だ。しかし、ちゃんとした浄水システムもそれを供給する為の水道もほぼ普及ふきゅうしていないこの世界では、この清潔せいけつな水を飲めるというだけでもありがたい。生水なまみずは、一見綺麗なようで目に見えない細菌さいきんなどがいることがあり、それを滅菌めっきん消毒しょうどくする為に煮沸しゃふつするなどして飲める水とされる。

 私も飲むとしたら基本浄水なのだが、元々エルフ族は原始人のような狩猟しゅりょう民族だ。生水どころか多少にごっていても問題なく飲める。

 体内を循環じゅんかんする魔力による自浄作用じじょうさようによって、無害となるからだ。

 体内へ取り込む悪い物も、そして体内で生み出される排泄物はいせつぶつなどもその循環の中で分解され、最終的にほんのわずかな残りカスとして体外へ排出される。その頻度ひんどがおおよそ一、二週間の間隔かんかくであるが、おおむね問題ない。それだけ循環が行き届いているという証拠しょうこだ。しかし流石に一ヶ月はないので、その際は普通の人と同じように薬などによって外に出す必要がある。

 私も一応ハーフとはいえ、エルフ族であるので濁った水、下手したら泥水どろみずだってすすれるのだが、あいにくと前世が日本人であり、蛇口じゃぐちひねれば常に清潔な水がいくらでも飲めるという環境で過ごしてきた感覚が抜けきらないことで、飲めなくはないが出来れば浄水が飲みたいと多少お金を出してでも買うようにしている。

 これでもこの世界で一〇〇年以上暮らしているし、子供の頃は普通に生水や雨水あまみずを飲んで暮らしていたので今更いまさらではあるのだが、子供の頃は大丈夫でも大人になると虫がさわれなくなる。そんな感覚だと思えば良いだろうか。一応生まれてからずっと、精神だけは大人ではあったが、あの頃は特に気にもせず飲んでいたと思う。

 町中で水を飲む時は買うことが多いが、町を一歩出ると水を売っている所などない。よって、我慢がまんして生水を飲んでいる。

 常に純水が生み出せる水魔法や、煮沸などの熱殺菌が出来る炎魔法が使えたらと思わなくもない。その代わりに雷魔法でせめてもの抵抗として、微量の電流を流してそれっぽく殺菌したふうよそおって飲んでいる。

 電解水でんかいすいの仕組みなど分からないし、どうせ余程の強い毒液でなければ体調をくずすことも死ぬこともないのだ。あくまで気分の問題なので、いずれ慣れるはずだ。人間とは慣れる生き物だ。私エルフだけど中身は人間なので、きっと慣れるはずだ。


「お待たせしました。野菜炒め定食です」

「ありがとうございます」

「では、先程の水を合わせまして五ドタいただきます」


 慌ててふところから財布を取り出す。


「あ、はい。分かりました。えぇと、トルマで良いですか?」

「大丈夫ですよ。はい、確かに丁度戴きました。ごゆっくりどうぞ」


 お金を受け取った彼女は、こちらにウィンクをして去って行った。

 ジストでは、会計は全ての飲食が終わってから支払う。支払い場所はその場か、会計所かはバラバラだが基本システムは同じだ。しかし、ここは既に国境を越えた外国、エメリナだ。となると支払いシステムも違うのか、料理が来た段階で支払うようだ。

 食い逃げ防止の為だろうか。

 通貨の単位に関してだが、先程のやり取りでも分かる通りジスト王国共通通貨で問題ない。ギルドで両替りょうがえの話をしたが、ジストの通貨もエメリナの通貨も同じ価値としてあつかっているとのことで、そのまま両替せずに持ってきた。

 金や銀の産出地であるジストと、これといった鉱山のないはずのエメリナが、何故同等の通貨価値を持っているのか。その答えとなるのが、この目の前に置かれた野菜炒めにも使われているアレだ。というか人が生きる上で欠かすことの出来ない……塩だ。

 内陸の国であるジストは、塩を手にすることが難しい。

 多少は岩塩の層があるのでそこから供給出来るが、ジスト全体の人口と加工、輸送を考えたらとてもじゃないが賄いきれない。そこで海と面しており、塩作りもさかんなエメリナに金や銀を大量に輸出して、その代わりとして塩を輸入。

 もちろん塩だけでなく他にも海洋資源などがあるが、やはり塩のめる割合が圧倒的に大きい。そうして金銀銅の価値を意図的いとてき偶発的ぐうはつてきかは国のトップ同士の決め事なので不明だが、通貨が共通した価値を生み、取引も円滑えんかつに行われている。

 それもあってか、先程の野菜炒め定食も水と合わせて五トルマ、こちらの通貨で言うなら五ドタと、ジストで定食を注文した時と同じくらいの値段で設定されている。他のメニューを見ても、産地の違いから来る値段の前後はあっても、大きく違うこともないようだ。もちろん、宿泊費もそう変わらないと思う。とはいえ、こちらはピンキリなので何とも言えないが。


「今日もおめぐみをありがとうございます。このかてをこの身、この心にきざませて頂きます」


 いつもの食前の祈りをささげて木のフォークを手に取る。


「うん、美味おいしいです」


 思わず声に出てしまったが、小さくつぶいたしこのにぎわいの中なので誰の耳にも入っていないようで良かった。

 野菜炒めは、キャベツはシャキシャキ、ニンジンも中までしっかり熱が通っていて柔らかく、ニンジン特有の匂いも感じない。香辛料による匂いの誤魔化しではないようなので、どうやっているのかは分からない。

 主食は米ではなくパン。こちらの世界の主食といえばパンなので、定食でも定番はパンなのだが、何故か丼物とかもある世界なので、定食といえば米とする国や店舗もあるのかもしれない。


「頂きました」


 食事を終えて宿を出ると、町中は結構さわがしさを見せていた。


「まずは……道具屋かな」


 本日の予定は、ずっと買うか悩んでいた魔石灯ませきとうを買うこと。手持ちサイズのランプと同じくらいの大きさで、手頃な値段の物があれば良いが果たしてあるだろうか。

 決断がもう少し早ければ、産出地であるジストでもう少し安く手に入れることが出来たかもしれないが、今となっては後の祭りだ。後悔しても仕方ないので、気を取り直して買うことを決める。


「こっちかな?」


 建物や町並みの雰囲気こそジストに似ているが、そこはやはり初めて訪れた土地であるだけに土地勘とちかんなどあるはずもなく、ただ当てずっぽうで歩き始める。一応、昨日ギルドからこの宿に来るまでの道中には、それらしい店はなかったはずなので、とりあえず逆方向へ進めば何かあるかもしれないという根拠こんきょもとづいた直感である。

 それからは、町中まちじゅう彷徨さまよいながらあっちへふらふら、こっちへふらふらと歩き、結局目当ての道具屋を見つけることはかなわず、あきらめて偶々たまたま近くを歩いていた人に声を掛けて案内してもらったのであった。

 意外と近い場所にあったので、私の直感も捨てた物ではないと自己満足にひたるが、結局のところ、自力で辿り着けていないことは内緒である。

 扉を開けると、カランカランとベルの音がして入店を報せる。


「いらっしゃいませ」


 すぐに、店員であろう中年の猫型獣人の男性が現れた。店員は、私を見て驚いたような顔をするが、すぐに接客用の笑顔を取り戻して対応してくる。話をしながらも、チラチラと私の耳に目が行くのは見逃さない。というかそれだけ何度も見られていては、流石に気付くというか逆に気になってしまう。

 用件を伝えると「少々お待ち下さい」と店の奥へ引っ込み、すぐに木箱をかかえて戻ってきた。


「それは?」

「魔石灯ですや。一応中身の確認を願います」


 そう言って箱を開けると、中には確かに注文通りのランタン型の魔石灯がおさまっていた。

 物を手にとって何度か点灯てんとうと消灯を繰り返し、光量や光色こうしょく、魔力効率などを見ていく。大きさ、軽さは問題ない。その他の部分も特に気になる点もない。となると、最後に確認すべきは……


「おいくらですか?」

「おう、えぇと二ラギスでどうだ」


 ラギスとは、エメリナの通貨単位の一つで金貨のことを指す。ジストではロカンと呼び、価値は同等の扱いである。ちなみに銀貨はエメリナではピッコ、ジストではキユで、こちらも価値は変わらない。

 一ラギスが一ロカンと同じということは、大体一ロカン当たり二七〇〇〇円であるので、二ラギスということはその倍、五四〇〇〇円ということか。高額だ。

 前世でのアウトドアキャンプ用のランタンの相場そうばは、もちろんピンキリあるが、ちょっと良い物を想定した場合おおよそ二〇〇〇〇円前後と見ると確かに高いが、燃料が自前の魔力のみとなるとその三〇〇〇〇円以上の差も大したことないように感じる。

 前世ではアウトドア経験はなかったはずなので、安いランタンの性能などは分からない。

 こちらの世界のランプ、ランタンの相場は大体三キユ以下。つまり五〇〇〇円を下回るので、魔石灯がどれだけ高いか分かるだろう。しかし、恐らく適正価格だと思われる。仮にジストで買えばもう少し値段は下がるはずだが、輸送費などを入れるとこのくらいになるのは仕方ない。

 ここで下手へたに交渉に出て不評を買うこともない。私が総合的に見て適正だと判断したので問題ない。機能に関しては先程しっかり検分けんぶんさせてもらったので、まがい物ということもないし、ぼったくりの可能性はないと言える。


「では、これを一つお願いします」

「まいどありー」

「あ、ジスト通貨でも良いですか?」

かまいませんぜ」


 取引が成立した私は、意気揚々いきようようと店を出て、元来た道を戻って宿へ向かうのであった。

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