Scene 68. 圧倒と、交代。

ど、と重たいものが床にぶつかる音がして、一瞬遅れて短いブザー音が響く。これで3度目だった。


「くそっ!!」


ヴァースに上から拘束されて身動いでいたロブソンは、悪態を吐きながら全身の力を抜いて、背にしたリングのマットの上で四肢を投げ出した。


「はは、惜しかったな。」

「全然っすよ。全然惜しくねぇっす。」


言いながらヴァースはロブソンを解放し、身を起こして立ち上がったが、ロブソンは息を切らせて横になったままだ。


「最後は少し焦ったぞ。」

「少しっすか……」

「お前のが若いからな。カンを取り戻したお前と長期戦になったら危ないかも知れん。」

「どおっすかねぇ……」


まだゼイゼイ息をして天井を見たまま、ロブソンは疑り深そうに曖昧な返事をする。正直なところ、カンを取り戻したとしても全く勝てる気がしないのだ。そのくらいヴァースは余裕があった。



「せっかくだから、スパーリングもやってみるか?」

「まじっすか!?お願いします!」


涼やかにロブソンのもう一つの経験種目であるボクシングの提案してきたヴァースに、ロブソンは疲労も忘れて飛び起きた。ヴァースは何やら腕のバンドを操作し始め、程なくしてリングの周りの金網を支える支柱から、ピピッ、と機械音が発せられる。判定システムを、ボクシングのものに切り替えたのだ。


「グラブが専用じゃ無いからな。本気で打つなよ?」

「本気で打っても当たる気がしないっすよ。」


構えてボクシングのフットワークに切り替えながら、ロブソンは本音を零した。レスリングで軽くあしらわれて、その力量の差を思い知らされた。そのせいなのか、種目が変わってもこれで形勢逆転となる気が全くしない。しかしだからと言って、全力で向かっていくのをやめるつもりはロブソンにはなかったが。


「有効打一回で一杯だな。」

「よっしゃあ!!」


英雄と盃を交わせるチャンスがまだある事に、ロブソンの意欲は更に掻き立てられるのだった。



「まだやるつもりなのか、あの二人。」


リング場で起き上がって構えを取り直した二人を見て、ミィヤの横でマイクは呆れ気味に再度呟いた。ロブソンは軽くステップを踏みながら、隙を伺うようにヴァースの周りに回り込み、牽制のジャブをゆっくりと放っている。ヴァースはロブソンを正面に見定めるよう足場を調整しながら、その拳を自分の拳で受け止めいなしていた。


「今度はボクシングか……装備が万全じゃないけど、大丈夫なのかな?」

「そうねぇ……」


通常、スパーリングであれば着けるはずの胴体の防具無しに、しかもクッションの少ないグラブで向かい合っている二人を心配してかマイクが呟いたが、ミィヤは正直それどころではなかった。それまでドギマギしながら二人の対戦を見ていたが、ロブソンとの対戦が一区切りつきそうになり、焦っていた。


真っ先に一番手に立候補したロブソンが対戦を終えれば、次は自分かマイクが指名されるに違いない。本当に無理!!ああ、こんなこと早く終わって欲しい。いや、出来るだけ時間を稼いでロブソン!!先輩だってそこまで暇じゃないだろうし、時間切れになって対戦しなくて済むのだったら、それが一番良い!


と、何とか自分がヴァースと手合わせしなくて済む状況にならないかと焦りで回らない頭を必死で働かせていた。


格闘技の経歴がバレてしまったのはもう手遅れだとして、だからって先輩と実際手を合わせるとかなんかもう色々無理だから!!絶対にイヤ!!


そんなミィヤの焦りを知ってか知らずか、マイクは二人を観察しながらまた呟いた。


「なんか准将、これも慣れた感じだなぁ。本当にあの人何者なんだ?」



マイクの言った通り、ヴァースの構えもフットワークも、繰り出されるロブソンの拳をかわす様子も、随分とこなれた様子だ。左右前後に身体を振って動かし、隙あらばカウンターを打ち返そうとするから、ロブソンはコンビネーションを続けられない。


そして、終わりは唐突に訪れた。


じり、と向かい合って、次の一手のためにロブソンが間合いを詰めた時だった。


パンッ、と乾いた音がしたのと、ロブソンの顔が仰け反ったのが一緒だった。


『!?』


金網の外から眺めていたマイクもミィヤも、当の本人であるロブソンさえも、何が起こったか分からないまま、ロブソンの膝はかくりと折れてマットに沈み、上体は前に傾き始めた。しかし顔面からマットに倒れる前に、構えを解いたヴァースの片手がロブソンの腕をがっしと掴んで支える。ロブソンはだらりと身体の力が抜けたまま、焦点の合わない目をパチパチと瞬かせた。


「あ、あれ?」

「……すまんな、加減を間違った。」


まだ動けない様子のロブソンに、ヴァースは空いている手で決まり悪そうにガシガシと頭をかいてから、掴んでいたロブソンの腕を自分の肩に回し、その身体を引っ張り起こした。


「ほら、選手交代だ。」

「う、うっす……」



肩を組んで金網のドアから出てくる二人を眺めながら、ミィヤは呆然としていた。


拳が見えなかった。


ロブソンが倒れたのだから、ヴァースの攻撃が当たったのは間違いない。ヴァースが動いたのはかろうじて見えたし、ロブソンの頭が弾けるように揺れたのも見えた。だけど繰り出されたはずの拳は見えなかった。一体何が起こったんだ?結果を見れば決まり切った解答であるはずなのに、目に見えなかった所為で頭が納得してくれないようだ。


ヴァースに肩を貸してもらいリングから降りてきたロブソンはまだ膝が立たないようで、そのまま床に、大の字に仰向けになった。


「はは、ちっくしょうチョれぇなぁ俺……」


悔しそうに悪態を吐くが、その表情は何処か清々しい。全力で玉砕したから、悔いも残らなかったのだろう。加減を誤った、と言って謝罪しているヴァースは、ロブソンを辱めないようにか、あくまで控えめにそれを否定する。


「そんな事はないさ。」

「いやぁ、まじハンパねぇっすよ先輩。全然勝出る気がしねぇ。」

「……まぁ、経験の差だ。」

「経験?」


ここに来て、やっとヴァースの経験種目に疑問を持ち始めたのかロブソンが聞き返した。その時、パンパン、と乾いたものが打ち付け合う音がして、ミィヤ、ヴァースとロブソンは反射的に音の方に視線を向ける。


いつのまにかヘッドギアとグラブを身に付けたマイクがいた。グラブを着けた拳を手のひらに打ち付けて様子を確かめている。何度か屈伸と軽いジャンプをしてから、リングの方を向いたままゆっくりと、軽く足を前後に開き腰を落とす。同時に流れるような所作で開いたままの掌を身体の前にかざし、構えを取った。ふ、と息を鋭く吐いての突きと前方への踏み込みを、続けて二回。


それだけ済むと、マイクは構えを解いてヴァースに言った。


「お待たせしました。先輩はまだ休憩必要ですか?」

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