Scene 37. 感動と、失敗。
ツアーの時には足を踏み入れることが出来なかった場所にたどり着いて、ミィヤは胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。スルスルと下に沈むにつれて、扉のある階層が一つ、また一つと過ぎ去って行く。扉はどれも似たものなので、その光景はどこか倒錯的でもある。地上ではまず目にする事はないだろう。それに、防護船での訓練では自由な状況で無重力に晒されることなどなかったし、こんなに広い空間も無かった。
「ひゃっほーう!」
ロブソンも重さに体を煩わされない自由が楽しいらしくて、両手両足をいっぱいに開いて落ちてみたり、ポールを軸にして回ってみたりしている。ロブソンほど大袈裟にはしゃぎはしないものの、マイクもこちらのポールからあちらのポールに行ったり来たり、飛び移ったりしている。ミィヤも思い切って、何度か宙返りをしてみた。水の中にいるように、髪があちらこちらに舞って顔中にまとわりついた。
3人のはしゃぎようを見ている通りすがりの人や、扉のある壁にランダムにぽっかりと空いている一部屋分の空間で休んでいるような人達の目があったが、3人は興奮を抑える事は出来なかった。幸運なことに、彼らも自分が始めてやってきた時のことを思い出しているのか、3人を咎めたり、嫌悪を露わにするような人はいないようだった。
ひっくり返って後ろ向きに落ちながら髪を顔から避けて、ふと、過ぎ去っていく無数の扉とは反対側の壁にある、小さな円形の穴がミィヤの目に入る。気づいてよく見ると、壁の等間隔にいくつか同じものがあった。ポールを掴んで落下を止めて、壁の穴のある部分までミィヤは戻った。自分の頭の2倍ほどの直径の穴を覗き込んで、ミィヤは目を輝かせた。
「マイク!ロブソン!!」
ミィヤは大声を上げて2人を呼んだ。壁に張り付いて喜び驚いた顔で2人を見ているミィヤに気づいて、マイクとロブソンはミィヤの元へと、文字通り飛ぶように戻ってくる。ミィヤの髪がそこら中に広がっていたので、ロブソンはその髪を掻き分けなければななかったが、3人は一緒に丸い穴を覗き込んだ。
それは、透明な窓がはめ込まれた穴だった。深い深い漆黒の空間に、青と緑に輝く地表の半球が、雲と空気の層の薄衣をまとって、ぽう、と輝いて見えた。
「すげぇ……俺らほんとに宇宙に来たんだな。」
ロブソンがポツリと言った。防護船での訓練でも何度も母艦と地上間は往き来している今は、それは当たり前で今更なことのはずなのに、何故だか3人は感動して、暫く窓の外の地球を、食い入るようにして見つめていた。
ロブソンとマイクの寮室は比較的上の階層にあって、ミィヤの寮室は更に下に沈んだところにあった。一応左右で男女が大まかに分かれているようだ。
ミィヤが腕のバンドに示されている割り当てられた部屋の扉に近づくと、バンドから通知音が発せられた。それと同時に、ドアの隣の壁にある平らな装置にぽう、と明かりが灯る。ミィヤはごく自然にそれにバンドをかざした。入艦時に配布されたからには、これが全てのシステムへの鍵となるはずだ。思った通り、通知音がして自動でドアが開いた。
中に入ると、訓練校の寮よりもコンパクトな印象の部屋だった。入ってすぐの左に小さなデスクが据え付けられておりその奥は棚になっている、右は下にベッドと上に収納の二段になっていた。ベッドから反対側の壁のデスクと棚までは、人1人が通れるくらいの隙間しかない。身の回りのものを収めるのには不自由しない筈だが、のんびりとストレッチ出来るスペースは無さそうだ。
ふと、ミィヤは室内も無重力のままである事に気がついた。果たしてこのままなのだろうかとミィヤは思い、無重力での生活には慣れるまで暫くかかりそうだと少し考える。防護船での訓練時は、生活環境で無重力になる事は稀だった。寝るときもこのままなのだろうか?
まだ灯りをつけていなかった事に気がついて、ミィヤはスイッチを探した。訓練校の寮室と同じように、PAIを連携できる装置もあるはずだ。思った通り、デスクがある方の壁の左に小さなスクリーンが据え付けられている。タッチするとスクリーンに明かりが灯り、UIが起動した。
画面に大きく表示されているアイコンはふたつあった。太陽のマークと、地球のマークだ。太陽のマークは灯りだろう、とミィヤは予測できたが、地球のマークは何を意味するのか思いつかなかった。まずは太陽のマークを押してみる。ミィヤの予測は当たっていて、部屋の明かりがゆっくりとついた。
部屋をよく見れば、棚やベットには物を固定するためのベルトのようなものがあり、布団はそれでベッドに留められている状態だ。眠るときもこれで自分を固定するのだろうか?
部屋の奥を見ると、向かいの壁には二つの扉があった。近づいて見ると、左の壁側の扉は磨りガラスがはめられていて、訓練校の寮のユニットバスの物と良く似ていた。シャワールームに違いない。右の、入り口の正面にある扉は何だろう?右の扉よりも随分小さいようで、人が出入りするのは不便そうだ。
ミィヤは、その小さな扉の上に赤いランプが付いている事に気がついた。そして、その横には細かな文字列がプリントされている。
『荷物が届いている場合は、赤いランプが付きます。直ちに回収してください。ランプを押すと扉が開きます。
注意:絶対にここに物を収納しないでください。扉の前に物を置かないでください。ここに入りきらないものを、配送依頼しないでください。こちらの扉が開いている限り、反対側の扉は開きません。中に物がある状態でネットを外したまま、重力装置を起動しないでください。物品の破損に関しては保証範囲を確認し、該当する場合のみ生活管理班に連絡してください。』
文言の最後に、連絡先の番号が続いていた。この扉は、荷物の受け取り口のようだ。ふと、先に送っていた荷物が部屋の中に見当たらないことを思いつく。この中に届いているに違いない。
ミィヤが赤いランプを押すと自動で扉が開いた。確かに、中にはミィヤが訓練校の寮から送った大きな取っ手付きのボックスが二つ、重ねられて入っており、左右から張り出した伸縮性のあるネットで固定されていた。
「大きな荷物を運ぶには、無重力は便利ね……」
呟きながら、ミィヤはネットを上から押さえつけているバーを引き上げる。大きな二つのボックスは戒めを解かれ、ふわりと宙に浮いた。それらを部屋の中に引き込んでから、またボタンを押して受け取り口の扉を閉める。ボタンの赤いランプは消えていた。
荷物を部屋に入れたは良いが、どうしたものかとミィヤは考えてしまった。この状態で蓋を開けたら、中のものが部屋の中に散乱してしまう。無重力は荷物の運搬には便利かもしれないが、物の取り扱いは考えものだ。これを想定して荷造りをするべきだったのだろうか。それならそうと、先に伝えて欲しかった。
少しの不満を感じ始めてから、ミィヤは思いつく。受け取り口の注意書きには、「〜で、重力装置を起動しないで下さい。」とあった。で、あれば、しようと思えば出来てしまうはずだ。
ミィヤはもう一度、扉横のスクリーンの元に近づいてタッチする。再度表示される二つのアイコン。一つが明かりなら、もう一つは……ミィヤはデスクに捕まって床に足をつけてから、地球のマークのアイコンをタッチした。
ミィヤが予想した通り、アラーム音とともに馴染みのある圧力が全身にかかって、足が床に押し付けられる。重力装置が起動したのだ。しかしそれを感じた瞬間に、ミィヤはしまった、と焦って後ろを振り向いた。手遅れである。
どごん、と、大きな音を立てて大振りの樹脂製のボックスが床にぶつかった。片方のボックスの上にもう片方が乗ったが、綺麗には重ならずずり落ちて、ミィヤが慌てる中もう一度どごごん、と盛大に音を立てて床に落ちる。
階下の人、ごめんなさい。
と、ミィヤは青くなりながら心の中で呟いたのだった。
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