Scene 35. 再会と、不審者。

「ミィヤ、着いたよ。」


隣に座っていたマイクの優しい声掛けに、ミィヤははっとして目を覚ました。結局昨晩眠れなかった分の睡眠時間を、コーヒーの効果も虚しくミィヤは連絡船での移動時間で賄うことになった。気がつけば、到着した後の重力装置の起動にも気がつかずぐっすり眠っていたようである。


艦内の寮へのチェックインが終わった後には着任式が控えている。道中の様子を見れなかったのは残念だが、少しでも眠れたのはかえって良かった、とミィヤは思った。防護船での最後の朝礼の時の様な状態になってしまっては大変だ。あの時はヴァースの正体を知って目が覚めたが、そんな事でもなければ立ったまま眠ってしまいかねない。憧れのマザー・グリーンでの着任式でそうなってしまうのは、何としても避けなければ。



他の大勢の乗客と共に、ミィヤ、マイク、ロブソンの3人は、連絡船からプラットフォームへと降り立った。乗客の中には、ロブソンたちと同じ制服を着た新任の初等空士たちも沢山いて、3人は顔見知りを見つけては、軽い挨拶を交わした。ミィヤにとっては二度目だったが、初めての乗艦となるマイクとロブソンはしきりに周りを見回して、感嘆の声を上げていた。


「はー、やっぱでっけぁなぁー。」

「広いし綺麗だね。乗船場は幾つあるんだろう。」

「一般連絡船用は24よ。全ていつも使われているわけでは無いけど。あと、上級連絡船用と特別連絡船用と、士官専用連絡船用が別にあるんですって。」

『へぇー。』


マイクの疑問に答えてマザー・グリーンの博学ぶりを発揮したミィヤに、2人は同時に声を上げる。


「非常時に備えた予備の連絡船は上の階に格納されていて、必要な時に降りてくるのよ。地上にも何台も待機させてあるんですって。」

「成る程ねぇー。」


喋り続けるミィヤの説明とマザー・グリーンの設備に感心して、ロブソンがまた感嘆の声を上げる。2人は勝手のわかっているミィヤの後をついて行く形だ。


乗船場から待合場に出て、広場への出口に近づくと、3人が首から下げていたタグから殆ど同時に通知音が発せられた。3人は、それぞれジャケットやシャツの下にしまっていた長い鎖のチェーンを取り出す。そして、ぶら下がっている親指ほどの長さの薄い金属製のタグの裏側を確認した。タグは訓練校に入校した時に渡された、ID、兼システムからの受信装置である。表には各自のフルネームや生年月日等が刻印されており、裏側は表示板になっていた。今はシルバーの地に緑の光で、「初回乗艦、要端末受領」と表示されている。それをみたロブソンが2人に聞く。


「端末って?」

「母艦のシステムとの通信用じゃないかな。」

「通信?これじゃダメなのか?」


答えたマイクに、ロブソンは胸元から取り出したタグを掲げてみせた。既に通知を受け取っているのだから、これで十分では無いのか、とロブソンは言いたいのだ。


「これはあくまで軍用のIDだしね。受信だけじゃなくて発信も出来るとか、もっと複雑なんじゃ無いかな。」

「受け取るのはあそこかしら。」


ミィヤが、待合場の外の広場への出口の、両端と中央に幾つか立っている人の背丈程の高さの柱を指差した。円柱状の柱の上部には四角いスクリーンが設置されており、確かに同じ制服を着た者達が、そのうちいくつかの前でスクリーンを覗き込んでいる。


3人もそのうちの一つに近づいて、スクリーンを覗き込んだ。すると、一番手前にいたミィヤのIDタグがまた通知音を発した。柱からも通知音がして、手のひらのスキャンを求める表示が映し出される。ミィヤが手をスクリーンにぺたりと当てると、程なくして内部のかちゃかちゃという動作音がして、スクリーンの隣のスリットが開き、四角い穴が開く。そしてそこには、銀色の腕時計の様なものがぶら下がっていた。スクリーンの表示は、「認証: ミカエルソン初等空士 通信バンド配布」となった。


ミィヤはバンドを手にとってじっくりと眺めた。マイクとロブソンもミィヤの手の中を覗き込む。バンドの素材は金属の様だったが、軽くて弾力性があった。ボタンなどは一切無く、中央の部分はのっぺりとした平面になっている。ミィヤがそれを左腕に取り付けると、側面の一部が青く光り、手の甲の上部にホログラムのスクリーンが浮かび上がった。「認証: ミィヤ・ミカエルソン初等空士」と表示され、続いて立体画像が映し出された。現在のフロアから別の場所までの赤い道筋が、立体の地図に示されている。「要チェックイン」と言う文字が手前で点滅している。


「何か見える?ミィヤ。」


隣にいるマイクが聞いてきた。どうやら映像はミィヤの視点からしか見えていないようだ。


「ナビゲーションだわ。私達の寮かしら。」


マイクとロブソンもそれぞれバンドを受け取り、腕に装着して色々と操作を試した。腕上部のバンドの平面か手の甲をタッチすると、地図の角度が変わったり、別の画像に移ったりした。スケジュールが表示されている画面に切り替えると、今日の着任式の開始時間と、正装軍服を着てくるようにとの通知が表示されている。


「大して入ってないな。コンテンツ。」

「必要なものしか見えないんだろうさ。」

「操作用リングでも動かせるわね。」


防護船での訓練ではめていた、人差し指と親指のリングを再度はめて試したミィヤが言う。


「ミィヤの寮は何番の区画って表記されている?」

「 29よ。マイクは?」

「僕もだ。ロブソンは?」

「 俺も同じだぜ。」


3人は目的地を確認すると待合所を出て、広場へと入って行った。ナビゲーションに従って、寮のある区画に向かっていく。広場には、先ほど同じ連絡船を降りた人達と、乗船を待つ人々、そして思い思いの方向に行き交う人達で、それなりに混み合っていた。3人は人混みを縫って、広場を斜めに横切っていく。



巨大な円形の広場の中央に来て、ミィヤは上を見上げた。


広場の上部は吹き抜けになっていて、数階上まで見上げることが出来る。広場から見える各階の柵の向こう側にはテーブルと椅子が沢山並べられており、カフェや食事処もいくつも見えた。ここは地上と母艦を行き来する空士たちの、憩いの場でもあるのだ。そして広場と同じ円形の天井には、マザー・グリーンから見える丸い地球の映像がいっぱいに映し出されていた。


広場を挟んで待合場出入り口の反対側には、各階から別の階へのエレベーターと階段がある。エレベーターの広場側はガラス張りになっており、そこかしこが照明に飾られた緑鮮やかな植栽に覆われ、所々に施されている人口の滝が広場に心地よい騒がしさを演出していた。


二階と三階に登る階段には半円形の広い踊り場があり、左右に登り口がある。そして、その下が一階から上の階へのエレベーターの入り口になっていた。


その階段の踊り場から広場の中央に乗り出す様に、大きな彫刻像があった。


緑色の石を削って作られた、髪の長い半裸の女性像。薄衣を纏って、宙に浮いてる様な姿で、首を傾げて広場の中央を見下ろしている。踊り場の外側から広場の中央に身を伸ばす姿は、さながら船首像だ。



ミィヤは像を見上げて立ち止まった。数年前に自分に付き添って来てくれた叔父が、この像を見て「そのまんまだな。」と呟いたことを思い出す。


「マザー・グリーン」、「緑の母」。


確かに、と当時ミィヤも思ったが、外からの来艦者を優美に出迎える、嫋やかな指先まで精巧に創られたこの像が、ミィヤは大好きだった。数年ぶりに像を見上げて、この船にやってきた事を改めて実感して、ミィヤは喜びで胸がいっぱいになっていた。



(ただいま。これから宜しくね。)


自然と湧いて来た微笑みを浮かべて、ミィヤはそう心の中で呟いた。




見上げたまま前に進もうとして、ミィヤはすぐ目のすぐ目の前にいた人物と思い切り衝突した。


「ご、ごめんなさい!」


よそ見をしてぶつかってしまったことが恥ずかしくて、ミィヤは焦りつつ謝った。衝撃によろめきながら、ぶつけた顔の半分をボストンバックを持っていない方の手で押さえる。母艦に着いてすぐだと言うのに鼻血など出したら見っともない事この上ないが、幸いそれ程強くはぶつからなかったことを、手のひらを見て確認して安堵する。



ぶつかった相手は、何も言って来なかった。


それどころか動こうとしなかった。ミィヤは怪訝に思って相手を恐る恐る伺う。


随分と背の高い青年だった。男性というにはまだ幼い。ミィヤは年下の従兄弟を思い出したが、もしかしたら彼よりも若いかもしれない。黒髪に端整な顔立ちが目を惹くが、無表情でとっつきにくそうな印象を受けた。両手をベージュ色のジャケットのポケットに入れてミィヤを見下ろしている。


視線が合って、ミィヤはたじろいだ。青年が、遠慮する様子もなく自分をじっと見つめたままだからだ。そんなに気分を害してしまってのかとミィヤは怖くなり、一歩下がって、もう一度謝ることにした。


「あの、本当にごめんなさいね。」


青年は応えるどころか瞬きすらしなかった。ミィヤから全く視線を外そうとしない。もしかして会ったことがあっただろうかとミィヤは記憶を探ったが、思い当たらなかった。


「あ、あの?」


あまりにも無遠慮に見つめられ続けて、ミィヤはますます不安になって声をかけた。青年は答えない。



少しして、青年は緑の像に視線を移した。困惑するミィヤを放ったまま、像を見上げて何も言わない。


心身が健康な人ではないのかもしれないと、ミィヤは別の不安を感じ始めた。申し訳ない気がするけど、このまま行ってしまおうか、とミィヤが考え始めた時に、青年が視線を戻す。そして、ミィヤに向かって言った。



「お帰り、ってさ。」


「……え?」



ミィヤは、自分の心を読んだかのような青年の言葉に驚愕する。



なんなのこの子。どうして私が戻って来たってことを知ってるの。



青年の得体の知れなさに、ミィヤは一転、背筋が凍る様な感覚を覚えた。


しかしミィヤが怯んだ瞬間に、幸運なことにロブソンが随分先で声を張り上げた。


「何やってんだミィヤ!先行っちまうぞ!!」


ミィヤははっとして、青年の横をすり抜けてロブソンとマイクの方へ走り出した。内心、見知らぬ青年から逃れられた事を安堵する。



ミィヤが追いつくのを待って、2人はまた歩き出した。ミィヤは2人について歩きながら躊躇いがちに振り返って、置き去りにした青年の様子を伺った。人混みの合間に見え隠れする青年は、こちらを向いて、まだミィヤを見つめているようだった。

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