Scene 28. 世捨人と、軍人。

特別区画の中心部で、ヴァースは通路の先の馴染み深い扉の前に辿り着いた。ほかのドアとは違う、随分と手の込んだ装飾の大きなもの。その色は重厚な黒一色だ。


自動でドアが開き足を踏み入れると、その先にまた、今度は透明な扉があった。二重になっている透明なドアの一つ目が開き、ヴァースが更に歩を進めると、背後で扉が閉まり、二つの扉に挟まれた形になる。そして緑の光の線がヴァースの全身を上からスキャンし始めた。それが終わらないうちに、二枚目のドアにヴァースの顔写真と登録情報が映され、「認証」と言う緑の文字が被さるように表示される。機械音とともに二枚目のドアが開いた。


ヴァースは、こちら側から入るのは、退軍より更に一年前だな、と思い出しながらドアを潜った。



部屋の中央に来ると、ヴァースは後ろ手に持っていた帽子を脇に抱えなおして踵を鳴らし、敬礼の姿勢を取っって言った。


「お久しぶりです、フラー艦長。」


ヴァースの正面にあるデスクには、椅子に座り、ヴァースとの間を遮るように映し出されている半透明のホログラムスクリーンを操作している人物がいた。ヴァースの声がするとスクリーンが消え、その人物が露わになる。浮遊椅子ごとデスクを周り、ヴァースの方へ近づいてきた。


「よーう、先代。」


孫でも相手にするような穏やかな声で挨拶してきたのは、豊かな白髭を蓄えた小太りの老人だった。背が低いのか、大型の浮遊椅子の足置きに踵が届いていない。金色の取っ手のある黒い杖がその代わりに足置きに立っており、乗せられている指の短い両手を支えていた。


軍で唯一、黒地の制服を着ることが許された人物、現マザー・グリーン艦長、シモン・コンラッド・フラー・シーウェルだった。


「お前さんに艦長と呼ばれるのはなんだか嫌味だの。」

「そう言わずに。そう呼ぶしか無いのですから。」


ヴァースに艦長の座を受け渡された身であるフラーの親しみあふれる冗談に、ヴァースは敬礼から直って少し笑いながら答えた。


「御健在のようで何よりです。」

「ほっほ。そいつは更に嫌味だの。」


フラーはヴァースを見上げながら、浮遊椅子の肘置きを指の短い太った手でぽんぽんと叩きながらまた穏やかな声で言った。


「どうだね、艦長の座は?また座りたくなってきたかね?」

「まさか。当分の間は御免ですよ。」

「ふーむ。まぁ、お前さんまだ若いからのー。」


当分が過ぎても、果たしてまた座る気になるかどうかはヴァースには分からなかったが、それよりも自分が再びその椅子に座る資格があるかどうかの方が疑問だった。果たしてそれに納得する上官たちが何人いることか。自分は一度、彼らを裏切ったのだ。


フラーは杖を軽く持ち上げて、その先でトントン、と足置きを叩いた。フラーの隣に、フラーとさほど変わらないサイズのアバターのホログラムが現れる。燕尾服を着た人型だ。


『何なりと、フラー艦長。』

「マークに、茶を淹れてくれるように頼んどくれ。茶菓子もな。客人にもだ。」

『かしこまりました。』


ぷつん、とホログラムが消えると、フラーはヴァースを見上げていたずらっぽく笑って言った。


「自動でも構わんだろうが、あいつが淹れてくれた方が美味いからの。」

「ええ、知っていますとも。」


ヴァースがいた頃から艦長の執務室に付いていた執事の名前を聞いて、ヴァースは同意を示して微笑みを向けた。



「まあ、座ろうかの。」


言いながらフラーは隣の部屋へ繋がるドアに浮遊椅子を向かわせ、ヴァースはそれについて行った。隣の部屋には、巨大な温室になっている庭への扉があった。その扉も潜って、二人は庭へと出て行く。


フラーは艦長専用の浮遊椅子を地面まで下げると、そこから降りて、向かい合わせに置いてある白いソファーに向かった。地上であれば如何にも室内用の家具が庭にあるのは違和感を与えるものだが、人口の空の下ではこれが普通だ。


ほんの僅かな距離を歩く足取りは頼りなく、フラーは片足を引きずっていた。びっこをひき、杖をつきながらようやく椅子に辿り着き、よじ登るように椅子に座る。


「ほんで、どうかね。世捨人をやってみて。」

「世捨人、ですか……」


腰をかけながら、少し息の切れたような声で言ったフラーに習って、向かいの椅子に座りながらヴァースは考える。上手く言ったものだ。確かに自分は全てを捨てた。だが……


「皮肉なものです……」

「ふむ?」


屈むように背中を丸め、両膝に肘を乗せて両手を組み、目の前の小さなテーブルを見つめて呟くヴァースに、フラーは疑問の意を投げかけた。ヴァースは視線を変えずにまた呟いた。


「世を捨てて初めて、生きた様な気がするとは……」

「ふむ……」


ヴァースは船を降りてからの4年間を思い返した。


浴びるように酒を飲み、女と薬に溺れ、友人に助けられた。何もしていない状態が耐えられなくて、地表をあちこち旅して、色々なものを見て、色々な人に会った。貪るように様々な本を読み、言葉が紡いできた人類の営みと、生まれて初めて向き合った。防護船の訓練引率を引き受けて、教え子達と行動を共にして、そして……


「ええ顔しとるの。」

「え?」


物思いにふけってしまっていたところを、唐突に声をかけられる。ヴァースが不意を突かれて顔を上げると、フラーと目があった。


「ええ顔じゃ。一皮剥けたかの。」


言いながら、フラーは目を細めて白いひげを撫でていた。ヴァースはふ、と自嘲気味な笑みを返してまた視線を落とす。しかし、フラーはもう一言続けた。


「じゃが軍人の顔じゃあない。」


ヴァースはそれを聞いて、今度はゆっくりと視線を戻した。フラーと目が合う。先ほどと変わらぬ穏やかな表情の奥に、冷徹な光が揺らめいていた。ヴァースはほとんど睨むような真顔でそれを見据えて、何も言わなかった。フラーが大きく息を吐いてから言う。


「親父さんに顔は出したのかい。」

「いえ、まずは艦長にと。」


少しの間、二人が何も言わない間があった。



コンコン、と開いているドアを叩く音が室内からした。フラーとヴァースが視線を向けると、四角いトレーを持った燕尾服の男がドアの手前の部屋の中で一礼をした。


「おお、すまんな。ここに頼む。」


フラーが言うと、男はテーブルまで湯気の立つ琥珀色の液体の入ったカップ二つと、焼き菓子の入った丸い皿を運んだ。ヴァースを見ると一瞬驚いたような表情を見せたが、目を伏せて軽く一礼しただけで何も言わなかった。テーブルまで来ると黙って跪き、カップと皿を置いて立ち上がり、また一礼してからドアの方に戻っていく。ドアに辿り着くとヴァース達の方に向き直った。ヴァースはそちらの方を向いて軽く手を上げたが、男はやはり何も言わずに、しかし今度は少し長めの一礼をして、部屋の中に入って行った。開かれたままだったドアが閉められる。


フラーは黙ったまま、カップを取って茶を啜った。ヴァースはそれを見つめて動かない。暫くしてフラーが口を開く。


「四年だったかの。」

「ええ、四年前です。」



それから、フラーは菓子を一つ食べて茶を飲み終わるまで何も言わなかった。ヴァースが同じように自分の分の菓子と茶を片付けるまで待つと、頼りなさげに椅子から降りながら言った。


「良かろう。お前さんがいた頃とは、少しは様子も変わっているじゃろうて。」


フラーは杖をつきながら、執務室とは反対の、人工太陽の照らす庭の中心へ向かって歩きだす。ヴァースは通常の半分より狭い歩幅で、それについて行った。

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