Scene 25. 決意と、本心。

ヴァースは帰り道、自動運転の車の中で長い足を投げ出して、後部座席を一人で占領していた。


横になり、行儀悪く片方のドアに足を組んで引っ掛けている。使っていたブランケットはくしゃくしゃのまま腹の上だ。ミィヤが家の中に消えたのを見送って、車を自宅までの帰途に着かせてから既に十分ほど経っていた。大きなため息をつく。



一体俺は何をやっているんだか。明日には帰艦だって言うのに。


明日には着任に備えて、ヴァースは新任の初等空士より一足先にマザー・グリーンへ登る予定だった。どんな仕事が振られるのか分かったものでは無いが、恐らくは艦内の厄介ごとを引き受けることになるのだろうと、ヴァースは予想する。


幸い、長期の訓練引率が終わった直後なので荷ほどきは殆どしていない上、自宅には相変わらずティーチが居るので、家を空ける用意は必要ない。明日の出発に備える準備にはさほどかからない筈だ。母艦での着任となれば長い不在になるので家を売ってしまおうかとも考えたが、ティーチがいるならそのままにして、たまにジェットに乗りに降りてくるのも悪くないと、ヴァースは家を保持する方向で決めていた。



マザー・グリーン空中船艇軍における「准将」と言う職位名は、通常は存在しないものだった。在籍していた頃にも、それ以前の記録でも、ヴァースは聞いたことすらなかった。


きっと、俺を呼び戻すためにわざわざ作った職位だ。元艦長が復任なんて、士官達は相当扱いに困るに違いないな。


と、ヴァースは明日からの同僚・部下達の苦労を思って苦笑する。


それでもヴァースが戻ってくる事で、相当な利益を被るか、最低でもそれを期待しているもの達が大勢いるのは確かだった。


親父の派閥が俺の復任を喜ぶのは間違いないな。俺があいつらの思うように動くかどうかは別の話だが……


「狐の化かし合いが始まるな……」


ヴァースは明日からの自分の着任先を取り巻く覇権争いを憂いて、独り言ちた。恐らくはヴァースの身の振り方を伺うために、暫くは腹の探り合いが続く。ご機嫌を伺いつつ裏で何かを企む輩達とのやり取りを考えると気が滅入るようだったが、ヴァースは、戻るからには正面からそれらと向かい合うつもりだった。そして、ヴァースの復任自体を快く思わないものが大勢いるだろう事も、承知の上だ。


せいぜい媚を売るなり足掻くなりするがいいさ。


今度こそ俺は、俺のやり方で軍を動かす。



それにしても……


「あー……」


呻きながら片方の手の甲を額に乗せて、さっきからずっと頭の中で繰り返されている言葉を呟く。




「くっそ可愛かった……」




なんなんだ。


一体なんなんだあいつは。



ヴァースはミィヤの事を思い出して、忙しない思考に苛まれていた。


私服とか、化粧とか。なんだって女はあんなに変わるんだ。いやあいつが普段化粧っ気が無かったからか。いやそれよりも誘っといてなんなんだあの恥じらいは。成人してるよな?しかしウブすぎるだろう。俺にどうしろって言うんだ。しかし触ってわかったがあいつ華奢過ぎないか?あれで本当に防護班なんて務まるのか?直ぐに壊れてしまいやしないのか??



ヴァースは不意にミィヤに意地悪と言われたことを思い出して、息が詰まってしまう。組んでいた足を解いて、片足を更に高く投げ出す。もはや車外からはヴァースの片足が下から突き出ているところしか見えない状態だろう。


あーくそ。


はしゃいだり、笑顔とか、寝落ちるとか、急に泣き出すとか。どうしてああもコロコロ変われるんだあいつは?あいつは俺にどうして欲しいんだ?落ち着かないったらありゃしない。お陰で余計なことばかり口走ってしまった気がする。



ヴァースは自分の言った言葉を思い起こす。


(嫌われたんじゃないのか、俺は。)

(お前を適当に扱っているつもりは無いからな。)

(頼むから泣き止んでくれ。)

(今度は俺から誘う。)

(キスは何回目の)




「ああああ……」


思い出すのも恥ずかしくて、それ以上思い起こしたくなくて、思考を遮るようにヴァースはまた呻いた。もう片方の手でも顔を覆ったが、心なしかかなり熱い気がする。


誰だ?誰があんなこと言ったんだ?本当に俺か???言ったのは本当にこの口か???



信じられない。



「思春期か俺はっ……」


自分の振る舞いと実際の自分の年齢を思い、居たたまれなくなってヴァースは自分を罵るように呟いた。


母艦での社交の場で関わった女達とは勝手が違う。ティーチとつるんでいる時に関わった女達との付き合いとも随分違う。


どうして俺はこんなに振り回されているんだ?自分は今まであんなに取り乱したりしたことなどあったか?俺はあんな振る舞いをする人間だったのか?



こんな余裕の無い様子を、もし従軍時代の自分を知る者が知ったらなんと思うか。考えてヴァースは少し青くなる。


考えたくもない。


おまけに今まで誰にも話したことのなかった、退軍した後の自分の話までしてしまった。いくら彼女を繋ぎとめたいからって、あそこまで自分の醜態を赤裸々に語ってしまうなんて。


しかも、母艦に憧れてやってきた、着任間近のあの子に、わざわざその着任先に対する不信感を煽るようなことを話してまで!




あの子と居たら、自分はコントロールが効かなくなってしまうのではないか。全て晒してしまうんじゃないか。何も隠せないんじゃないか。


そう考えて、ヴァースは少し怖くなる。しかし、今更距離を置こうとしても手遅れだと言うこともわかってはいた。



連絡船での引率開始時に始めて見た時から惹かれていた。明らか向こうもにこちらに気があり、慌てる様子が可愛らしくて嬉しくて、ついからかってしまっていた。


この辺の振る舞いはティーチとつるんでいたせいで身についたものだったが、この事に関しては感謝したいくらいだ。以前だったらどうして良いのかわからず何もせずに終わっていただろう。


周りに特定の好意を悟られないように、平等に愛想を振りまいてしまってはいたが。



最後になるのがどうしても名残惜しくてつい話しかけて、向こうからデートしてくださいと言われて嬉しくて信じられなくて。色々落ち着かなくて気を引き締めるために髪まで切って。


この辺をうっかり言ってしまわなくて本当に良かった、と、ヴァースは心底思った。本当にバレなくて良かった。別れ際に、思わず口付けしてしまいそうになったのも、3回目にと言われた直後なのにしてしまわなくて本っっ当に良かった。



ああ、


でも、


彼女は俺の情けない話を聞いて言ってくれたんだった。


『大切にします。』


ミィヤが最後に言った言葉を思い出して何かが込み上げてきて、ヴァースはまた息が詰まってしまう。さっきより熱くなっている気がする。呼吸を整える努力をしながら、ヴァースはふと顔の上に置いていた自分の手を見て、触れた頬の滑らかさを思い出して思う。



全く、それは俺が言うはずだろうが、馬鹿やろう。



軍に戻る前にせめて少し時間を過ごせたらと思っていた。それが気がついたら適当に扱うつもりはないなんて言って、次の約束まで取り付けて。いやまぁ、もうちょっとイチャイチャしたかったけど。家でゆっくりできたらとか思ってたけど。


ヴァースはそこで、自分が腹の上にあったブランケットを引き寄せて無意識に匂いを嗅いでいる事に気がついて固まった。



これは自分は相当参っているな、と認めて、そろそろヴァースは観念することにする。


全く、お互い母艦着任とは言え、言ってみれば真逆の職位にある中どうやって会うって言うんだ?自分で言っておいてまるで想像がつかない。



それでも、何とかして会わなければ。


彼女は、待っていると言ってくれたのだから。



出発の準備は明日で良いやと諦めて、ヴァースは愛しさと自分の感情への困惑と、そして次回への期待にただ身を任せて、車が自宅に着くのを待つことにする。


しかし、ミィヤとの会話を回想して、ある事を思い出した。



そうだ、確認したいことがあった。


ヴァースは指をパチンと鳴らして、Personal (個人用)AIに繋がる車上システムを起動した。


「連携、PAIフォックス。」


ぱ、と車内にキツネのお面と尻尾をつけた、小さな人間のホログラム映像が現れる。燕尾服を着て執事のような格好をしているこのアバターは、広く使われているAIプログラムの規定デザインだった。大人と子供の声が、何重にもかぶったような音声で喋り出す。


『御用でしたら、何なりと。』

「検索だ。過去五年に絞ってくれ。キーワードは……」


ヴァースは、少し間を置いてから、もう何年も口にしたことのなかった名前を言った。ゆっくりと、記憶を辿るかのように。


「セレナ・マリィ・アクレス・サーガ。」


それは、今は亡き、ヴァースの妻だった女性の名前だった。

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