Scene 24. 大切と、数えない。

「ふ、はは、遠いな。」


キスまでの道のりの指定を受けて、ヴァースは笑った。その声に、先ほどのような緊張と苛立ちはもう無かった。


「すみません……。」


と、ミィヤはまた苦しそうに答える。


(貴方がしたいなら直ぐにでも良いって言いたいけど、でもごめんなさい今これ以上はほんと無理心臓苦しい。)


と、心の中で謝りながら。



「よし、分かった。」


満足したようにヴァースは言って、一歩ミィヤに近づいた。顔を上げたミィヤと目を合わせる。別れの挨拶を切り出そうとした時、ミィヤが割って入った。


「あの、先輩、」

「うん?」

「今日は本当に、有難うございました。」

「ああ。」

「本当に、素敵でした。湖も、ジェットに乗れたのも……その、色々、言いにくいことも、聞かせてもらって。」


ヴァースはまた自嘲気味に笑って、決まり悪そうに鼻の頭をかいた。


全く、今日は本当にみっともないところを知られてばかりだ。でも、彼女がそれを気にしていないようなのは本当に良かった。



ミィヤは続ける。


「嬉しかったです……。」


ヴァースはその言葉を聞いて、胸が苦しくなるのを感じる。


嬉しい?俺のみっともないところを知って?どうしてだ?それに何で、俺はそれがこんなに嬉しいんだ?


ミィヤは言いながら照れてしまって、視線を外す。


ああ、でも、まだ足りない。まだ言葉が足らない。何か、有難う以外の言葉は無いだろうか。何か、今日が自分にとってどんなに素晴らしい時間だったかを伝える言葉は。


思いつかなくて、ミィヤは、感じている事をそのまま口にした。



「大切にします……。」



言ってしまって、どうにも言葉が意味のわからないもののような気がして、「今日の思い出を」と付け加えようとしたその時、



ヴァースの大きく力強い手がミィヤの頭と耳の片側を包み、


反対側の頬に、ヴァースの唇が一瞬触れた。


「じゃあな。」


と、頰を合わせて耳元で囁かれる。



手を離してミィヤから離れて、車に向き直りそのドアを開けながら、ヴァースは言う。


「言っとくが、今のはキスのうちに入らないからな。」


ヴァースは車に乗り込み、車の窓を下ろした。腕を窓枠に乗せて、ミィヤの顔を見上げる。ミィヤは目を見開いてヴァースが口付けた頬を自分の手で押さえていたが、ヴァースと再度目があって、慌てて一礼すると、家のドアに向かって小走りで向かっていった。


家のドアを開ける前に、ミィヤはもう一度だけ車の方を見た。それに気づいて、窓から顔を出したヴァースは片手を挙げる。ミィヤは、遠慮がちに手を振ってそれに応えた。


◆◆◆


家の中に入ると、ミィヤは全速力で自室に向かった。リビングに従兄弟のケントがいて、「おかえりー」と声をかけられたが、足を止めずに「ただいま!!」とだけ返した。


けたたましく階段を駆け上がり、自室に入り、ドアを閉める。そして、ふらふらとベッドに近寄ると、そのままボサリと布団に倒れこんだ。


うわぁ……。


身体中がじんわり熱い。

フワフワする。


(わたし、本当に夢見てるんじゃ無いの。)


目の前にあった自分の袖を見て、ミィヤはヴァースのジャケットを着ていたままだった事に初めて気がついた。ヴァースが寒いのではと一瞬心配になったが、大丈夫だ。帰りは車だから。でもどうしよう。返さないと。次に会った時に必ず……


そう、次。



また会える。



袖口に口付けるように両腕を引き寄せて、ミィヤはベッドの上で丸くなった。


『今度は俺から誘う。』

『また会ってくれるか。』


ヴァースの言葉を思い出して、嬉しさで苦しくなって、ミィヤはまた呟いた。


「はい……」


わたしはそう答えた。


また会える。


どうしよう、わたし、嬉しくて死んじゃうかも。



唇が触れた頰をおさえながら、ミィヤは今日1日の出来事を、まだ信じられない気持ちで思い出す。


ジェットに乗せてもらって、そうだ、鹿を追いかけて……凄い迫力だった。あんな近くで。湖に着いて、あんまりにも気持ち良くて寝てしまって……勿体無かったけど、先輩も寝ていて。マザー・グリーンが登ってきたのを見て、先輩のうちに行って、ティーチさんに会って……


そこまで思い出して、ミィヤはふとティーチの言葉を思い出した。



『『人が来るかもしれないから明日は空けてくれ』ってぇー?』



あれ?


でも、先輩のうちに行ったのは寒かったからで……



んん?


もしかして……


あれ、もしかしてティーチさんが居なかったら……


ええ?


えええっ?



『人が来るかもしれないから』


「来るかもしれないって……」


ええ?もしかして……そう言う事?



起こっていたかもしれない事象を想像して、ミィヤはますます赤くなって、熱くなった。


でもそれは、今は全然嫌な事ではなくて。


ミィヤは、嫌悪ではないザワザワとした感覚を身体中で感じていた。落ち着かなくて、腕と膝を、更にぎゅうと身体に引きつける。



うわぁ、どうしよう。


わたし、本当に嬉しくて死んじゃうかも。



と思いながら、ミィヤはやっと、ここ数日ぶりに、不安に邪魔されない深い深い眠りに落ちていったのだった。今日の幸せと、また会える安堵を噛み締めながら。

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