Scene 21. あるべき姿と、皮肉。

「昔話?」


しゃくりあげていたのは収まったものの、まだ鼻はすすりながらミィヤは聞き返した。


「ああ、だけどその前に……」


ヴァースは、いつのまにかずり落ちてしまったブランケットを包むようにミィヤの肩にかけ直すと、自分の肘を膝に乗せて屈むように座り、ミィヤの顔を覗き込んで、その目をじっと見つめた。そして片手を伸ばし、顔にかかっていた髪を梳いて耳にかけ、まだ濡れていたその頰を親指で拭ってやる。


ミィヤは優しい手の温もりとくすぐったさにうっとりしながらも、何か思いつめたようなヴァースの視線に困惑していた。ヴァースは、何か言いにくい事を言おうとしているように思えた。何かミィヤが傷付く事を言わなければならず、そしてその事に、ヴァース自身が傷付いているかのように見えた。



ヴァースは、涙を拭った手をそのままミィヤの肩に置いて、そっと語りかけるように言った。


「俺が、最後の朝礼で言ったことは覚えているか?」


ミィヤは、憧れのヴァース隊長がアクレス前艦長であった事を知った時のことを思い出した。寝不足でフラフラだったのに、それも吹っ飛んでしまうような衝撃を開けた時のこと。たった数日前のことのはずだが、随分距離が近づいたように感じる今、それは遠い昔のようにすら思える。


あの時ヴァースは、何かを私達に託そうとしてくれた。それは確かで、ミィヤはヴァースな言った言葉を、一つ一つ思い出そうと努力をした。


「もう軍に戻るつもりは無かったと……。」

「そうだ。」


よく覚えているな、とでも言うように、ヴァースは微笑んで言った。ミィヤは一瞬、急に起こった砲撃実践の後にヴァースに褒められ、うっかりデートに誘ってしまった時のことをして思い出して、恥ずかしさも同時に思い出してしまう。慌てて思考を元に戻し、他にヴァースが何を言ったか考えた。


「それに、船に乗って考えが変わったと……私達の力を信じていると、言ってくれました。」

「そうだ。そして、俺はこうも言ったな?『お前達の見るマザー・グリーンが、その有るべき姿だ』と。」


その言葉を聞いて、ミィヤはその言葉の意図を測りかねていた事を思い出した。改めて本人の口からそれを聞くことができたことに、感謝すらした。


「はい、聞きました。」

「あの時の言葉に、偽りは無い。それは信じてくれるか?」

「はい。」


勿論です、と言うかのように、ミィヤは即答した。ヴァースはまた微笑んだ。そして一度視線を外し、ミィヤの肩に置いていた手を下ろすと、それをもう一方の手と組んで、少し俯いた。まだ何か、考えているようだった。



「皮肉だな……」

「え?」

「いや……」


少しの間があった。ヴァースは自分を見つめていたミィヤの目を、穏やかな視線で見返した。また少しの間。ヴァースは手を伸ばして、さっき涙を拭ったミィヤの頰を指の背でそっと撫でた。


「マザー・グリーンに憧れてやってきたお前と、船を降りた俺と……」


ミィヤはその言葉をどう受け止めて良いか分からなかった。どうしてだか、切なくなる。



私たちが出会ったのが皮肉だと?だから私たちは相容れないと?一緒に居るべきでは無いと?そう言いたいの?それとも……


少しして、どこか辛そうな表情でヴァースは語り始めた。




「俺の父親は、ナジル・レイスゴール・アクレス・ジュディス。俺の2代前の、マザー・グリーン艦長だ。」


ミィヤは、先日ヴァースの過去の記録を探していた時に、始めてまともに歴代の艦長名簿を見ていた。そこには確かに、数代前にヴァースと同じラストネームの艦長の名前があった事を思い出す。


「お前、俺の出身が何処か知っていたか?」

「いえ……」


知らなかった事を恥じながらミィヤが首を振ると、ヴァースはぴ、と人差し指を立ててみせた。


「上だ。」

「あ……」


ミィヤはそうか、と思いつく。空の上のあの場所、マザー・グリーンだ。




母艦マザー・グリーンは、巨大な城であり都市だった。そしてその中には、住民の生活を支える施設も多数存在する。生活の場を、家族と共にマザー・グリーンに移すものも大勢いるのだ。そして、世代を超えてそこに住み続けるものも。


「俺は、生まれた時からマザー・グリーンの艦長になる為に育てられた。マザー・グリーンの中にある初等学校に入る前ですら、特別な訓練を受けていたよ。多分、1人で歩けるようになる前ですら、おもちゃ代わりに銃と軍帽を与えられていたはずだ。」


幼い子供が銃を持って遊んでいる物騒な姿を想像して、ミィヤは少し眉を顰めてしまう。ヴァースはそんなミィヤを見て少し笑いながら言った。


「もちろん、弾は抜いて、だぞ?」


そして、視線を外して車外の景色を眺めながら続ける。



「両親と、周りにいたもの達は皆、お前は大きくなったら艦長になるのだと俺に言い聞かせていた。俺の日常の時間全ては、その為に費やされていた。そして俺はそのことにこれっぽっちも疑いを持たずに生きてきたんだ。」


ヴァースは一度言葉を切った。まるでその当時の記憶を辿るかのように。


「俺は艦長を辞めるまで、訓練と外交以外で地上に降りたことがなかったんだ。信じられないだろう?」


ヴァースはミィヤと視線も合わせずに、まるで独り言のように言う。ミィヤはその横顔をじっと見つめて聞いていた。


「俺が受けたのは、最短で艦長になる為の教育と訓練だ。それが俺の生きる目的だと、擦りこまれて生きてきた。その目的のためなら、俺は何も顧み無いようにと。だから……」


ミィヤは、ヴァースの言葉を聞きながら、胸が詰まるような感覚を覚えていた。



何かが、身体の中に染み込んでくる。


少しづつ、苦しくなる。



「俺は仲間の命すら顧みなかった。部下も、友人も……」



ミィヤは思う。これは、痛みだろうか。



この人の感じている、痛みだろうか。





ヴァースは続けた。




「そして、妻でさえも。」

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