Scene 16. 昼寝と、空挺。
また鳥の声がした。
光が眩しい。
ミィヤは、溶けてしまった意識がまた少しずつ形を成していく感覚を感じながら思った。
背中が暖かい。風が少し冷たい。
何処だっけここ。
私の寝室じゃない。
訓練が終わって、実家に帰って……
そしてミィヤは気づいて飛び起きた。
自分は今、完全に眠りに落ちていた。
「う……」
隣から聞こえた呻き声に目をやる。見下ろすと、片腕を枕にして横になったヴァースがいた。両目を閉じたまま、また少し呻く。ミィヤが呆気にとられて見ていると、少しして、重そうな瞼を開いた。焦点の合っていないとろんとした目を、何度も瞬く。
ヴァースは今度はぎゅうと目をつぶって、大きく息を吸って背側に転がると、大声で呻きながら伸びをした。ついでにあくびを一つ。
「ふぁ……寝てたか。俺も。」
も。と、言うことは、ミィヤが先に寝落ちたのは間違いない。ミィヤは反射的に謝るところだったが、デート中に眠ってしまった自分への驚愕が先立って言葉が出なかった。まさか、初めてのデートで寝落ちるなんて!?
そしてそれが自分だけではなかった安堵と、無防備なヴァースを見て落ち着かない心臓とで、起きたばかりのミィヤの頭の中は、急に忙しくなる。
まだぼーっとしているらしいヴァースは、しばらく何も言わなかった。少しして、呆然としていたミィヤに視線を送って、やれやれ、とでも言うように笑いながら、ヴァースは言った。
「寝不足みたいだな、俺たち。」
寝起きの声が少しくぐもっていた。
そう、確かにミィヤは寝不足だった。ここ数日、おそらく一週間以上、まともに眠れていない。訓練の最終日ほどではないにしろ、今でも睡眠時間が足りていないのは確かだった。ミィヤは最近体験した感情のジェットコースターの経路を思い出す。
試験でやらかして、何とか凌いで、ヴァースをうっかりデートに誘って、信じられないことに許諾を貰って、関係の進展の可能性に戸惑い、その人がとんでもない人だったと気づいて、約束が確定して、その人が過去に結婚していたことを知って……
あ、と、ミィヤはそこでヴァースに聞きたいことがあったことを思い出す。
そうだ、そうだった。
しかし、何と聞いたらいいのか分からなかった。まさか、
先輩ってもしかして今も奥さんいるんですか。
と、ストレートに聞くつもりは無かった。
と、いうか出来るわけがない。
寝不足とは言っても、ヴァースをうっかりデートに誘ってしまったときほどは、ミィヤの自我は疲れ果ててはいないようだった。まああの時そんな状態だったお陰で、今の2人でいられる状態があるのだけど。
ヴァースが過去に結婚していたのは確かなこと。
その事を、ヴァースの隣で改めて思い出して、ミィヤは今度はモヤモヤとした感情を感じ始めた。データベースの検索結果で見た、当時のヴァースと相手の女性の写真を思い出す。綺麗な人だった。正装軍服に軍帽を被ったヴァースの隣で、誰かが面白い事でも言っていたのか、真珠のような揃った歯を見せて笑っていた。
あの人とも、ここに来たんだろうか。こんな風に2人で、寝落ちたりしていたのだろうか。
「ああ。」
ヴァースが何かに気付いたように、声を上げた、半身を起こして、ミィヤに身体を寄せた。急に近づいた距離に身体を硬くするミィヤをよそに、正面の山脈の方を見て、指を指して言った。
「ほら、見えてきたぞ。」
ミィヤはヴァースの指差した方向に目を向けた。少し傾いた太陽のせいで景色は僅かに変わって見えたが、相変わらず壮大で美しい大自然が広がっている。青く深い湖の向こうに、嶮しい岩肌と、緑の山並み、そして……
「あ……」
ミィヤは小さく声を上げた。
地上と空の境界線、白い稜線の上の、抜けるような空の青に、白く霞んでなにかが浮かんでいる。
それは、ミィヤが幼い頃から幾度となく畏敬の念を持って見上げた天空の城、空中母艦マザー・グリーンだった。
「ここから見るのが一番綺麗だ。」
目をまん丸くしたまま自分を見つめたミィヤに、ヴァースは起こした半身の後ろの芝に手をついて、肩をすくめて言った。
「俺の意見では、だが。」
ミィヤはまた、大自然の中にそびえるように浮かぶマザー・グリーンに視線を戻して、何も言わずにその光景を食い入るように見つめた。
「綺麗です。」
ミィヤは囁くように言う。
「すごく綺麗です。私が見た中でも一番。」
「今日は時間も丁度良かったな。」
マザー・グリーンは巨大だった。地上の遥か上空を旋回しているにも関わらず、その姿は日中でも地上からはっきりと捉えることができた。一日に地球を二週するこの巨大な空中母艦は、月のように毎日違う時間に上空に現れるのだ。
壮大な自然の中に浮かび上がる母艦は、ミィヤの目により一層荘厳に映った。
「本当、運が良かったです。」
数日後には、とうとうあの船の一員になる。ミィヤはこれから経験するであろう、地上を守るための厳しい訓練と任務に思いを馳せた。そして、それを待ちわび続けた今日までの日々を思い出した。
ふと、始まりの時を思い出して、ミィヤはまるで独り言のように喋り出した。
「昔、わたしに見せてくれた人がいたんです。真夜中に外に出て、緑色に光るマザー・グリーンを。その時に、わたし、あの船に乗るって決めたんです。」
まだ自我も生まれたてであっただろうほど幼い自分が、闇の中に緑に浮かび上がる巨体を見た夜を、ミィヤは思い浮かべた。
「え?」
「え?」
ヴァースが疑問の意を込めて不意に発した声に、何か自分は変な事を言ったのだろうかと、おうむ返しに声を上げてしまったミィヤだったが、
「っくしゅん!」
と、急に出たくしゃみに会話は阻まれた。
「冷えてきたな。」
いつのまにか、寒さに膝を折って身体を縮めていたミィヤに言って、ヴァースは自分のジャケットを脱いだ。
「これを着てろ。」
言いながら、ヴァースはそれをミィヤの肩にかける。
「え、いや、大丈夫です!」
「いいんだ、風も冷たくなってる。これからもっと冷えるぞ。」
言いながら、ヴァースは立ち上がって、足の裏側のジーンズを叩いた。
「ここは高度が高いから余計だ。言っておけば良かったな。日が沈む前に行こう。」
そう言って、ヴァースはジェットの方に向かって行った。ミィヤも立ち上がって、あちこちについてしまった枯れ草の切れ端を払う。ヴァースを追って、ジェットに向かった。そして、もう一度素晴らしい光景を脳裏に焼き付ける為に、湖の方を振り向く。
本当に綺麗だ。本当に。
そう心の中で繰り返して、
ミィヤは思いついた。
振り向いて、既にジェットに跨って、ヘルメットをつけようとしているヴァースに聞いた。
「もしかして、わたしにこれを見せる為に?」
わたしに、一番綺麗なマザー・グリーンを見せる為に、ここに連れてきてくれたんですか?マザー・グリーンが大好きなわたしに。
言ってしまってから、一瞬自分は自意識過剰なのかとミィヤは焦った。本人だって、ここが気に入っているに違いないのに。
しかしヴァースはヘルメットを持った手を止めると、両ひじをハンドルに乗せてヘルメットを弄び、少しの間気まずいような様子を見せた。
それから観念したようにミィヤと視線を合わせると、目を細めて、穏やかに微笑んだ。一瞬、両眉を上げて、どう思う?とでも言うように。
ミィヤはヴァースに抱きついてしまいたかった。
頰にキスをして、子供のように感謝の気持ちを伝えたかった。
それでもそうする勇気はまだ無くて、急いでジェットの後ろに回ると、ヴァースが貸してくれた大きなジャケットに袖を通し、ヘルメットを被る。ジェットの座席に跨ると、今度は遠慮なく手をヴァースの腹に回し、ヘルメット越しの頰をヴァースの背中にぎゅうと押し付けたのだった。
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