第190話・そしてわたしの旅路の果てに その9

 「アプっ、アプロ…っ、その、もうちょっと……手加減してぇ……」


 時と場所を選んでもーちょいだらしない声で言ったなら、だいぶ艶っぽい台詞のような気はしますが、現実はといいますと。


 「うるさいアコ黙ってねーと舌噛むぞ!!」


 この通り、全速でカッ飛んで行くアプロに必死にしがみついている、という有様なのです。

 コトがコトですのでアプロに減速してと懇願するわけにもいかず、わたしは振り落とされないよう体勢を整えるついでに右後方を確認すると、ベルも滅多に見ることのない必死の形相でついてきていました。




 アプロは当初、ガルベルグの表したドラゴンが王都周辺で暴れ回っている、という話を聞いてすぐに飛び出そうとしたのですが、グレンスさんの届けてくれた情報には詳しい場所まで含まれていなかったため、続報をジリジリしながら待ち、その夜中に届けられた話に戦慄したのでした。

 曰く、ヴルス・カルマイネが襲われている、と。


 「ヴルス・カルマイネ…聞き覚えがあるような…って、アプロどこ行くんです?!」

 「アコ急げ!すぐに出るぞ!!」


 その話を聞いたアプロは、顔色を変える間も惜しい、という焦り様でした。


 「待ってアプロ、確かに拙い話でしょうけどまだ夜中なんですから、朝になって皆に相談してから…」

 「兄上の所領なんだよヴルス・カルマイネはっ!私が行って守らないと駄目なんだ!!」

 「あ…」


 迂闊でした。ヴルルスカ殿下は王都近くに所領をお持ちで、ですがお立場上所領の危機だからといって駆けつけるわけにいきません。むしろ駆けつけられたら拙いです。相手がヤバすぎます。


 「だから私が行くしかない。アコ、マリスんとこに伝言走らせてくれ!朝になってからでいいから追いつけって!おいこらベル起きろ!今から決着つけに行くぞ!!」

 「う、うう……アコのおっぱいちっちゃい…」


 なんか聞き捨てならないことを言われてますが、それどころじゃないのでわたしは続報を知らせに来てくれた衛兵さんに、伝言を頼みに居間に行きます。


 「…そういうことですので、マイネルとゴゥリンさんにも伝えてください!わたしたち…えと、『三人で』先に行ってるって伝えてもらえば分かりますから!」

 「承りました!では」


 ベルのことを伝言に含めるわけにはいきませんが、三人で、と言っておけばマリスたちには伝わるでしょう。

 何かあってもすぐに身動きとれるよう、簡単に身支度を調えて休んでいたのが幸いでした。二人のところへ戻るととっくにアプロは鎧を着込み、ベルもローブを被って準備万端。


 「アコ、早く着替えて」

 「手伝ってあげる。はぁはぁ」

 「こんなときに馬っ気出してんじゃねーよおめーはっ!!」

 「ぎにゃっ?!」


 …こんなときにもいつも通りで頼もしいことです。

 漫才してる二人をほっといて、手早く旅支度を済ませると、まだ夜明けまでには間のある空に、わたしを抱えたアプロと、自分でアプロについていけるベルは飛び立ちました。

 夜中のことでしたので、見送りもなく、でした。




 そして白々と空が明るむころ、わたしたちはヴルス・カルマイネに到着しました。


 「間に合いました…かね?」

 「みてーだな。夜だとやっぱり活動が収まるのかもしんねー。ベル!降りるからついてこい!」


 やれやれ、という顔のベルが振り返ったアプロの声に応えてました。

 ゆっくりと降下してゆく先、初めて見るヴルス・カルマイネは、ヴルルスカ殿下の気性を反映してるかのように、堅固そうな城壁に囲まれた街です。

 周囲には畑が広がっていて、ですが王都と反対側の畑は広くドラゴンに蹂躙でもされたのか、かなり悲惨な状況でした。


 「…戦死者はそれほどでもねーかもな、この状況だと」


 アプロがどこかホッとしたように呟きます。

 確かに放置されたままの戦死した遺体は見当たりませんが、即死するようなケガでもない限り、聖精石の力で治癒させてしまうこの世界ですから、生きてるか生きてないかはその場で判断せずに倒れたひとはとにかく収容するでしょうし…よく分かりません。


 「アプロニア・メイルン・グァバンティンだ!援軍に来た!」

 「…おおっ!!」


 こちらの姿を認めた街の衛兵さんが何人か歓声をあげてます。

 聖精石の剣の勇者とあらばきっと心強く思うのでしょう。


 「姫殿下御自らご参じくださるとは…我が主に代わって礼を申します!」

 「いや、兄上には黙ってきた。後で叱られるかもしれねーから、口添え頼むな?」

 「ははは、お任せあれ!…と、申し遅れました。ヴルス・カルマイネ駐留隊の副長を務めるマインバスと申します。そしてそちらは…?」


 ヴルルスカ殿下がいかにも好んで部下にしそうな、鬼軍曹という感じのおじさんが出迎えてくれ、アプロはわたしをおじさんに紹介します。


 「聞き及んでいるだろう?針の英雄、アコ・カナギだ。そっちは…まあ、細かく聞かないで欲しいが、強い味方だ。ベルと呼んでいい」

 「…承知。ではお三方、中にご案内します」


 ベルの正体に心当たりありそーな顔を一瞬しましたが、なるほど実務に長けた方というのは信頼した相手を疑うことはしないようです。なんだかブラッガさんを思い出しますね、このひと。


 「状況は?」

 「昨日の払暁の頃です。かの暴虐なる蜥蜴が近くで目撃されまして…」


 アプロと衛兵のおじさんは並んで先に立ち情報の確認をしてますが、わたしとベルはなるべく目立たないように後をついていきます。


 「ベル、体は大丈夫ですか?」

 「問題ない。平気」

 「ならいいです。でも無理はしないでくださいね」


 ガルベルグの竜がベルを引き裂くようにして現れたんです。昨日までは結構ぐったりしていましたが、今日は割と顔色もよくて、わたしはほっと安堵したのですけれど。


 「…無理は今日しないといけないから。アコも」

 「……そうですね」


 事態は全然好転してないのですから、覚悟は決めないといけないんですよね。


 「アコ、ベル。少し体を休めといて。ヤツが現れた時はこっちから打って出るから」

 「…りょーかいです」

 「わかった」


 一通り確認の終わったらしいアプロがこちらを見て、到着したお屋敷の中に入っていきました。


 「休憩できる場所にご案内します。こちらへ」


 代わりに、若い…えーともしかしたらわたしより年下っぽい男の子、っていうのはちょっと失礼かもですけど、なんだか慣れない感じの衛兵さんが、わたしとベルを屋敷の一室に案内してくれました。

 落ち着いて見てみれば天井も高く、一部屋というか廊下の幅なども広くとられており、お屋敷というよりは…美術館?なんか装飾華美で、ヴルルスカ殿下のイメージとはちょっと違うよーな気もしますけど。


 「あのー、この建物って何に使われてるんです?」


 わたしは先に立って歩く若い衛兵さんの背中にこう声をかけました。いえ、混じりっけなく好奇心からのみの問いなんですけどね。


 「それは普段のことでしょうか?それとも今のことでしょうか?」

 「え。いえそこまでマジな話題でもないんですが。って、今は普段と違うんですか?」


 でも衛兵さん、立ち止まって振り返り、すこーしばかり疑念込みの視線でわたしとベルを見て言いました。

 まーわたしだけならともかく、ベルが不審がられるのも仕方のないとこでして。さっきの副長さんにしてもベルの正体には勘付いてたみたいですし。


 「ただ今は戦時につき、駐留軍が接収しております。普段は迎賓館として利用されていると聞きましたが」

 「あ、やっぱりそういうものなんですね。なるほど。あれ?じゃああなたは衛兵ではなくて?」

 「駐留軍の者です。行きますよ」


 納得したわたしを見て、衛兵さん…でなくて、この場合兵隊さん、ってことになるんですか?は頷いて、わたしとベルの先導を再開します。


 「…アコ、衛兵とは違うの?」

 「あー、衛兵ってのはですね、基本的に街の治安維持や防衛を担っているひとたちのことで、犯罪者の逮捕とか街周辺の魔獣退治とかが主な仕事なんです」


 そして駐留軍、っていうのは、国の兵隊さんたちが、事情があって街に留まっている状態のことを言うんです。

 目的があってそこにいるので、その目的外の仕事は基本しません。今回はヴルス・カルマイネの防衛、ってことなんでしょうかね。迎賓館を拠点にしてるってことですし。


 「大変ご足労をおかけしました。こちらでお休み下さい。アプロニア様も後ほどご案内致しますので」

 「どもです。あ、何か飲み物とかお腹にたまるものあったら用意してもらえません?」


 夜中からここまでかっ飛ばしてくる間、何も口に出来なかったんですから、この要求は当然だと思うんですが。


 「…申し訳ありません。まだ未明のことですので、手の込んだものは用意いたしかねます」


 戻ってきた答えは、にべもない、と言って差し支えないものだったりします。

 申し訳ない、とか言いつつ別に申し訳ないとは思ってませんよね、あなた。


 「……そんな言い方は…」

 「ベル、いいんです」

 「でも」


 食ってかかろうとしたベルを制して、あんまりな反応をした相手にこう言います。


 「あのー、別に心のこもった接待しろー、なんてこと言いませんて。ただ、夜中に叩き起こされてすぐこっち来たので、もーお腹ペコペコなんです。籠城中で食料の不足を心配するのも分かりますけど、すこーしお食事を分けてもらえると大変助かります」


 ぺこり。

 ついでに頭も下げておきます。いんぎんに過ぎてぶれーに思われない程度に、丁寧に。

 したら。


 「いっ、いえっ……あの、こちらこそっ、もおー…申し訳ありませんでした!いますぐお食事の支度を…」


 などといきなりどもりながら、脱兎のごとく駆け出していくじゃありませんか。

 わたしは、「軽くでいーですからその分早くお願いしますねー」とか気楽なことを言って彼の背中を見送ったのでした。


 「…どういうこと?」

 「どーもこーも」


 と、あてがわれた部屋に入りながら、「どういう意味か本気でわからん」みたいな顔をしてたベルに、説明してあげます。


 「あのひと、わたしたちがアプロにかこつけてなんか不正を要求してくるんじゃないかって思ってたんじゃないですかね」

 「……なるほど」


 疑われたのは不愉快ですけど、公正無私の公僕を貫いていた、ってとこなんでしょう。そう思えばさして腹も立ちません。

 わたしたちは、まあ応接間と言って差し支えない程度の広さのある部屋で、中央にあったソファに腰を下ろしてアプロを待ちます。ベルはわたしの向かい…と思いきや隣に腰掛け、わたしより高い背の頭をわたしの肩にもたれかけさせてきました。


 「ちょっと、ベル?」

 「ん、すこしこのままで」


 …眠いんでしょうかね。目を閉じてすぐに穏やかな寝息のような呼吸になり、静かになってしまいました。

 そういえば昨日もなんだか苦しそうでしたし、しばらくはこのままにしといてもいっか、とわたしは身を捩ってベルが楽になりそうな体勢になります。


 …それにしてもアプロはどうするつもりなんでしょうね。


 静かになると自然そんなことを考えてしまいます。

 今この辺りを騒がしているドラゴンは、ガルベルグのなれの果てのようなものだ、と結論は出ています。ベルがそう言ったのです。

 ですから、あれを倒してしまえば当面の危機は免れる。そういうことになると思うんです。

 問題は…あれをどうやって倒すのか、ってことになるんですが…アプロの、きっと全力を叩き込んだものですら大したダメージを与えられたとも思えませんし。流石ラスボス、などと感心してる場合じゃあありません。


 「アプロには何か考えがあると思う」

 「あら、寝てなかったんですか?」

 「ん、すこし考えごと」

 「ふふ、じゃあわたしと一緒ですね」

 「だね」


 くぅん、と犬が甘えるみたいな声をたてて、ベルはわたしの肩先に顔をこすりつけました。あーもー、こんな場合じゃなければキスのひとつもしたくなる顔です。


 「してもいいよ?」

 「しませんて」


 わたしが何を考えているのか見透かしたみたいに、上目遣いでこちらを見上げていました。ベルかわえー。


 「それよりアプロに考えがあるって、どういうことです?あっちの攻撃はベルが防いでくれるのだとしても、こっちの攻撃も効果が無いのでは千日手じゃないですか」

 「せんにちて?」

 「…えーと、相手も自分も有効な攻撃が出来なくて睨み合いみたいになることです」


 なんかいまだに地球の言葉というか概念が口をついて出て、時々説明しないといけなくなるのはちょっと不思議な感じですね。わたし地球の人間じゃないって、とっくに分かっているはずなのに。


 「よく分からないけど分かった。アプロが戻って来れば説明してくれると思うけど、きっと父には…ガルベルグには、ひとの力こそが有効になると思う」

 「…まあ、何も考えないで突っ掛かろうっていうんじゃなければ、それでいーです」

 「そうだね」


 深いため息をついて、今度こそベルは眠りについてしまったようでした。

 静かなことはいーことです、とわたしも少し体を楽にして休もうと…。


 ぐー。


 …なんですかこの所構わず鳴りまくるお腹は。腹ペコキャラはわたしじゃなくてベルの方でしょうか。




 「わり、待たせた。メシもらってきたから食お?……って、寝てんのか」


 しばらくするとアプロがお盆を手に入ってきました。

 わたしは眠ってはいなかったので、アプロを見て「しー」と唇の前に人差し指を立てて、ベルが寝ていることを教えてあげました。


 「…ちえー、私を差し置いてアコの肩借りてるとか、いー気なもんだよ。まあ疲れてるみてーだからいいけど」


 わたしの対面に腰を下ろし、お盆をテーブルの上に置きます。

 黒パンにハムを挟んだものが人数分乗せられてました。


 「…ん、おいしいもののいいにおい……」

 「起きたか。いやしんぼめ」


 火の通ってないハムから匂いがするとは思えませんが、まあベルのことだし、とわたしは笑って寝ぼけ眼のベルを肩で揺すって目を覚まさせます。


 「…おはよ、アプロ」

 「おはよー、じゃねーっての。それより今のウチに腹ごしらえしとけよ。夜が明けたら早速飛ぶからな」

 「そういう話になったんですか?」

 「まあな。マイネルたちが来るにしても今日の夜になるだろ。それまで足止めしておかねーとなんねーから」

 「足止め?またアプロにしては…」

 「うん、大人しい真似をする。てっきり『空からガーってやってバーッとやっつけよう』とか言うと思った」

 「…あのな、おめーら私をどういう風に見てんの」


 そんなのアプロが一番よく分かってるでしょうに、と並んで生温かい視線を注ぐわたしとベルなのでした。


 「こんのやろー、今度の夜は覚えとけよ。代わる代わる泣かせてやる」

 「それは楽しみにしておきますけどね」


 わたし、あろうことかベルより先に食べ物に手を出します。先を越されたみたいな顔して慌てたベルと、ほっといたら自分の分も無くなりそうだと思ったアプロが続きました。


 「で、マイネルたちの到着を待つんですか?こう言ったらなんですけど、ゴゥリンさんまで含めたとしても、アレがなんとかなるとも思えないんですが」


 アレニア・ポルトマからこの街までは、飛んできた時間を考えると早馬でも一日はかかるでしょう。

 それだけの時間耐え抜いてでもみんなの到着を待つ価値があるってことなんでしょうか。


 「マイネルやゴゥリン、っつうよりも、兄上も含めてだな。この街の兵力かき集めて、対処する」

 「……んな無茶な。余計なケガ人増やすだけじゃないですか、それじゃ」


 そりゃあ、お話の盛り上がりとしては人間の力を結集して魔王を倒す、っていうのは燃えるシチュエーションでしょうけど、現実的にそれが可能だとは限らないじゃないですか。


 「そうじゃないよ、アコ。むしろ聖精石の直接的な力はあいつには通じない。だから、人間の知恵と力を叩き込む。そんだけ」


 何やら確信めいた、ついでに悪いイタズラでも思いついたような顔のアプロに、わたしはベルと顔を見合わせて、肩をすくめるのみなのです。


 「…アプロ、悪い顔してる」

 「そうですね。フィルクァベロさんをどーやってやり込めようか、って考えてるときみたいですよ」

 「アコー、それだと失敗するのが分かってるみてーじゃん。もう少しましな例えして欲しー」


 フィルクァベロさんには勝てないという自覚はあるんですね。微笑ましいことです。


 「で、アプロ。なにをするつもり」


 すっかりお腹も朽ちて落ち着いたベルが訪ねます…ってあなたほとんど一人で食べてしまったんですかっ?!わたしまだ一つしか食べてないんですけどっ!!


 「アコ落ち着いて。わたしのものは全部アコのものだから」

 「意味分かんねーです!あ、あああ……まだ、まだこれからというところだったのにぃぃぃぃぃ……」


 泣き崩れるわたしの肩を、ベルがぽんぽんと優しく叩いてくれます、ってそもそもあなたのせいでしょーが。


 「アコも出だしは良かったんだけどなー。ベルの前にメシ置いといて油断するほうが悪い。ん、食った食った」

 「あなたはあなたで何満足した顔してるんですかっ!!」

 「いやだって、来る前に食いながら話してたし」

 「裏切りものッッッ!!」


 どーりでアプロはのんびりしてると思いましたよ、もー…。


 大決戦を前に緊張感のない私たちです。

 でもまあ、きっと大詰めになっててもこんな感じなんだろうなあ、と思えるのは、それほど悪い気分でもないのでした。

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