第144話・ベルの翻心 その3

 「おねえさまは異界で王女と讃えられたと聞いています。異界の暮らしはどのようなものだったのですか?」

 「どっから聞いたんですか、そんな尾ひれに背びれついた話…」

 「………うー」


 睨んでます。アプロが後ろからめっちゃ睨んでる気配がしまくってます。

 なにせ、街を出てからずぅっと、シャキュヤという女の子にひっつかれていますから、わたし。


 「おねえさまのご高名はどの街に行っても耳に入るんです。あたしが直接聞いた話なんかまだかわいいものですよ」

 「ちょ…そんな怖い話聞きたくなかった…っ!」


 この子の妄想で留まっていることを切に、切に祈りますっ…あの、アプロ?その辺どーなんです?


 「…(ぷるぷる)」


 …あの首の振り方は、「知らねー自分でなんとかして」なのかそれとも「アコが裏切った…うわきものー…」なのかどっちなんでしょう。わたしとしてはせめて後者であって欲しいんですけどー。


 「おねえさま?」


 じー、とわたしの背中を睨んでるくせに、振り返ったわたしと目が合うとあてつけがましくプイッと目を逸らすアプロに困ってるわたしを、また朝から何十回目かの呼び方で声をかけたのは、わたしの手を握る女の子。

 もー、こーいうパターンはこれで三度目なのでわたしもいい加減慣れたっていいんでしょうけど、前二人がおじさんだったのと違い、割とかわいい女の子なのでそう邪険にも出来ないのです。困る。


 「…えとですね、とりあえずその『おねえさま』って呼び方なんとかなりません?わたし初対面の女の子に姉呼ばわりされて喜ぶ趣味ないですし」

 「ええー…」

 「あと振りほどくのも大人げないので我慢してましたけど、この手もそろそろ離して…だからといって腕組むんじゃありませんて、もー…」


 隙見せるともっとひっつこうとするんですから、油断も出来やしません。


 「…おねえさまは、女の子に興味ないのですか?」

 「まてまてまて。どっからそんな話が…」

 「だって領主さまとの仲は公然で街の人たちもそんなお二人を微笑ましく見守っていると…でしたらあたしとおねえさまが愛しあったって構わないんじゃ…」

 「その理屈だと世界の男女関係は戦国時代ですよ…あのですね、わたしは女の子が好きなんじゃなくて、アプロが、好きなんです。他の誰ともそーいう関係になるつもりありませんから。いいですね?」


 しつこく念押しするわたしのうしろでアプロが「はわわわわ…」とかなんとか。多分いー感じに茹であがってることでしょう。かわいーことです。うふふ。


 「……そう、ですか」


 きっぱり言ったのが功を奏してか、女の子はしゅんと項垂れて、まずわたしの腕をとっていた右手を放し、続いてわたしの右手から手を離します。指を絡める恋人繋ぎだったので(わたしの意志じゃなくって無理矢理されたんですってばっ)、完全に解けるまで少し時間がかかりましたが、ともかくこれで万事解決です。わたしの貞操は守られたのでした。


 少し…いえ、だいぶホッとしたので、やっと歩いてる道と周りの風景に目が向くわたしです。

 今年の雨期も近いとのことで、この時期特有の晴れ渡った空に乾いた空気が心地よいのです。今歩いているのは主要街道じゃなくておっきな街道同士を繋ぐ細い道ですので、先頭を歩くゴゥリンさんの体格だと馬車とすれ違うのも大変そうです。まー、別に石畳で舗装されてるわけじゃないので、横に逸れれば済む話なんですが。

 わたしは件の女の子と並んで歩いてて、アプロは弾き飛ばされたみたいにわたしたちの後ろからついてきます。今回の衛兵隊を率いてるフィングリィさんと話でもしてればいいと思うんですが、そんな気分でもないようで…だから手は離したんですからそんなに睨まないでくださいってば。


 「あの、おねえさま…」

 「…そっちはやめる気ないんですね。まーいいですけど、いずれは改めてもらいますからね。で、なんです?わたしの言うことを聞いてくれたんですから、ひとつ話を聞くくらいなら…」

 「あたしが勝手におねえさまを愛する分には一向に構いませんよねっ?!」

 「構うに決まってるじゃないですかあなた一体わたしの話をどー解釈してるんですかっていうかどーしてわたしに迷惑な理由でまとわりつくひとってこうも例外なくひとの話聞かないんですかわたしそーいう呪いでもかけられるほど何か悪いことしたってんですかええいいですよ愛したいならいくらでも愛しなさいその代わりその口から出てくる言葉の一切はわたしの耳の右から左に素通りすると思いなさいそれでよければ愛するなり愛の言葉を囁くなりいっっっくらでもお好きに、どーぞっ!」


 ぜーはーと息を切らした後、「あ、体使って迫るとか襲うとかいうのもナシで」と付け加えて、わたしは半歩彼女の前に出ます。

 なんか言い過ぎたかなー、と思わないでもないですけど、何件かの前例を鑑みるにこーやってマシンガントークで押し切ると…まー、しばらくは大人しくなってくれるかな、と。


 「………」


 案の定、だいぶしおらしくなってくれました。

 ふぅー、これで考え事をするくらいの時間は稼げそう…


 「…あの、おねえさま」


 …もないですね。一体何だってんですか、もー。


 「はい、なんですか?これ以上つまらないことを言ってわたしの機嫌損ねるのは今後のためにならないと思いますよ?」


 うーん、我ながらつっけんどんで愛想の無い対応です。でもこれくらい言わないとちっとも理解してくれな…あー、でも年下の女の子にあまりキツく当たりすぎるのもなあ…いやいやここで仏心出して甘い顔を見せるとまた際限なく…。


 「ええっと、おねえさま。あたしのことは名前で呼んでください。お会いしてからまだ一度も名前で呼んでもらってません」

 「……そでしたっけ?」

 「はい!シャキュヤ・ルンデリカです!東方出身ですけど、シャキュヤの方が名前です。友だちは言いづらいのか、シャキーとかシャクとか呼びますけど、おねえさまにはぜひ、シャキュヤ、とはっきり呼んでいただきたいですっ!」


 むー。

 まあ名前を呼ぶくらいは礼儀のうちですから構いませんけど、せめておねえさま呼ばわりやめてもらうくらいは交換条件に…いえいえここでなんか条件出したらまた話がややこしくなりそーです。

 しかたねーか、と口の中で呼び方を確認し、


 「シャキュヤさん」


 と。

 これで彼女もきっと花の咲くよーな笑顔に…


 「ちがいます」


 …なりませんね。むしろすんげー不満そうです。そしてわたしも不満です。これ以上手間かけさせないで欲しい。


 「じゃあ、シャキュヤちゃん」


 うん、ないわ。そもそもちゃん付けとかわたしのキャラじゃありませんし。

 案の定彼女の方も不満が更につのった顔で、口を尖らせてました。そして、


 「シャキュヤです」


 とうとう自分で指定する有様。

 こーなるとわたしも素直になれないってのが、お約束。


 「シャキュヤくん」

 「ちがいます。シャキュヤですって」

 「サクヤ」

 「シャキュヤ」

 「さっちゃん」

 「子供のころそう呼ばれてたこともありますけど…でも今はシャキュヤで」

 「シャキュヤ殿」

 「シャ~キュ~ヤ~」

 「シャキュヤさま」

 「次間違えたら以後おねさまのことを、光射す大地に降り立った至高の女神、異界の女王アコ・カナギさまって呼び続けますよ」

 「シャキュ……えーと、シャキュヤで」

 「………」

 「…シャキュヤ」

 「はい、おねえさま!!」


 今度こそ花も恥じらう乙女にふさわしー、満面の笑みになりました。くっそう、わたしこーいう顔に弱いなあ。

 止めなさい、と言ったにも関わらずお構いなしにわたしの腕にすがりついてくるシャキュヤを、なんだかもう引っ剥がす気にもならないのでした。多分疲れとかそーいう理由で。


 「おねえさま…おねえさまー……すりすり」

 「言いながら顔擦りつけるとかやめなさいってば。猫ですかあなた」

 「にゃぁん…」


 ぐ…そんな風にしなつくってしな垂れかかられると…ちょっと困る。

 そして、そろそろアプロがツッコんでくれないものかなー、と首を巡らしかけたわたしの耳に聞こえてきた声は。


 「アコってやっぱり女の子の方が好きだったりするのかい?」

 「次同じ事言ったら、じつはマイネルはグランデアと義兄弟の契りを結んだんですよ…、ってマリスに言ってやりますからね。深刻な顔して」

 「そういう全員が不幸になるウソはつかないで欲しいんだけど…」


 どーですかね。一部の若い女性とかはきゃーきゃー言って喜びそうですけど。

 まあ言わずと知れた、マイネルでした。でもアプロは?


 「向こうで拗ねてるよ。何か言っておいてよね」

 「マイネルにまでそう言われるとなんだかすごく悪いことをした気になりますね…わかりました、あとで思いっきり甘やかしあげることにしましょう」

 「それどういう意味?」

 「それが分かったらマイネルじゃないですよ。それより…とと、どうしました?シャキュヤ」


 マイネルと話しているのが面白くないのか、わたしの腕をつかんでマイネルから身を隠すように、わたしの背中に隠れてます。


 「………ッ!」


 …でもこれは、妬いてるというよりは…何だか憎しみでもこもっていそうな…?


 「シャキュヤ?」

 「なんでもありません。あたし、フィングリィ副隊長のところに行ってます」


 行ってますも何も、もともとあなたフィングリィさんの管轄でしょーが。

 …という茶化しも通用しそうにない勢いで、シャキュヤはマイネルの隣を小走りで駆けていきました。

 ご丁寧に、すれ違い際に唇噛んで睨んでいくんですから、何があったかお察し、ってとこですねー。


 「…違うからね?」

 「まだ何も言うてませんけど」

 「アコの考えてることなんか大体分かるよ。言っておくけど、僕も彼女とは初対面だからね?」

 「どーだか。いかにもいわく有り気だったじゃないですか。手酷くもてあそんでポイッと捨てた、とかいかにもありそーな話ですし」

 「あのね」


 ま、流石にそれは無いでしょうね。そんな真似出来るよーな手練れだったら、マリスをあそこまでやきもきさせたりはしないでしょ…待てよ?分かっててマリスもそーいう風に転がしてるとしたら…?


 「ないってば。けどいわく無しってわけでもないから、歩きながら話そうか」


 と、マイネルはわたしの先に立って後方から距離を置きます。

 今度はゴゥリンさんとの距離が縮まって、こちらの話が聞こえそうなんですけど、構わないんですかね。


 「いいよ。ゴゥリンにも聞かせておきたい話だし」


 そう言ったマイネルの顔は彼らしくもなく重苦しいもので、振り返ってこちらを見ていたゴゥリンさんのお顔も、心なしか難しそうなのでありました。

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