第143話・ベルの翻心 その2
翌朝、訓練所の中庭は準備を整えた衛兵の皆さんがそれぞれの格好で準備をしていました。
まだ緊迫感こそないものの、朝のキリッとした空気の中、わたしは…。
「……おはよー、ございまぁすぅー」
と、眠い目をこすりつつ混ざっていきます。
「……随分と眠そうですね、アコ殿。おはようございます」
わたしに気付いたフィングリィさんが近付いてきて、いくらか気遣わしげな声をかけてくれました。
少し早めに来てくれ、とアプロに言われたのでそのようにしたのですけど、夜更かしが過ぎてこの有様です。
フィングリィさんの声も、心なしか心配げなものと呆れかえったものと、相半ばしているようでした。
「えーまあ…ちょっと、新作の作り込みに熱中してたらつい時間を忘れてしまいまして…」
「そ、そうですか…お体は大事にしてください」
「…すみません」
心配と呆れの比率が半々から一対八くらいに変移した声になるフィングリィさん、残りの一割が多分「もうダメだこいつ」じゃないのかなあ…我ながら面目もないことでした。
「アコ、来たか?」
「アプロニア様、こちらに」
「おー…って、なんかまた今日のアコは一段とダメダメなんだけど、どした?」
はしたなく大あくびしてる最中、今度はアプロの登場です。
「いえ、なんでも新しいお仕事に熱中されていたそうで」
「なんだそりゃ…アコー、もしベルの衣装にかまけて寝ぼけてるんだったら承知しねーぞ?」
「ちゃんと時間通りに来たじゃないですかー…おはようございまぁすぅ…」
「…しょーがないなー…。ほら、紹介するヤツがいるから、こっち」
「あい…」
まだ眠い目を擦ってるわたしはアプロに手を引っ張られて、宿舎の玄関に連れてこられました。
「まだ来てねーんかな。おーい、シャキュヤー?アコが来た…」
「おねえさまっっっ!!」
へ?
…と、あまり聞き慣れない呼称に一体誰のことを呼んだのか、つい辺りを見回します。ああ、アプロのことですねなるほど納得ですぶっ?!
「おねえさまっ!お会いしたかったですっっっ!!」
…わたしの体は突進してきた何物かに突き飛ばされ、憐れ寝不足の我が身は大地に無様に崩れ落ちたのでした。顔面から。
「おねえさまっ!どうかなさいましたかご無事ですか一体だれがこのような真似を…っ」
「おめーだ、おめー。いーからアコを起こしてやれって。寝不足みてーだから、ほっといたらこのまま寝そうだ」
ひどいことを言われました。いくらわたしがぐーたらこいてても、突っ転ばされたまま寝たりしませんて。あ、地面あったかくて気持ちいい…。
「おねえさま、大変申し訳ありません…夢にまで見たアコお姉さまとの対面に心躍るあまり不躾な真似をしてしまいました…よっこいしょ」
そんな感じで腰を浮かせたまま突っ伏したわたしを引っ張り上げる、なんだか力強い動き…。あのその、まさかゴゥリンさんみたいなひとじゃないでしょーね、わたしをおねえさま、とか異な呼び方する女の子?は。
「…ああ、ああ…きれいなお顔が泥まみれに…今払って差し上げますからお体をそのままに…いそいそ、いそいそ、と」
「わぷ」
…と自分の想像に戦慄しつつ起き上がったわたしの顔を手拭いで丁寧に拭ってくれたのは…わたしよりも頭一つ分くらい小さい、栗色のショート髪で黒い瞳がよく動く女の子でした。ぶっちゃけふつーに、かわいい。なんだかよく動き回るので、落ち着きのない猫のよーです。
「はい、これできれいになりました…ああ、素顔は遠くで見るよりもずうっと輝いて見えますぅ……」
「は、はあ、どうも……あの、アプロ?」
「……言うな、アコ」
ひとしきりわたしの顔をキラキラした瞳で見上げると、女の子はわたしの腕にしがみついて頬ずりなんかして。
こんな有様ではアプロもさぞかし不機嫌だろーと思ってそちらを見ると、予想に違わず不機嫌顔…というより、困った顔…っていうのともちょっと違いますね。なんだかあまり記憶にない表情で、わたしの方が戸惑うくらいです。
「おねえさま……すりすり」
そしてまだわたしにしがみつく女の子の素性は……てゆーかいい加減にしなさい。袖が伸びます。
「…まあ衛兵の新人なんだけどさ、アコに憧れてとかアコが大好きで、とかでとにかくクセの強すぎるヤツなんだけど、腕だけは立ったからなあ……私は賛成しなかったのに、ブラッガが強硬に入隊を推して、結局押し切られた」
「なるほど」
…とか納得してる場合じゃないんですが、ともかくシュキュヤ・ルンデリカという名の少女のことをアプロは紹介してくれました。あ、ちなみに本人はフィングリィさんに引きずられていって、点呼の列に並んでます。
「…って、もしかして連れてくんですか?」
「新人研修の名目だから、仕方なく」
その点呼の様子をわたしとアプロは宿舎の建物の脇から遠目で眺めます。件の少女がこちらを見て満面の笑みで手を振ってました。
「あ」
そして、フィングリィさんに叱られてました。なんとも扱いづらそーな子ですねえ…。
「腕が立つ、ってことですけどそれほど腕っ節自慢な風には見えませんね」
「石使いなんだよ。この街じゃあ貴重なんだ。衛兵隊には他にいねーから、ってのもブラッガが推した理由だなー」
「ふうん」
石使いとは聖精石に込められた力を利用して攻撃することを専らの手段にするひとのことです。わたしの知ってる限りだと、マイネルの他には王都で穴塞ぎを一緒にした兵隊さんにも何人かいましたね。
「で、わたしのことをお姉さまとかふざけた呼び方する理由は?」
「知らねーよ…こないだの戦いのあと、商隊の一つと一緒にやってきてさ、聖精石を扱えるから衛兵として役立ててくれ、って向こうから売り込みかけてきて、私が知らないうちにブラッガが面接とか裏取りとか一切済ませてやがった。あんのやろー…」
「まあブラッガさんも衛兵隊預かる身としては、戦えるひとは喉から手が出るほど欲しいでしょうしねー…」
結局わたしをお姉さまと呼んでまとわりつく理由は分かりませんでした。
「アコも悪い気はしねーんじゃねーの?」
「なんでそーなるんですか。別にわたし年下の女の子だったら誰でもいいわけじゃないですよ。わたしはアプロ一筋です」
「どーだか。私みてーながさつな女と違って無邪気でいーもんだしなー」
「あのですね。わたしエスの妹分とかには興味ないですよ。神梛吾子の記憶にあるおばあちゃんがそーいう本結構持ってたみたいですけど」
「えす?なんだそりゃ」
「ええと、仮初めの姉妹関係結んだ女の子同士の仲を描く小説……あーもう、説明するのもめんどくさいのでそれは流してください。とにかくわたしはそーいうのじゃないですから」
「………ふーん。アコはお姉さまになりたいのかー。じゃあ私も妹になってやる。えと……お姉ちゃぁん…」
「ぐっ……アプロにそう呼ばれるとちょっとグッときますね…今度はそーいう設定でやってみませんか?」
「……ふへっ…なんか悪くないなー…アコをお姉ちゃんって呼んで甘えるのかあ………うふ、うふふふ」
「…な、なんだかわたしも妙なものに目覚めてしまいそうですね…ア、アプロ?おいたをしては、いけませんよ?なんちて」
「くぅっ?!……こ、これがキュンとする、ってやつかあ……いいな……」
「…朝も早くから何をやっているんですか、あなた方は」
「「げっ」」
う…わたしとしたことが「げっ」てなんですか。はしたない。
「睦まじいのは結構ですが、人目を憚るということをそろそろ覚えなさい。憚るつもりが無いというのであればこちらにも考えがありますよ。衆目の集う中で並んで小言を受けてみますか?口さがない街人の世評に憚ってみますか?ええ?」
「待った待ったばば…ばーちゃん!杖は勘弁してくれって!…もー、ここ最近は一日最低三発食らってるから頭のコブのヘコむ間も無いってーの!」
「そうですよ、フィルクァベロさん、アプロがこれ以上アホの子になったらどーするんですか」
「アホはアコの方だろー。特に最近は…ってアコ退散するぞ!これ以上打たれてたまるかってーの!」
「がってんです!」
うー…壁に耳あり障子…はこの世界にはありませんけれど、気配もさせず忍び寄り、隙あらば杖で打擲を加える恐ろしい存在。なればわたしたちのやることはただひと…。
「あなたも大分メイルンに毒されてきましたね、アコ」
「あう」
…アプロが捕まってるのに、はるかにどんくさいわたしが逃げおおせるわけもなく、フィルクァベロさんの両手にそれぞれ襟首を掴まれて、わたしとアプロはじたばたもがくしか出来ないのです。
「まったく…アコも年甲斐がありませんわね。そろそろ落ち着いてもいい年頃なのではないですか?」
「しつれーなこと言わないでください、マリス。あなたわたしが幾つか知ってるんですか?」
「ええと、わたくしの記憶に間違いがなければ確かにじゅう…」
「なってませぇん!まだ辛うじてじゅうだいですぅ!」
「アコは場合が場合だから年齢の計算誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せるんだよね。おはよう、二人とも」
更にマイネルまで登場です。教会組三人揃って…というか、何故にマリスまで?
「予言の内容に少し不審なものがあったのです。一応、警告ですわね」
「へー。朝が弱いマリスがやってくるところをみると、相当深刻みてーだな。何事だ?」
「いつまでも子供扱いしないでくださいアプロニアさまっ!この件が済めばお兄さまと晴れて婚約者として胸を張れる身ですっ!!」
「はいはい、そんな大声出してたらあっちにも聞こえてしまいますから落ち着いてください、マリス。で、何があったんです?」
「アコまでわたくしを幼子扱い…いえ、それはともかくとしてですね…」
と、声を潜めたマリスが語った内容といいますと…。
「…今回の魔獣がヒト型の可能性がある、かあ」
「珍しいんですか?」
「まーな。ヒト型といっても様々な形態…大人とか子供とか、第三魔獣みたく動物が立って歩いてるみてーなこともあるし、今のマリスの話だけで判断は出来ねーけど、人間相手にしてるみてーだから、やりづらい……らしーな」
「らしい?って、どゆことです?」
「滅多にいねーから、私はまだ相手したことがない、ってこと。マイネルも経験無いんじゃねーの?」
「まあね。バルバネラ師は如何です?」
「私自身ではありませんね。僚友が遭遇したとは聞いておりますが。ああそれと、これでも他国との戦の場数も踏んでおりますから、ヒト型の魔獣如きに遅れはとりませんよ」
それはまた物騒に頼もしいことです。
この世界、大規模な戦乱の兆しがあると魔獣の大規模出現があるので、地球みたいに人間同士の戦争って意外と無いんですよね………って、あ。
「どうかしましたか、アコ?」
ふと思いついたことがあったわたしを目敏く見とがめたフィルクァベロさんが、油断のならない目つきで睨んでました。
「えーと、後でお話しします」
「そうですか」
わたしの、露骨に濁すような言い方にもフィルクァベロさんは納得したようでした。
まあこの場で言えないこととなるとガルベルグ絡みだってことくらい、見当ついたでしょーしね。
そしてアプロに何か目配せをし、三人で話すことがある、という態を整えると、点呼の終わった衛兵隊を見やって、私たちに声をかけます。
「…そろそろ向こうの用意も調ったようですね。私達も行きましょう」
「あいよー」
「じゃあマリス、行ってくるからね」
「お兄さまのご無事と、皆さんの武運をお祈りしてますわ。いってらっしゃいませ」
その言い方だと僕がとんだ足手まといみたいだよね、と相変わらず女心をずぇんぜん理解してない愚痴をこぼしたマイネルを引きずるようにして、私たちと、フィングリィさんを含めて十名の衛兵隊一行は門のところで待っていたゴゥリンさんと合流し、アウロ・ペルニカを出発しました。
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