第141話・確たる絆 その6

 結局その場での話はそれまでになりました。

 というのも、アプロが一緒だといちいち茶々入れてきて話が進まなかったからです…あーいえ、わたしとアプロの漫才になる場面も少なからずはありましたが。はい。

 そして、なんだか心配そうだったアプロはお仕事に戻し、わたしとフィルクァベロさんは場所を変えて、二人きりです。


 「さて、これで少しは落ち着いて話も出来るというものね」

 「落ち着かない、とまでは言いませんけど、わたしとしてはあまり長居したい場所じゃないですねー…」


 高いところは嫌いってわけじゃないにしても、これまで登ってみたいとか一度も思ったことありませんものね、って今いるのは街の中央広場にある鐘楼の、てっぺんです。鐘の清掃などをするために登れるようになっているんですが、まさかハシゴを伝ってこんなとこまでとは。まったく、フィルクァベロさんも剣を取ったアプロを簡単にあしらえる腕前をお持ちとはいえ、とてもお歳に見合わない身軽さなのでした。


 「そうですか?アコも若い娘にしては物怖じしない、なかなかいい度胸をしていると思いますけれどね」

 「あー、わたしはまあ、そのー……」


 なんとなく、わたしの正体を口にしてしまうといじけてるみたいに思えて、口を濁してしまいました。


 「それより、ひとつ聞いても構いません?」

 「何故あなたが第三魔獣であるか分かったのか、ですか?」

 「………」


 知っててそういう言い方するんですからね。まあでも、それほど悪い気分ではないのです。不思議と。あるいは、薄々自分でも気付いてて、医者にあなたは不治の病です、と告げられた時の気分っていうのは、こういうものかもしれません…あー、ごめんなさい、ちょっと不謹慎でした。

 フィルクァベロさんはわたしにそう言ったことを特にどうとも思ってないようで、石組みの鐘楼の縁に腰をかけ、ひざの上に杖を横たえて置きます。…この杖持ったまま片手でハシゴ登ったんですから、どーゆー婆さまなのか想像がつくというものでしょう。


 「お座りなさいな。風が気持ち良いですよ」

 「はあ」


 ぼーとしてたわたしでしたが、見上げる視線と、隣をぽんぽんと叩く気安さに誘われて、わたしも同じように腰を下ろしました。足はつきません。当然、宙ぶらりん。


 「……あはは」


 普段ひとなどいない場所に誰かがいる、と広場で子供が騒いでました。わたしの顔に気がついたのか、なんだかぶんぶん手を振っている子どもたちに、わたしは手を振って応えます。


 「人気があるのですね」

 「そうなんですかね?いろいろこの街でやって、そこそこ有名にはなったと思いますけど」

 「謙遜を。街を襲った危機から救った業績だけでも英雄の名にし負うと思うのだけど」

 「んー、これは他のひとにも結構言うことなんですけど」


 と、前置きしてから話したいことを整理します。

 でも、わたしの正体を看破したひとだからって気負うことも無く、結局わたしはいつも思ってることを言うのみ、です。


 「街を救ったとかいうのも、全部わたしの都合なんです。わたしがこの街を守りたくってやった無茶で、アプロに褒めてもらいたいとか、いろいろ打算とかよくぼーとかはありますけど、あんまり持ち上げられることでもないかなあ、って。それより、こうして元の生活に戻って、わたしはお裁縫の教室開いたり、この街に新しい物産持ち込んでみたり、そういうのが楽しいんですよ。わたしのことを聖女だのなんだの言ってくれた人は…まあ多分もう街を出ているでしょうから、しばらくは楽しいままでいられるかな」

 「……第三魔獣と見做したのは、ね」

 「え、ちょっといい話したのにすぐそれですか。あ、確かに訊いたのはわたしですけど」


 思わずぶーたれるわたしに、フィルクァベロさんは苦笑する横顔を見せると、わたしに手を振ってた子どもの姿にちらと目をやってから、こう言いました。


 「あまりにも、らしくないからですよ」

 「らしくない?」

 「ええ。マリスとマイネルの報告にはわたしも目を通していました。実はマリスの懇意にしている権奥の中にはわたしも入っててね。あまり表に出せない話も耳には入っていたのよ」

 「え、となるとガルベルグとか…ベル…ベルニーザのことも?」

 「そうね。それとあなたの事績についても、余さず。異世界からメイルンが召喚したという話も含めてね。そうして思ったのは、この世界に住まうひととしての有り様から、著しく外れている。世界の住人らしくはない、ということ」

 「…それはそうなんじゃないですか?いちおー、異世界からやってきたという触れ込みなんですし」

 「そうではないのよ。カナギ・アコには、あまりにも自分がない。この世界に何かを残すことには拘っていても、それが自分に与えるものには一切の興味が無い。それは人としては余りにも不自然なのではなくて?」

 「………意味分かんないです。でも例えそうだとしても、きっとわたしの…元になったっていう、日本の神梛吾子自身が、そういう人間だったんじゃないですか?」

 「それはそうかもしれない。でもね、あなたがただひとり、与えられることを乞うた人物をよく知っている私には、そうとしか思えないの。アプロニア・メイルン・グァバンティンは、カナギ・アコにひどく惹かれた。それだけで、あなたは世にあるべくあるのではなく、屹立する無垢であることの証明になるのよ」


 いえあの、無垢て。

 わたしこれでもけっこー、その、アレですよ?えっちとか好きですしー。アプロ相手に限定しますけど。


 「メイルンは」


 と、わたしのおちゃらけを無視して、フィルクァベロさんは続けます。ツッコミ無しはちょっと寂しい…。


 「出自を知るあなたなら想像つくでしょうが、ひとの愛情というものに貪欲な娘です。それでいて与えることを惜しむことがない。そしてあの子は、それが正しいと思ったら顧みることをしないという危うさがあります。アレニア・ポルトマに連れて来られたときからずっとそうだった。凡そ世界に対して求め、与え、けれど見返りを欲しないのが、メイルンという少女の生き方。けれど、あなただけには与えられることを望む。あの子が、一切を捨ててでも強く存在を希求するあなたをこそ、ひとの『らしさ』を備えぬ異質な存在だと見るのには、それで充分だと思うのですけれどね」

 「そんなことないです」


 わたしは強く反論します。

 だってそれじゃ、アプロが何も得られないみたいじゃないですか。あれだけみんなのために頑張っているアプロが報われないなんてことは、わたしは絶対にいやです。アプロだって…、と思ったとき、わたしは一つの光景を思い出しました。

 去年の雨期前のお祭り。ひとり喧噪から離れて、ひとりで屋敷の屋根裏部屋にこもっていたアプロの横顔を。

 わたしはそのアプロを見て、この子の埋められないものをわたしが埋めてあげたい。そう思ったのです。


 「……そんなこと、ないんです。アプロが求めないっていうのなら、わたしが全部与えてあげます。あの子が埋めたいもの全部、わたしが埋めてあげます。それでいいじゃないですか。そうして、わたしはわたしでいられるんです。だから」

 「あなたは、明日に自分が消えて無くなるとして…思い残すことがありますか?」

 「え?」

 「メイルンはきっとあれもしたかった、これもしたかった、もっとやれることがいっぱいあったんじゃないか、と思うことでしょう。そしてその思い残すだろうことのうち、最も大きな存在であるあなたは、どうなのです?」

 「そんなこと言われても…」


 大好きなアプロ。大切な親友の、ベル。わたしが暮らしたこの街のひとたち。王都で会って、あ、なんだかいいな、って思ったひとたち。

 今、わたしが消えて無くなるとして、そんなわたしの好きを放っておいて、わたしは気持ち良く消えることが出来るのだろうか。


 …そう思わされて、『ま、わたしがいなくても大丈夫だろうな』って。


 あれ…わたし、何も残らなくても平気……なんですか?フィルクァベロさんに憐れまれるくらい、何もわたしには無いんですか…?


 「…あるいはそれすらも、あなたの素体となったカナギ・アコの個性かもしれません。厳しい言い方をすれば、今のあなたが得た事績の全ては、異世界のカナギ・アコの可能性を辿っただけなのでしょう。今のあなたの手にあるものは、あなたとして得たものなのか。…私には危うさを覚えるのですけれどね」

 「………そんな言い方しなくてもいいじゃ、ないですか」

 「…そうね。言い過ぎたかもしれない。けれどそれであなたがひとならざる存在だと私は看做し、そしてそれは正しかった。あなたと世界の間にある希薄な空気が、いつかこの世界を壊してしまうのではないかという危惧を強く否定したくはあるのですけれどね」


 意味が分かりません。

 わたしは、自分のことを好きになれて、わたしをそうさせてくれたアプロやこの街が大好きになった。

 それだけでいることが悪いんですか?わたしが第三魔獣としてガルベルグに生みだされたのは、わたしに贖罪が必要なことじゃないのに。


 「あなたを断罪する権利も理由も私にはありません。ですのでただ願うばかりです。どうか、あなたの世界の終わりには、思い残すことがありますように、とね。カナギ・アコ」

 「………なんです」


 ふて腐れたわたしを見やりながら、フィルクァベロさんは優しく言います。


 「確とした絆を築きなさい。あなたと、世界の間にあるものが強固であれば、あなたはどんな生まれ、立場であったとしてもあなたの好きな物事を損なわない。間違えることなく、最後を迎えられる。それだけですよ」

 「わたしはアプロと一緒にしあわせになるんです。アプロとそう約束したんです。そんな、誰にも誇れない最後を迎えるつもりなんか、これっぽっちもないんです!!」

 「……ええ。そう願って、お励みなさい」


 なんでそんな悲しそうな顔でわたしを見るんですか、フィルクァベロさん。

 あなたはわたしに訊きたいことがあって、やってきたんじゃないんですか。

 わたしを憐れむために、こんな話をしたんですか。


 いつの間にか、涙がこぼれていました。

 視界が滲んで、神梛吾子のおばあちゃんにどこか似たと思えたひとの姿はよく見えなくなってました。



   ・・・・・



 「…アコ?もしかしてばばぁに泣かされた?」

 「あーいえ、なんと言いますかー…まあ、ちょっといじめられたとゆーか弄られたとゆーか…」


 それから、鐘楼の上でしばらく話をしてわたしたちは地上に降り、フィルクァベロさんは教会へ。わたしは、アプロの顔が見たくなってお屋敷にお邪魔していました。


 「あはは、アコでも勝てなかったかー。もうさ、気長にやるしかねーよ。私もいつかばばぁを見おろして『参ったか!』って言うのが夢みたいなもんだし。そんときゃアコもいつもみてーに悪い顔してうふふ、って笑ってくれよな」


 わたしどんなキャラですか。そこまで底意地悪いつもりないんですけど、でもアプロが長年の夢を叶えたっていうのなら…まあ、一緒に喜ぶくらいはしてあげてもいいですよ。


 「おー、一緒にな。で、どんな話してたの?」


 と、机の上に積み上げられた手紙だか書類だかを押しのけて、少し真剣な顔に戻って訊いてきます。仕事はいーんですか?


 「まあ、いろいろと。っていってもマイネルと一緒にしたこととか、マリスに報告してたことは全部知ってましたからね。あ、あとガルベルグについては、神託のことと…ベルのことでちょっと、くらいですかね…」

 「ベルのこと?なんでまた」

 「いや、何でもなにもベルとガルベルグの関係を考えれば興味持って当然でしょーが。何とかして会わせなさい、とも言われましたけど、ベルがつかまりますかねー…あの子、こーいうことにはえらい鼻が利きますし…」

 「あははっ、ばばぁをやり込めるってんならベルの応援くらいいくらでもするぞー」


 うーん。ベルがフィルクァベロさんに勝つっていう図を全く想像できないんですが、わたしは。三人まとめて正座させられて説教される、っていう未来しか思い浮かびませんて。


 「なーに、戦はやりようによる、ってな。アコ、ベル見つけて連れてきてくんねー?こっちから仕掛けられれば、ばばぁだって油断のひとつもするだろーさ」

 「ふふ、そうですね。勝てないと分かっても戦わないといけない時がひとにはありますものね」


 負けるの前提で話進めんな、とアプロは口を尖らしていましたが、別にアプロだって戦争するつもりでベル呼びつけようとしたわけでもないでしょうに。

 …ああいえ、ちょっと違いますね。孫がおばあちゃんに友だちを紹介したい、ってとこですか。


 「くくく…あそこで待ち伏せすればこっちが有利なのは間違いねーしー…そーだな、まずベルを囮にして……」


 早くもベルを巻き込んで悪だくみを始めるアプロの姿を見て、この子ただ単にベルと遊びたいだけなんじゃないかな、と少し考えを改めてしまうわたしなのでした。

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