第117話・アウロ・ペルニカの攻防 その15

 場に居合わせたひとたちの視線の向く先が、わたしの姿にであったのか、それともわたしの持っていた聖精石の針にであったのか。


 「アコ…?なにをする……の?」

 「な、なんだ?何が起こるってんだ、おい!」


 けれど確かなことは、今から何が起こるのか誰もが想像つかなかったことなのでしょう。


 「……あなたを、とめます」

 「面白え。どうやってやるってんだ」

 「知りませんよ、そんなこと。この子に聞いて下さい」

 「はあ?」


 それはわたしをも含めてのこと、です。


 バギスカリを止める、そのためには彼が止めているはずの、世界に回帰することを阻まれた石を見つけないといけない。

 けれどそれを一度探した時にわたしは、見つけることが出来なかった。

 だったら。


 「あなたに聞くしかなんですよ。教えてくださいね?」


 左手の指に針が繰り出した輝く糸を絡め、右手に携えた針を投じます。どこにいくのかなんて、針に聞いて下さい。


 「なんだ、恐怖で気でも違ったか?えらく可愛いところがあるじゃねえか、女ァ」


 うるさいですね。あなたこそローイルと違って可愛げ皆無なんですから、黙っててください。


 口にこそしませんでしたが、おおよそそんな意を込めて睨み付けると、バギスカリは大きくせせら笑った後、わたしが投げた針の飛んでった先に目をやって。


 「………?!」


 そして驚愕だか恐怖だかなんだか分かりませんけど、そういったもののためにか、開いた口が塞がらない、という態を晒したかのようにわたしには思えたのでした。

 なんでそう思うかって?

 だって、そりゃーそうでしょうよ。


 「…まさかそんなとこにあったとはねー。本体と違う場所にあったんでは気付きはしませんて」


 わたしの針は、バギスカリからは遠く離れ、なんでそんなとこに?と誰しも思うような…まあその、いわゆる宙に浮いている状態だったのです。

 問題はですね、それが刺さっている物体がなんといーますかその。


 「改めて見るとなんかこう、シュール以外に表現のしようがないんですけど…ソレ、あなたの趣味なんです?」


 いやまあ、牛に違いはないんですよ。でもなんでソレがここにあるの、と日本人なら誰しも思わずに…いえその、日本人この世界にいるかどーかは怪しいんですけどね、ともかく、針が刺さってぷらぷらしてるその物体は、赤べこだったのです。ほら、福島の民芸品の。赤い張り子の牛の。

 まったく。誰の選択なんですかコレは。


 「…で、そこにあなたを世界に繋ぎ止めてる石がある、と。塞いでいいですか?」

 「…なんのことだ?」

 「なんのことだ、じゃないですよ。バギスカリ、あなたの核になってる石がどこにあるか探したらそこにあるってことじゃないですか。わたしにそれを見つけられたら、あなたもう終わりなんですよ?」


 なんでこの状況で余裕綽々なんですか、この魔獣は、と一切親しみの感じられない顔に向けて、わたしはうんざりした声をかけます。

 …でもよく考えたら、前に一度滅した時のことを覚えてなくて、今回リセットされた状態で現れたのだとすると。


 「……えいっ」

 「ギッ?!」


 左手の糸を手繰り寄せ、針の刺さった「魔獣の穴」を引きずり出すと、バギスカリは苦痛と驚きがごっちゃになったよーな悲鳴をあげて、跨がった牛の上から転げ落ちました。うーん、無様すぎて笑う気にもなれませんね…。


 「あなたもしかして、一度完全に力失わないとわたしが塞げる状態の穴が出現しない、とまだ思ってたんですか?あのですね、いろいろありましてわたしそんな段階とっくに踏み越えてるんですよ。諸々残念なお話なんですけど」

 「オ、オマエ…話が、チガウゾ…ッ?!」

 「誰の話なんですか、誰の。そんなのわたしの知ったこっちゃないです。いいから今度こそわたしたちの前から姿を消してください。そして二度とそのツラ見せないでください。いーですね?」

 「ナニを…世迷イ言を…ををををッ?!」


 もいっかい左手を振ると、赤べこが刺さったままのわたしの針はそのまま左手に収まりました。

 素早く針を右手に持ち替えて、まるでサザエの壺焼きから身をほじくり出すよーな手付きでバギスカリの穴を引きずり出すと、わたしは何の感慨も憐憫も抱かずに、朝起きて顔を洗うよーな調子で顕れたちっさな穴を縫いとめたのでした。


 「はい、終わりました」


 もちろんそれと同時に牛頭の魔獣の姿は掻き消えてたわけなんですが、わたしはそれを当たり前だと思うことすらせず、さて残った牛の大群をどーしようかと首を捻るのです。


 「いや、どーしようか、じゃねえだろうがっ!!」


 そうはいいましても、わたしとバギスカリが対峙してた時はまだ動き止めてたんですけど、親玉だか飼い主だか知りませんがそんな存在が消えた途端に制御を失うとか、流石に考えも及びませんて。

 結局、第三魔獣とそれ以外の一般的な魔獣の関係がどういうものか分からないんですよ。もう、これはマリスに宿題出しておいた方が良さそうですよね。


 「呑気なこと言ってねえで逃げるぞおい!」

 「いえ、逃げるんでしたら、フィングリィさんと一緒にアプロ連れて逃げてください。わたし、まだやることありますので」

 「はあっ?!テメこの、ワケの分からんことほざくのも大概にしろよ!!」

 「うるさい男ですねえ…」


 ムキになってるグランデアをほっといて、再び突進を開始した牛の群れを見やるわたしです。

 何故か奇妙なくらいにフラットな心中で、今自分が何をしなければならないのか、そのために何が出来るのかを猛烈な速度で計算します。

 なんだか後ろでアプロが声を上げ、男のひと二人がそれを遮る様子がうかがえます。

 前方には迫る牛の群れ。その足下から立ち込める土煙の向こうに、倒れた衛兵さんたちの姿。幾人かは起き上がる様子もあり、その中にゴゥリンさんのおっきな躰の影を見て、ほんの少しホッとするわたしです。


 「……よし」


 どこか自分の本意とは遠いところで決まったようにも思える決断ですけど、不思議にそれが間違えているとも思えず、わたしは眼前に迫る牛の群れを…ではなく、その向こうにあるだろう魔獣の穴を…でもなく、穴に隠れた『彼』を呼びだしました。


 「…こんにちは。きっと初めまして、だと思うんです。あなたが世界に果たすべき役割を、ちょっと進めさせてもらうためにお話したいんですけど…構いませんか?」


 牛の群れは、わたしの体を角ではね飛ばす…かと思ったら、急な角度で進行方向を変え、わたしの腕をかするような距離を通り過ぎていきます。

 わたしに関しては、まあ無事に済んだと言えますけれど、止まらない牛の群れの先にいるアプロたちのことを考えたら、余裕なんてありません。

 焦る気持ちを鎮めることもなく、ただ逸る心を叩き付けるように、言葉を継ぎます。


 「形を変えて、でもまた元の環に戻ることの出来るきみは幸いです。ひとが手を加えてしまった仲間はもうそれも叶わないって、言われているんですから」


 石は巡り、穴となって世界の澱を吐き出す。

 それは魔獣を生んだことで再び世界を回す力に戻ります。

 世界に還元しなければならない澱を一定量吐き出してようやく、石は元の循環のプロセスに還っていけるのだから。


 「…だからわたしが手を貸すのは、本当は正しいことじゃないんですよ。石が澱を吐き出しきる前に還っていってしまっては、いつか循環は滞ってしまうんです。それはひとの歴史に石が形を換えて留まり続けることおなじくらい、あってはならないことなんです」


 じゃあわたしがこうして、循環する世界に必要な穴を塞いでいることの、意味は?

 それは世界に逆らうだけの行為じゃないのだろうか?


 …それ、分からないです。

 だってわたしはまだ、自分が何者かはっきりとは言えないんですから。

 アプロに力を貸せと頼まれうっかり応じてしまったニッポンの引きこもり候補、だと思ってたんですけど、なんだかそれも怪しくなってきましたしねー。


 過去のこたーともかく、今を大事にするしかないんですよ。

 だから、子供がわがままを言って周囲を困らせるくらいのこと、と言われても仕方無いかなあ、と思いつつもやっぱり、わたしは今は自分のやりたいことを優先させてしまいます。

 きっと後でしっぺ返しを食らうんでしょうけど、まあそれくらいは受け入れなければいけないかな、って。


 「でも、きみがまた世界の中で巡ることで、穏やかに力が交わり、満ちて、そしていつか増えていくんだろうな、って今はそう思います。だから、ね…?」


 起き上がった衛兵さんの中に、ブラッガさんの特徴のある黒い鎧が見えました。

 責任感のつよいひとですから、すぐに倒れたままの部下のひとたちの様子をうかがっています。

 ケガのひどいひとは多そうですし、もしかして…と思わずいたましい想像をしてしまう様子だってありますけれど、また立ち上がって、まだ街を、わたしたちを守ろうって気概が打ち砕かれていない様に、わたしは深く感謝を抱かずにはいられません。


 「…立ち止まるのはやめよう?きみも、わたしたちも、立ち止まって考えること、想うことを止めるにはまだ早いんです。大好きなひとと、短い一生でもいいから寄り添い過ごし、悔いることの少ない終わりを迎えたい。誰しも、とは言わないけど、少なくともわたしはそう願って、暮らしています。この世界の終わりまで在り続けるきみなら、分かってくれるんじゃないかな」


 世界に恨み辛みを述べて立ち止まったままでいることは、止めました。

 わたしの記憶のなかのわたしは、悔いて嘆いて誰からも背を向けていました。

 けど、こんなわたしでも好きだと言ってくれるひとがいて、わたしはわたしを好きになれました。

 わたしの好きを、笑顔で受け入れてくれるひとだって、できました。

 だから、わたしは歩いていきます。それがどこへ向かう途だとしても、わたしがやりたいことだっていうのは確かなんです。


 針を摘まんだ右手を前に、突き出します。

 呼びかけに応えがあるのだとすれば、そろそろ顕れると思うんですけど。


 「…うん。ありがとう、ございますね」


 そして願いに違わず、『彼』…うーん、もうこの際彼でも彼女でもどちらでもいーんですけど、きっとわたしにしか感じ取れない人格のような主体が、針の届く場所に存在を示してくれます。


 「……!!、?!」


 …ごめん、ちょっと慌てないといけないかも。

 グランデアとフィングリィさんの叫び声がそろそろ洒落にならなくなってきてます。


 わたしは『彼』を急かすように針を繰るとそれに従って光る糸も揺れ、その煌めきを我ながらキレイだなー、と思った次の瞬間。


 「…あ」


 目の前に、虹色の穴が…っていうのも妙な感じですけど、今まで塞いできた穴がいかにも「穴!」というよーに、覗き込むのもちょっとアレな闇だったのと比べると、なんとも色彩豊かな、わたしの手のひらサイズくらいのものが、顕れていました。

 まー、それはそれで見るからに怪しげなので、なごみつつ手を出すという気にはなれませんでしたが。


 「…いーんですかね、なんて言ってる場合じゃないですし、ね」


 アプロが、危険なのです。


 わたしが、その穴を塞ぐ、という意志を抱くと同時に、光る糸は針の先端を経由してわたしが何もせずとも穴を縫いとめるように、踊りました。

 そして瞬きする間に、というのが例えでもなんでもなく、実際に目をひと瞬きしたらもう穴は、消えていたのです。

 それと同時に、確かにそこにあった存在感は消え、あいさつをする暇さえなかったことを残念がるわたしが背中の騒ぎのことを思い出し、慌てて振り向くとそこには。


 「………あ、あ、あああぶなかったぁぁぁぁぁぁ………」


 そりゃもう無様に腰を抜かした…ああ、うん、そーいう言い方はないですね。アプロを背中に庇ってへたり込んでたんですから、褒めてあげないと。うん。


 「…だいじょうぶですか?」


 わたしは足下に気をつけながらグランデアの側まで歩いていき、そう声をかけました。

 実際、大した距離じゃないです。

 わたしの中ではけっこー長い時間、『彼』と対話してたよーな気がするんですが、わたしが近付くのにも気付かず、アホ面をさらしたまんまでいるくらいの間隔しか離れていなかったんですから、あの瞬間でどれだけのことしてたんですか。わたし、すげーな。


 「……何が起こったってんだ?」

 「まず事態を把握しようという冷静さは頼もしいですけどね、とりあえずケガしたひとたち、なんとかしないと。少し時間的余裕は出来たと思うので、グランデアはアプロを助けるの手伝ってください。それとフィングリィさん?」

 「え、ええ…なんとか」

 「ブラッガさん、立ち上がれるみたいなので助けてあげてください」

 「わかりました」


 アプロの肩をフィングリィさんから預かります。

 苦痛の声がもれたところを見ると意識を失ってはいないみたいですけど、頭を打ってたりすると心配ですね…。


 「…何が起こったんだ?」

 「それ聞くの二度目です。いーから今は休みましょう」

 「本当に休めるってんなら、ありがてえ話だけどなあ…」


 アプロを挟んで反対側のグランデアがぼやいてました。

 まー、その点はわたしも同じ気持ちではありますけど、ただ…。


 「どうした?」


 街に向かって歩き出したところで一度立ち止まり、振り返ったわたしに文句を言うような口調のグランデアです。


 「いえ、お礼とか頑張れとか、言えればよかったなあ、って思っただけです」

 「そうかい」


 もはや、それはどういう意味だ、とも聞いてこなくなった辺り、きっと不思議ちゃんには付き合いきれねぇ、とでも思われてるんでしょう…自分で思っておいてなんですが、ムカつきますね。あとでアプロにあることないこと吹き込んでおいてやりますから、覚えてなさい。

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