第116話・アウロ・ペルニカの攻防 その14
再び対峙した牛頭の魔獣は、かつて見た姿と寸分違わぬ…というか、牛の個体の違いなんかわたしに分からないんですけど。あなた本当にあのバギスカリと同一人ぶ…同一魔獣?
「ふん。久しぶりだな、と言いてえところだがよ。生憎こちらに以前テメエらと会った覚え、ってのがねえんだよ。だから、ま、改めて自己紹介といこうか。バギスカリだ。今度はこっちも忘れねえ。ガルベルグに命じられて出張ってきたってとこだが、好きにやれって話だ。だからそうさせてもらうぜ?」
そうして見覚えだけはある魔獣は、剣をわたしに突き付けこう言いました。
つまり個体としては同じで、やりなおしみたいなもの、ってことですか。本格的になんでもありなんですね、この界隈。ただ、まあ。
「前回の記憶が無いってんならこっちも好都合です。同じ目に遭わせてやるから覚悟しやがれ、ってんです」
「おい、大きく出てるけどよ。前回とやらはどうやったんだ?」
「知らないなら口出さないでください。それよりアプロ、助け出せません?」
差し出がましいにも程がありますね、この男。いーからあなたはアプロを助け出す算段でもしててください。
「と言ってもな。オレの手に負える相手じゃなさそうでなあ」
「だったら余計に黙っててください!」
…まったく。冷静なのはいーですけど、今にも一斉に突撃してきそうな牛の群れもどうにかしないといけませんし…。
けど、そちらについてはもうブラッガさんたちに任せてわたしはバギスカリの穴を塞いでしまえば、と針を取りだして糸を出そうと……。
「おい、どうした?」
「い、いえ…もう、糸が…」
いつもだったら、わたしが針を持つと同時に繰り出されてくるはずの糸が、小指の先くらいちょこっと出て、それでお終い。
ちょぉぉぉぉぉぉっ?!どーすりゃいいんですかっ!!
ええいもう、こうなったらバギスカリだけでも黙らせておくしか、と短い糸がぶら下がった針を摘まんだまま、牛頭の魔獣の姿を眇めて見ても。
…ない。見えない。
わたしに見えて、問いかけることで世界を回すサイクルに再び組み込まれるはずの、魔獣の穴が、見えません。
やばい…と焦りの色をどうにか隠して太々しい笑みで取り繕おうとするわたしに、バギスカリ(再)はニヤリとイヤらしく笑って言いました
「へっ、何をしようとしてるのかは知らねえが…どうやら思った通りにはならねえみたいだな。ちょうどいい、まずはこの石の剣のガキを…おおっ?!」
「………させるか!」
「ゴゥリンさんっ?!」
そういえば、といえば失礼ですが、アプロの護衛をしていたはずのゴゥリンさんは、一緒に倒れていたわけでもなく、しかしバギスカリの隙を突くように、背の高い草むらから飛び出し、槍を神速で突きだしました。曲げられた斧槍の代わりがなくて代用したものでしたが、さすが一流の武人はどんな武器を使わせても一流!
「アコ下がれ!」
「グランデア?!」
そしてそれを機とみてかグランデアもわたしの隣から飛び出し、ゴゥリンさんに加勢する…かと思いきや、アプロの体をかっ攫って一足飛びで距離をとります。
ひゃぁ…こっちもなかなかやるじゃないですかっ!
「感心してる場合じゃねえ!ケガしてるから引き取れ!」
「え?あ、アプロっ?!しっかりしてっ!!」
「…う、アコ…」
見れば額はわれ、大量ではないにしても血がアプロのきれいな顔を染めていました。
「アプロっ!聞こえるっ?!」
「あ、う……だい、じょぶ……」
全然大丈夫じゃないじゃないですか!
わたしは慌ててアプロに肩を貸し、フィングリィさんのもとへ向かいます。
「アコ殿、あなたも後方へ!」
「ゴゥリンさんたちがまだ!あと牛が来ますから備えてください!」
「ですが!」
「アプロが下がったところにわたしまで退いたら打つ手無くなるじゃないですかっ!!」
そうです。
今はアプロが身動きとれなくて、第三魔獣に力尽く以外の手立てがとれないんです。
そしてその力尽くにしたって、前回アプロとゴゥリンさんとマイネルの三人が蹴散らされていた、となると簡単にいくわけがないのです。
だったら。
だったらわたしがなんとかするしかないじゃ…。
「ないですか─────っ!!」
「アコ止せ!!」
叫び、そしてわたしの足は地を蹴りました。
グランデアが制止する声に耳も貸さず、ただ止めないといけない敵を止めるために、わたしは奔ります。何が出来るかなんて、奔りながら考えるっ!
「馬鹿者!!」
バギスカリと撃ち合わせていたゴゥリンさんの怒声がわたしを襲います。そりゃあ、なんとかするしか、って言ったって、上手くいく保証なんか無いんです。増して今は、第三魔獣に顕れる徴を見て取れるかどうかだって怪しいんですから………って。
あのあのそれって本格的にわたし役立たずっていうかゴゥリンさんの足引っ張るだけなのでわっ?!
「そっちから来てくれるたぁありがてえ話だな!!」
「わたし止まってぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」
間一髪。
焦ったゴゥリンさんの一撃を空振らせたバギスカリはこちらに向けて横薙ぎに剣を振るいましたが、慌てて急停止したわたしには辛うじて届かず、それがために体勢を崩したバギスカリに今度はいち早く立て直したゴゥリンさんの槍が襲いかかります。
「ムグゥッ!」
鼻先を掠めていった白刃に青くなった顔をさらすわたしの眼前で、バギスカリは胸を貫かれてました。ゴゥリンさんの投じた槍によって…って、あのその、えらそーに文句言えた筋じゃないのは承知の上で言わせてもらいますけど、これゴゥリンさん外してたりバギスカリが避けてたりしたらわたしに刺さってたんぢゃないでしょーか?
そんなアホな感慨を抱きつつ腰の抜けたわたしを、牛の顔が信じられない、という様子で見下ろします。
「…んな、バカなっ……」
いえまあ、まぐれというか偶然だったのは認めますけど、この際勝ち誇っていい場面っぽいので、せいぜい憎たらしく見えるようなドヤ顔でバギスカリの顔を見上げてると。
「このアホ身の程を知れっての!」
と、頭上をまた槍が通過し、バギスカリの喉元を過たず貫いていました。言わずと知れた、グランデアの手でした。
そしてそれがトドメとなり、牛の頭をもつ魔獣は…。
「………」
最後に遺す言葉も、前の時のように負け惜しみを洩らすこともなく、スゥ、と掻き消えていきました。
「…って、ええい落ち着いてる場合か!おいアコ、次が来るぞ!」
「次って…げ、なんで牛が残って…」
姿を消したのはバギスカリのみ。
その後ろで今にも突進を開始しようとしていた牛型の魔獣の群れは、バギスカリが姿を消したことで抑えるものが失せたからなのか、頭を低くし角を突き出し、それから。
「来るぞ!前に出ろっ!!」
ブラッガさんの指示で盾を構えた衛兵隊のひとたちがわたしを庇うように構築した隊列に向け、一斉に突進を開始したのです。
「ちょっ?!受け止めたりしないで避けた方が…」
「おめえがいるからそれが出来ねえんだよ!いいから早く後ろに下がれ!」
あ、そうか。普通の魔獣が相手じゃわたしがいても何の役にも立たないですし。
抜けた腰もなんのその、と必死に立ち上がってわたしは、まだ立ち上がれずに介抱されてるアプロの姿に向けて走り始めます。
「アプロっ!」
弱々しく、ではありましたがどうにか立ち上がろうと藻掻くアプロと、それを押しとどめようとするフィングリィさん。
わたしが声をかけてどうなるってものでもないでしょうけど、そうせずにはおれなかったわたしが、息を切らしながら二人の元にたどり着くと同時に。
ガキィッ!
何か固いものと金属が打ち合う響きと共に、誰かが誰かの名前を呼ぶ、悲鳴のような声がいくつも轟きました。
「え?」
イヤな予感…いえ、きっとそうあるだろう光景を見たくない思いで振り返ると。
見慣れたはずの大きな体が、あり得ない高さに跳ね上げられていて。
「ゴゥリンさんっ!!」
そしてそのまま、頭を下にした体勢で、人と牛が入り乱れる混乱の向こうに消えていきます。
それだけではなく、命あるままにか、あるいは既に亡骸となってなのか、それすら定かでない人影が次々に跳ね飛ばされ、地面に叩き付けられていって…。
「あ、ああ……」
その中にブラッガさんの黒い鎧姿もあって。
「アーッハッハッハァッ!!あれでお終いと思われてたんではなァ!俺も舐められたってモンさぁな、針の女ァ!!」
だからわたしは、消えたはずの、ついさっきわたし自身があざ笑ったはずの姿に戦慄を覚えることも出来ずに。
「…ア、コ…にげ…て…」
傍らで何かを呟いてるアプロの手を握って、衛兵のひとたちを次々に薙ぎ倒しつつ訪れる絶望の瞬間を、待つしかなくて。
それでも何か出来ること、わたしにしか出来ないことを探して、ようやく腰にぶら下げたわたしの相棒の存在を思いだし、ついでにそれがもう何の力も持たないことも思い出し。
「死ィネェェェェェッッッ!!!」
言葉の烈しさほどには何故か強さを感じない殺意を、真正面から受け入れようと、くいと喉を突き出した、わたし。
・・・・・
『この針は、【聖精石】と呼ばれる石から出来ているんだ』
「石から針を作るとか、また難儀なことしますねー」
『…石といってもね、加工に工夫を加えることでどんな性質だって与えられるんだよ』
「加工っていったって、石なんか削るか割るくらいしか、できないんじゃないですか?」
『そーでもないぞ。例えば私のこの剣だってそうさ。これは削ったんじゃなくて、薄く整えた石を何枚も重ねて、そして叩いて叩いて…』
「あ、むつかしい説明とか別にいーですから」
『なんだよー、少しくらい自慢させてくれたっていーじゃんか』
『別にアプロが作ったわけじゃないだろ。なんで君が自慢するのさ』
…あのその。ちょっと。
なんでアプロたちに初めて会った時の会話なんか思い出してんですか、わたし。
もしかしなくてもこれって走馬燈、ってやつですか?
って、縁起でもねーっ?!
いくらなんでもまだ死ぬつもりとかないんですけどっ!!
「…なんでこーなるのか、説明を求めます」
『それは私のほーが聞きたいよ…。今までしてた苦労はなんだったんだってーのさ』
『………』
『ま、まあ簡単に済むならそれに越したことはないだろうしさ。アコも大変だっただろ?』
「いえ…なんだか不思議な世界に来てしまったなー、ってようやく実感わいてきたですよー」
『なんだいそりゃ』
「…あのー、ところでこの針持って帰ってもいーですか?わたし的に糸が次から次へと出てくる縫い針とか、家宝にしたいくらいですっ!」
『あのね、アコ。その糸は聖精石から生み出されてるもので、かなりお金かかってるんだからね。補充しないと糸だって出てこなくなるんだから。ほら、返して』
「ケチな話ですねー、まったく。あ、でもどーせマイネルの持ちだしなんですから、普通に縫い物に使ったらどうなるか、試してみてもいーですか?」
『教会の財産使って遊ばないでくれる?』
『どーせマイネルがグレンスに怒られるくらいだろー。アコ、構わないからやってやれ、やってやれ』
『アプロもアコを煽らないでくれるかなっ?!本当にやりそうだよ…』
『………(くくっ)』
「…あ、いまゴゥリンさんが笑いましたっ!わたし初めて見たですよー!」
…これ、初めて魔獣の穴をわたしの手で塞いだ時のことですよね……。
なんだかなあ。この頃って、わたし何も知らずにけっこー呑気だったものですよ。
この頃…じゃあ、今は?
『寝ちゃったかー…』
『アコの寝顔かわいい。はぁはぁ…』
『おめー、アコのことになるとよくぼー丸出しになるよな』
『わたしはアコが大事だから。アプロは?』
『おめーに言われるまでもねーよ。つか、大事なら少しは自重しろっての。私だってアコには……ん、んぐっ!』
『…アプロも結構なもの。こんなものでアコを誘惑するのは許さない』
『うるせーよ。……あのさ、おめーはアコの何を知ってる?』
『なんのこと?』
『アコは多分自分自身も知らない秘密をもってる。それをおめーが知ってるらしい、ってのも見当はつく。ついでに言えば、私がそれを知ったら、多分アコをほっておけなくなることだろう、ってのも想像はできる』
『…で?』
『…全部言わせんじゃねーよ、ったく。つまりだなー、アコと私の関係がさ、それを受け入れられるくらいになるまでは、ガマンしとくってことだ。おめーだけが知ってるってのは面白くねーけどさ、きっとその秘密がベルニーザを悩ましている。だから、今のところは勘弁しておいてやる』
『……アプロはツンデレ』
『だからそのつんでれ、ってのは何なんだよー』
「ん、んん……」
『アコ、起きた?』
「んー……あにょう、おみずくださぁい…」
『あはは、ダメなアコってなんか良い感じだなー。ほらアコ、水』
…わたし、この会話覚えてませんけど…多分、ベクテくんの屋台のお世話したとき、三人でお酒呑んだ時のことですよね。
わたしがわたしを好きでいられるようになれたら、と誓った時のこと。
…わたしは、アプロやベル、それから街のみんなを好きでいるように、自分を好きになれましたか?
『…その身に宿すものを、今は忘れよ』
「はい」
『お前は無きものから生じ、在るべきものに為る。その事実と運命をのみ抱き、世界に向かえ』
「…はい。わたしはこれから、わたしになります」
『それで、いい。来たぞ』
…あれ?
これはいつか見た夢の、続き?
なのにどうしてわたし、これから起こることが分かるんでしょうか。
…いえ、分かるのではなく、忘れられないだけですね。
だって、今からわたしを迎えに来るのは。
『アコ、今すぐ来てくれ!お前の力が必要なんだ!』
・・・・・
「死ィネェェェェェッッッ!!!」
一際巨大な牛の魔獣に跨がったバギスカリが、わたしに向かって吼えます。
わたしの右手にはアプロの手。
そして左の手には、今は用を為さないわたしの大事な相棒。
大事とか言う割にその扱いはないんじゃないか、って?
仕方ないじゃないですか。針は糸を伴ってこそ、針なんですから。
だから、糸を切らしたわたしに出来ることは、ないのです。
死にたくはないですけれど、でもアプロと同じ時、同じ場所で死ねるのならそれもいいかもな、って。
「……バギ…、てめ、え…アコに、なにす………」
………そんなこと、わたしが思うと思いますか?
わたしを守ってくれてきたアプロの。
わたしが大好きなこの街の。
そしてそんなわたしの『好き』が、好きだと言ってくれたわたし自身の。
…その危機に、手をこまねいて全てが失われるのを座して待つ、なんてこと、何よりもわたし自身が許せるはずが、ありません。
「これで終わりだ!ガキどもっ!!」
きっと瞬きする間に埋められてしまうほどの距離にいる、わたしの敵。
糸なき針に出来ること。
それは。
…違います。
糸は、あるんです。
わたしが忘れていただけで、こんなにも身近に、あったんです。
「…顕現せよ」
「え?」
ふふ、アプロを真似てみました。
少しくらいはわたしにも、格好付けさせてくださいよ。
「?!」
「アコ?!」
「アコ殿っ?!」
ごめんなさい、アプロ。ずっと握っていたいけど、少し手を離しますね。
フィングリィさんに抱き留められたままのアプロを置いて、わたしは立ち上がります。
右手に持ち替えたわたしの相棒には、いくらでも役立ててみせろ、と言わんばかりに輝く糸が繰り出されていました。
「いきます」
静かに呟くわたしの目に映るのは、わたしたちを傷つけ蹴散らしてきた
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