第115話・アウロ・ペルニカの攻防 その13

 「終わりましたっ!」

 「よし、これで少しは休め…」

 「アプロニア様、次来ました!」

 「昼メシくらい食わせろこんちくしょーッ!!」


 …ヤバいです。

 何がヤバいって、昨日までと違って魔獣の出現がひっきりなしなのです。

 流石に手に負えないくらいの数が一気に押し寄せてくるのとは違いますが、手数だけで圧倒されそうな勢いです。

 そして一回一回はなんとか凌げてしまえる分、次もなんとかなるだろう、と危険な楽観視に皆が囚われていく空気を感じます。これ、切れたら一気にクる奴ですよ…。


 「グランデア、今ので何回目ですっ?!」

 「どうせ無駄だろうから数なんざ最初っから数えてねえよ」


 また一枚、布の穴を塞いで立ち上がったわたしに付き従うグランデアですけど、賢明なことでした。


 「多分六回目か七回目だろうけどな」

 「しっかり数えてんじゃないですか」


 ちなみにまだ六回目です。夜明けと同時に始めたにしては控えめなものです。


 「とっとと立って引っ込むぞ。アンタがいても足手まといだ。…おいしっかりしろ!気ィ失うんじゃねえぞ!」


 グランデアは槍と反対側の肩に負傷した衛兵さんを担ぎ、それを支えて歩き始めたわたしの背中の向こうでアプロの叫びが響きます。


 「顕…現、せよ───ッッ!」


 思わず振り返り、呪言の発動した結果を見て息を呑むわたしです。


 「これで何回目だ?」

 「呪言のことならもう十回目になりますよ」

 「なんてぇか、元気なもんだ。こうしてなんとか踏みとどまれてンのもアレのお陰ってわけだな」

 「…そう、ですね……」


 グランデアが振り向き感慨を述べたのはごく僅かな時間。

 それだけで分かったようなことを言われるのが愉快じゃなくて、わたしは唇を噛んで先行く彼の背中を睨み付けました。


 (アプロ…呪言の威力が落ちてる。このまま今日一日、耐えられるんだろうか)


 それは分かっていても、わたしが口にしてはいけない言葉でした。




 「ええっ?!…あ、あの、フルザンテさん?こんなところで何してるんですかっ!危ないから早く街の方へ…」


 ケガをした衛兵さんを街の方へ送り届ける途中で、わたしたちは見知った顔に出くわしました。

 そこは魔獣の攻撃が及ぶには少し遠くはありますけど、かといって城壁の中ってわけでもないんですから、前線を突破されたら真っ先に危険になる場所ではあるんです。

 見ると、わたしたちのように前線のケガ人を抱えてきた他の衛兵さんが、フルザンテさんのように待機していた街の人に後送のために引き渡し、また戦闘中の前線に向かって行きました。


 「なあに、街の外で直接魔獣とやりあえるわけはねぇけどよ、こうしてケガ人を運ぶくらいのことは出来らぁな。アコ坊みてえな嬢ちゃんに戦わせておいて俺らのようないい歳こいたおっさんが中で首を竦めてるだけ、なんてなあみっともねえ話だぁな。ほれ、あとは任せて領主さんを助けに行った行った!」


 もちろん平気な顔で、って雰囲気ではありません。子供のようなわたしに強張った笑顔で、安心させようとしてなのかしっしっ、と追い払うような仕草をしてみせます。


 「おいとっつぁん、こいつ鎧脱がせねえから重いぞ!一人で運べるか?!」


 …わたしが泣きそうになってるっていうのにこの男はー。

 一切空気を読む気なしなグランデアからケガ人を引き取ると、フルザンテさんは流石に重たそうに、ではありましたけど微かに「すまない」とだけ言った衛兵さんを背負って、街の城門に向かっていきます。

 おい、行くぞ、とグランデアの呼ぶ声に振り返り際、フルザンテさんを助けるようにまたひとり、街のひとが駆け寄っていきました。


 「…はい!」


 わたしは、ぴしゃりと自分の頬を両手で叩き、自分に出来ることで、アプロと、街のひとたちを守ろうと、祈りと願いと決意とがいろいろ混ざったものを胸に、また戦いに戻ります。



   ・・・・・



 「アコ殿!」

 「遅くなりました!ごめんなさい!」


 衛兵隊の副隊長、フィングリィさんがわたしの顔を見て、こちらだ、と手招きします。

 この戦いの最中、隊長のブラッガさんがアプロの指示を受けて衛兵隊全体の行動をあれこれ命令するため、実際に衛兵隊の最小単位をどう動かすのかはフィングリィさんの腕にかかっています。


 「布が、こちらに!」

 「はい!すぐ取りかかります!…アプロは?」

 「もう次が現れていて…兵たちも段々統率が取れなくなってます」


 かすり傷で済んでるのが不思議なくらいに、フィングリィさんの鎧はボロボロです。

 ケガがないのに鎧の傷が多いのは腕のいいヤツだ、と以前アプロが言ってたことを思い出し、グランデアとさして歳が違わないフィングリィさんの顔を思わずまじまじと見てしまいました。


 「なにか?」

 「いえ、なんでもありません。それよりここはわたしたちでやりますから、フィングリィさんは指揮に戻ってください」

 「頼みます!」


 言うが早いかわたしとグランデアを置いて、なんだか豚の鳴き声みたいなものが響く方へ向かって行きました。

 …が、それを気にしてる場合じゃありません。

 わたしは残されていた布を手に取り、これから塞ぐ穴から出現してた小型のキリンみたいな魔獣の姿を思い出しながら一心不乱にそれを縫いとめていきました。

 穴自体はそれほど大きくもないですし、第三魔獣も伴ってはいませんでしたから、いつもならアプロの呪言一発でほぼ殲滅出来た、はずです。

 けれど、その一発で済まなかった…という事実に、わたしは背筋の凍る思いがして、つい針を操る指の動きも鈍るのでした。


 「おい、どうした。やけに時間がかかるが」

 「今終わります!いいからあなたは周りを警戒しててくださいっ!」

 「なんだよ、えらく機嫌悪いじゃねえか…いやそりゃあこんな状況で朗らかに楽しむってわけにはいかねえけどよ、余裕がないってのはいいことじゃないだろ」


 つい二、三日前まで仇討ちだと息巻いていたあなたの言うことですか、それ!…と怒鳴りたくなるのを抑え、指を動かし続けます…が。

 …これ、糸が細くなって…ますよ、ね……。

 きっと他の人に見せても気付かないくらいでしょうけど、この針と共にいろんなことを成してきたのですから、わたしに分からないはずがありません。

 聖精石の針の糸が細くなる理由…あ。


 「……ッ、終わり!」


 それに思い至ったわたしは、糸を切って立ち上がると前線を警戒しつつわたしを守っていたグランデアに声をかけます。


 「グランデア!」

 「んだよ!終わったんなら少し下がって…」

 「そうじゃなくて!今すぐ教会に戻ってこの針に糸を補充してきてください!」

 「なに?なんだって?」

 「だから!糸が切れそうなんです!糸を繰り出す量がいつもよりずっと多くて、もうなくなりそうなんですよっ!!補充しないと穴を塞げなくなるんですっ!」


 ええい、説明する時間すら惜しいってのにこのウドの大木は、分かりきったことを説明させるんじゃねーですよっ!

 この一大事に寝てるんでしたら一発カマして目ぇ覚まさせてやりましょうかっ?!


 「落ち着け、馬鹿。いやどういうことかよく分からんけどよ、その針無いと魔獣どもの穴を塞げないんじゃないのか?」

 「だから!この針から出てくる糸は無限に出てくるわけじゃないんですよ!時々補充しないといつかは…」

 「よくは分からんが深刻な状況ってのは理解した。コイツを預かって、教会に行って来ればいいんだな?で、アコはどうする。ここにいて役に立つのか?」

 「…第三魔獣が出てきたらヤバいです。穴を塞げなくても力を抑えることは出来ますから、ここであなたが戻ってくるのを待ちます」

 「いやしかし、オレが戻って来る前にコイツが必要な状況になったらどうすんだ?」

 「そんときゃそんときですっ!」


 てゆーかそんなこと考えてる場合ですかっての!いーからわたしの指示した通りに動きなさい、あなたそのためにいるんで……。


 「感情任せで動くのも大概にしろこのガキ!」


 と、怒鳴りつけたわたしに…い、言うに事欠いてガキ…ですってぇぇぇぇ?!

 時と場所もわきまえずにわたしは頭上のグランデアの顔を睨み付けます。

 けど癪に障ること甚だしいことに、わたしのそんな視線など鼻であしらうように下顎を突き出してあざ笑う、目の前の馬鹿野郎でした。


 「ふざけんじゃねーですよこの脳筋バカ!感情任せとか自分を棚に上げてよくも他人にそんなこと言えたもんですね!いーですか?この針が無いとわたしは…」

 「うるせえ!!自分で言ったことを忘れやがったのか!テメエのやることをオレがすぐ側で見ることには意味があるんだろうが!そのオレを自分から手放してどうするんだこのバカたれが!」

 「はあ?確かに言いましたけどねっ!そんなもん後生大事に守って状況悪くしてたら意味がねーでしょーがっ!!臨機応変て言葉の意味をよく考えなさいこの考え無し!」

 「考え無しはテメエの方だこの馬鹿!こんな場所で一人になってケガもせずに済むとか思い上がりも甚だしいわ!いいから一度戻るってことで一緒に来い!」

 「あちょっ?!離してください、離せっての!!」


 わたしの返事も待たず、グランデアは小脇にわたしを抱えて城門に向けて走り始めます。というかゴゥリンさんにならともかく、こんな男に抱えられるとか屈辱もいいとこですっ!!


 「え、あの、こら離せ!離せバカーっ!!ブラッガさぁん、フィングリィさーん!掠われるーっ?!」

 「人聞きの悪いこと言ってんじゃねえ、いいからもど…」


 その時、わたしの気も知らずに勝手な真似を始めたグランデアを罵ったわたしの耳に、どれだけ遠くからでも分かるアプロの声が聞こえました。


 『顕、げん………っ?!』


 それは間違いなく呪言を締める、アプロの叫び。でもそれは途中で途切れ、続くはずだった聖精石の剣の煌めきも、魔獣を薙ぎ倒す爆音も続きません。


 「え、アプロっ?!」

 「な、なんだっ?!」


 その気配はわたしだけでなく、わたしを拉致した不埒者も察したとみえ、立ち止まっています。それ幸いと、このバカ、離せこの、と大暴れするうちに、ぶん回した手足の一本が、なんだか当たったらいけない場所にでも当たったのか。グランデアはひきつったような悲鳴を一度だけ洩らし、わたしはその腕の中から解放されました。


 「ごめんなさいっ!」


 地面に着地した際に振り返ると、まあそのー…きっと男性としてはアレなんだろーなー、という箇所を中心に体を丸め込ませてうずくまっていたので、後でもっかい謝っておけばいいか、とは一応思ったものです。

 だってアプロのものであるこの身を、あろーことか持ち上げてアプロから引き離そうとしたんです。それくらい当然の報いなのです……いえもう、ほんっとゴメンナサイっ!


 「アプロっ!!」


 けど現実はそんな冗談のようなことを思うことも許してくれず。


 わたしが見た光景のなか、「そいつ」を囲む衛兵のひとたちのうち幾人かは既に打ち倒され。

 それを、いつか見た気がする、と思いつつ見やったわたしの視線の先には。


 「あ、アコ…こっち、くんな……」


 同じようにアプロも転がされ、でも必死の形相でわたしを気遣い。

 そんな彼女を鬱陶しそうに上から見下ろし呟く者が、いて。


 「…うるっせぇガキだな。まだ生きてやがる」


 あいつは、マイネルを一度ころした、あいつは。


 「バギスカリ…なんで、生きて…」


 今にも突進を開始しようと前足で地面を掻いてる牛の群れを背にした、牛頭の人型の、魔獣。

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